第2話 夏休み

「お願い、かなちゃん! 助けて!」


 パン、と手を合わせて頭を下げる目の前のみっちゃんに、わたしは目を白黒させた。

 夏休み、ショッピングモール内のカフェ。

 野球部の練習が休みの日、わたしはみっちゃんと遊ぶ予定を入れていた。

 いたって普通の休日を過ごしていたけれど、カフェである話題を出した途端、みっちゃんの顔が曇った。

 そして冒頭の台詞である。


「ど、どうしたの? みっちゃん勉強できるし、夏休みの宿題は早めに終わらせる方だったよね」


 そう。ある話題、とは、学生の夏休みにつきもの。宿題である。

 でもわたしもみっちゃんも成績は悪くないし、宿題を溜め込んだりしない方なので、中学の間、それが問題になったことはない。だから夏休み後半の今、こうしてのんびりお茶しているのだ。


「私は終わってるの。私は……ね」


 そう言ったみっちゃんの顔には、哀愁が漂っていた。ど、どうしたんだろう。


「野球部のメンツがね〜……」


 溜息を吐いたみっちゃんは頭を抱えた。

 その様子で察した。野球部の人たちは、宿題が全然終わっていないのだ。

 時嶋くんは「次の大会は秋」って言ってたけど、それは公式戦の話で、夏休み中にも新人戦があったらしい。

 野球部の人たちは、休み中も野球一色だったんだろう。

 でも、学生の本分は勉強。学業に問題があれば、部活動への参加は制限される。

 宿題はもちろん、休み明けには試験もある。ちゃんと勉強しておかないと、全部写してはい終わり、とはいかない。


「全員まとめて勉強会する日を作ったんだけど、私と時嶋くんだけじゃ面倒見きれないし……良かったら、かなちゃん手伝ってくれない?」

「えっわたしが!?」

「かなちゃん成績いいし」

「で、でも人に教えられるほどじゃ」

「大丈夫、教え方よりむしろ集中させる方が大変だから。女子がいた方が落ち着くと思うの」

「そう……かな」


 いまいち自信の持てないわたしに、みっちゃんがにやりと笑った。


「時嶋くんと近づけるチャンスかもよ」

「えっ!?」


 ぼっと顔を赤くしたわたしに、みっちゃんは笑った。

 みっちゃんには、わたしが時嶋くんを好きなことはバレている。わざわざ言ったわけじゃないのに、見てればわかると言われた。

 眞希ちゃんにもバレたし……わたし、そんなにわかりやすいのかな。

 顔をむにむにといじっていると、みっちゃんが微笑ましそうにしていた。


「見てるだけじゃ、なんにも変わんないよ」

「う……そう、なんだけど」


 それはそう。

 でも、今のわたしは、まだ。見ているだけで満足、みたいなところがある。

 だって、時嶋くんはきらきらして、眩しくて、かっこ良くて。

 話せたら嬉しいけど、舞い上がって、どきどきして、全然隣にいられる気がしない。

 付き合う、とか。あんまり、想像できない。


「進展させる気がないならそれでもいいけど、宿題は手伝ってくれたら嬉しい。これは本当」


 そう言ったみっちゃんの声がガチトーンだったので、わたしはよっぽど大変なんだろうと同情した。


「うん、わかった。そういうことなら」

「ありがとう! 助かる〜!」


 宿題のお礼に、みっちゃんはカフェ代を奢ってくれようとしたけど、わたしが頑として断った。

 みっちゃんの宿題ならまだしも、野球部の人たちのヘルプなのに。そんなことまで責任を負おうとするなんて、マネージャーって本当に大変なんだな。



 ☆



「ここ……だよね?」


 みっちゃんから教えてもらった住所に行くと、大きな家があった。

 表札には『村椿むらつばき』の文字。野球部のピッチャー、村椿くんの家らしい。

 お金持ちで家が広いから全員入れるとのことで、勉強会の会場になったのだ。

 いきなりインターホンを押していいのかわからなくて、わたしはまずみっちゃんにメッセージを送った。

 それから暫くすると、玄関のドアが開いて、時嶋くんが顔を出した。

 てっきりみっちゃんか、家主の村椿くんが出てくると思っていたわたしは目を丸くした。


「悪いな。来てもらって」

「う、ううん」

「入れよ。って、俺が言うのも変だけど」

「お邪魔します……」


 家の中に入ると、クーラーの冷気でひやりとした。廊下まで冷房が効いてるんだ、すごい。うちは部屋の中だけだから、廊下は暑いままだ。


「広いから、リビング使わしてもらってる」

「そうなんだ」


 せっかく2人きりなのに、気の利いた会話ができない。

 わたし、ダメだなぁ。

 1階のリビングにはすぐについて、時嶋くんがドアを開けてくれる。


「助っ人きたぞー」


 時嶋くんの紹介に、わあっと場が沸き立つ。

 初めましての人ばかりなので、わたしはぺこりと一礼した。


「1年2組の、宮崎香夏子です。よろしくお願いします」


 わたしの挨拶に、野球部の人たちは「しゃーす」と運動部らしい返事をばらばらと返した。

 どこに座ったらいいだろう、ときょろきょろしていると、穏やかそうな顔の男子が座っていた位置をずらして隣を叩いた。


「ここおいでよ」

「ありがとう」


 ちらりと時嶋くんの方に視線をやると、彼は元いた場所に腰を下ろした。わたしとは違うテーブルだ、残念。

 野球部は全部で10人。プラス、マネージャー。

 元々リビングに置かれていたのだろう長方形のテーブルに部員6人とみっちゃんが、追加で出したのだろう折りたたみの丸テーブルに時嶋くん含む部員4人が座っていた。

 時嶋くんの隣にいるのは、ピッチャーの村椿くんだ。

 やっぱりバッテリーだから、普段から面倒を見ているんだろう。

 人数的にも、3人ずつ見ると考えればバランスはいい。

 わたしは大人しく宿題を取り出して、今どこまで進んでいるのかを隣の男子に聞いた。


 そこからは、黙々と……とはいかず、たまに騒いだり横道に逸れながらも、勉強会は進んでいった。

 それでもみっちゃんが言っていた通り、みっちゃんとわたしが教えているテーブルは女子相手だからか、比較的静かに進んでいたけど。


「だっかっら、なんでわかんないんだお前は〜っ!」


 時嶋くんの苛立った声に視線を向けると、村椿くんのこめかみを拳でぐりぐりとやっていた。

 友達同士の男子高校生らしい振る舞いを見るのは初めてで、なんだか得した気分になる。

 やられた村椿くんは、不満そうな顔をしていた。

「だって時嶋の教え方雑なんだもん! おれも宮崎さんがいい!」

「お、ま、え、は! 女子なら誰でもいいんだろ!」


 名前を出されておろおろしていると、「いつものことだから」と隣から肩を叩かれた。

 ところが、丸テーブルの方に座っていた他の部員も声を上げ始めた。


「いや、そろそろトレードしてもよくない?」

「そうだよ。そっちばっか女子でずるいじゃん」

「お前らな……」


 勉強を教わるのに、ずるいも何もないと思うけど。

 不満の声に青筋を立てていた時嶋くんも、ふうと息を吐くと、申し訳なさそうな顔でわたしを見た。


「悪い、ちょっとこいつら見てもらってもいいか?」

「う、うん。わたしは構わないけど……」

「頼む。ちょっかいかけられたら殴っていいから」

「それはちょっと……」


 そんなカジュアルに暴力は振るえない。

 遠慮しつつも、時嶋くんが同じ部屋にいるんだから、行き過ぎたことにはならないだろう。

 わたしは時嶋くんと席を交換して、村椿くんの隣に座った。


「お邪魔します」

「いらっしゃーい」


 にこにこしている村椿くんは上機嫌だ。時嶋くんのシゴキから解放されて嬉しいのかもしれない。


「今やってたのどれ?」

「数学。時嶋は数学得意だから」

「そうなんだ……」


 時嶋くんは、数学が得意。

 新しい情報を噛みしめていると、にやにやとした視線を感じた。


「もっと教えてあげよっか? 何が知りたい?」

「え……え?」


 戸惑っていると、村椿くんがわたしの耳元でこそっとささやいた。


「時嶋狙いなんだ?」


 ガタッと音を立てて飛び退いたわたしに、村椿くんはケラケラ笑っていた。


「わっかりやす〜」

「な……な……」


 そんっなにわかりやすいかなわたし!?

 真っ赤な顔をしながら、バサバサと教科書やノートを広げる。


「そ、それとこれとは、関係ないから! 今日はみっちゃんの手伝いで来てるの。まずは宿題、終わらせないと!」

「はーい」


 からかうような口調の村椿くんを、逆隣の男子がつつく。

 多分、いつもこんな感じなんだろう。

 その後もちょくちょくからかおうとする村椿くんをかわしながら、わたしはなんとか野球部員たちに勉強を教えた。



 ずっと勉強だけだと集中力が続かないので、1時間おきに休憩を挟む。

 ちょっと短い気もするけど、遊びたがる部員が多いので、1時間が限界らしい。

 その休憩時間中も、時嶋くんは野球談義をしているようだった。

 みっちゃんがスコア表とか、メニュー表とかを出して、それを見ながら時嶋くんと相談している。

 マネージャーなんだから、当たり前かもしれないけど。


(お似合いだなぁ)


 みっちゃんは、わたしの気持ちを知ってるけど。そのことで、部活に必要なことを遠慮したりはしない。

 わたしはみっちゃんのそういうところが好きだし、もしわたしに遠慮して主将の時嶋くんと距離を取ったりしたら怒る。

 だけど、それはそれとして、やっぱり羨ましい気持ちと、ちょっとばかりの嫉妬心はあるのだ。


(わたしも、野球に詳しかったらな)


 付け焼き刃の知識なんかじゃ、役には立たないだろうけど。

 わたしにも、何か、できることってあるのかな。


「お前らー、勉強再開するぞー」

「えー、もうちょい!」

「いつまでも終わんねーだろ! いいからやれ!」


 時嶋くんの一声で、散っていた部員たちがテーブルにつく。そうやってなんとか、全員分の宿題が終わったのだった。



 夏の日は長い。18時を過ぎても、外はまだ明るかった。

 自転車で来ている部員もいたけど、わたしを含む電車で来たメンバーは、駅までの道を一緒に帰っていた。

 わたしは最初みっちゃんと喋っていたけど、途中で、なんと、時嶋くんが隣に来た。


「ありがとな、今日」

「ううん! わたしも、自分の勉強になったし」

「真面目だな。あいつらに聞かせてやりたいぜ……」


 遠い目をする時嶋くんに、「そうでもないよ」と心の中でだけ呟く。

 だって結局、村椿くんから、時嶋くんに関する情報をちょくちょく聞いちゃったから。

 わたしから頼んだわけじゃないけど、おもしろがって色々教えてくれたのだ。

 誕生日とか、血液型とか、家族構成とか、好きな食べ物とか、苦手なものとか。

 今日だけで、わたしにとっては十分すぎるくらいの収穫だった。

 本人に無断で聞いちゃったことに、罪悪感はあるけど。


「そういや、宮崎さんって数学は苦手なんだって?」

「え?」


 きょとん、としたわたしに、時嶋くんは首を傾げた。


「あれ、違った? 村椿から聞いたんだけど」


 ぴんときたわたしは、こくこくと勢いよく頷いた。


「そ、そうなの! だいたいできるんだけど、数学だけ、ちょっと苦手で!」

「そっか。俺、数学は得意だからさ。テスト前とか、わかんないことあったら聞いてよ」

「いいの?」

「今日のお礼。そのかわり、現代文と古文でわかんないとこ聞いてもいいかな。俺国語苦手で」

「もちろん!」


 連絡を取れた方がいいだろうと、わたしは時嶋くんと連絡先を交換した。

 む、村椿くんGJ〜っ!

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