ゼオラシア大陸記

Zaku

旧世界の棺 新世界の心臓

始まりと終わりは表裏一体

 人は神の領域に足を浸した時、その重圧と世界の違いに膝を落とす。

 人と神ではその存在定数があまりにも桁違い過ぎるのだ。

 人は神になることはできない。人と神が交わる事はありえない。

 もしその法則を壊せる常識破りがいるとすれば――

 それは神の統治と存在意義を知らぬ無神論者か。人も神をも超える者かもしれない。


 ◇


「うーん。久々にやってみたはいいけど……これ難解すぎるでしょ。というか、よくこれで解けたなって昔の私を拍手したくなるね」


 自室で独り言を延々とつぶやきながら、羽ペンをクルクルと回す。

 外は相変わらずの幻想風景が広がっていた。

 私にとってもはやそれは見慣れた光景だが、ここをもしも探検家一行が訪れた際には腰を抜かすだろう。


「ま。ここを探す探検家なんていないんだけどね」


 何しろとある面倒事から生まれた奇妙な因果か、帝国の諜報ギルドから身を隠しながら探した珠玉の一等地だ。


 人の身であれば二、三度転生を繰り返さなければ辿り着くことは到底不可能な人類未踏領域。


 たとえ記録や情報が数世代にわたって伝達されようと、私のいた現実世界でいうワンタイムパスワードのように、定期的にその位置と座標を眩ませる性質をこの場所は持っている。


 人からも神からも見放された土地で、私は黙々と机に向かいながら書籍の内容に目を通す。

 大昔、不老長寿の魔法を研究していた際、この身にようやく宿すことに成功した魔法『聖櫃体メトシェラ』に関する研究資料である。


 当時は成功すると思ってもいなかったが、こうしてこの身に宿せているのが不思議なくらいには、難解な実現方法と複雑な方式が何層にも渡って組まれている。


 まるで地平線にまで広がる砂漠の中に埋もれた暗号文を一つ一つ水なしで探しているかのような虚無感が、当時の筆跡からひしひしと伝わってきた。


「あーもうわけわかんない! なんで四百年前の私はこんなの書けたの? 最後にいたゼオラシア最新の魔法学でも到底たどり着けないオーバーテクノロジーだよこれ! てゆーかもはや変態の領域……誰が変態だよ馬鹿!」


 私は自暴自棄になりながら、一人ノリ突っ込みをその場で披露する。


 やがて観客もいないと虚しさを悟り、書斎から退散してベッドのある寝室へと足を向けた。


 これが私の最近の日常。

 というのも、なぜこのようなことに時間を割いているのか。


 本来であれば星と花園を眺めているだけの生活ルーティンを送る予定だったのだが、それもこれも――


「ほんと……お人好しなのは人間の頃と変わらない、か」

 自分が悪魔であれば幾分か人に冷たく当たることができたのだろうか。

 そんな可能性イフを空想しながら廊下を歩くと目的の部屋の前に立ち、ベッドのある寝室へと足を踏み入れる。

 部屋の中央にある私の特等席ベッドを占領していたのは、今も細々とした寝息を立てる眠り姫。

 とある寂しがりな神と瓜二つの、少女の夜の貌であった。


 ◇


 事の始まりはそうだ。


 一人謎の奮起を覚えた、やる気に満ち溢れたあの夜の出来事だった。


 人は空を見て思索を巡らせていると、心が自然と洗われるという。昔読んだ書籍につらつらと書かれていたことを思い出した私はそれに倣い、ひたすら夜空を眺めていると、やがて思い至る。


 明日から昔の研究――不老不死に近い概念レベルの魔法の開発に励むことを。

 本来であればそれは、世界の禁忌に触れる禁断の研究であるが、当時はまだその領域に手を出そうなどと考える者も、考えを巡らせる人間も誰一人としていなかった時代だ。


 これが原因で帝国の諜報機関から日夜狙われることになったのだが、その逃避行劇を脳内で上映するほどの心の余裕は、静かな奮起の炎を宿した私には一ミリもない。

 今はとりあえず、何もしない日を作らないこと。


 世界に対して何かをしてやるという気概や思いやりはまったくないが、自分の錬磨はすべてを修めた後であろうといくらでも外付けできる。


 私はそう心に決め、天井に手を掲げて拳を握る。

 明日から生まれ変わるんだ。

 そう決意を固めた途端、夜空にポツンと黒点が浮かび上がる。


 上階の窓の掃除は、布巾と箒にかけた魔法によって完全自動オートメーション化してあるはずだ。

 汚れでないという結論に結びつくと、それは次第に存在を肥大化させていった。


「何……あれ」


 パリン。

 聞き慣れない、非日常の音が上階から響く。

 次々と割れていく天井の吹き抜け窓。


 やがてそれは長方形の形をしていることに気づくと、私はすぐさまベッドから飛び撥ねた。


 凄まじい衝撃と落下音が鳴る。


 飛び起きて正解だった。


 黒点の正体が寝室の吹き抜け窓をぶち抜くと、それは私が横になっていたベッドのすぐ上へと落下ダイブしてきた。


「一体何が落ちて……まさか人? それとも同業?」


 人の身であればおそらく即死級の威力。

 私たち魔法使いの階級で落下の被害を言い表すと、六等級ならば昇天。五等級から三等級ならば致命的重症。二等級より上位であれば無傷、といった被害状況を想像して鳥肌を立てる。


 私は恐る恐るその落下地点ゼロポイントへと歩み寄る。


 そこには――瞳を閉じた黒髪の少女が、小さな棺のようなはこに収まっていた。


 ◇


「ねえ。あなたは一体どこから来たの?」


 私は返事のない一方的な問答を、ベッドの隣で眠る少女に向けて繰り返す。


 くりくりと、少女の髪の毛を人差し指に絡めたり、黒髪をかき分けたり、耳元に息をふっと吹きかけてみる。

 それでも少女は目覚めない。


 私は彼女の肩に手を回して体をこちら側へ向けると、顔を覗き込んだ。


 やはり似ている。

 他人の空似とは到底思えない。

 その容姿は、かつて苦楽を共にしたゆうじんと瓜二つだった。


 ――アルビー。あなたなの?


 私は少女を強く抱きしめる。


 その温もりは、久々に感じる人肌のそれだった。


 あの転生の間で感じた、活発な銀色の少女とは到底思えない。


 私はかつての光景に郷愁の思いを馳せながら、深い眠りへと落ちていった。


 ◇


 翌日から、研究の日々がスタートした。


 スキル『叡智目録』によると、少女が眠り続ける原因は、外の世界で現在大流行中の流行り病、『ネムリ』によるものだという。


 ネムリとは私が地上にいた頃も、いくつかの都市や国家で感染者が膨大に増えていった奇病である。

 地上にひろがる世界――ゼオラシア大陸の古い文献にもちらほらとその名が散見される、歴史ある病だ。


 治し方があるとすれば、それはゼオラシアという世界そのものの起源に迫る難題。

 王立魔法協会最大の禁忌タブーに触れ、禁忌違反者の烙印を押されることとなる。


 少女の身元については、スキル『生命鑑定』により特定済み。

 少女はどうやら、地上で四分割された四つの国のうちの一つ、ドルムア帝国の首都ゼルヴァからやってきたという。


 かつて私を突け狙った諜報機関が属している危険な帝国であるが、なぜ彼女がそこからここ辺境の人類未踏領域へとやってきたのか。帝国の諜報機関、鷹の眼ホークアイ小隊と何らかのつながりがあるのだろうか。


 そう思うと、この少女を起こすことは危険であるように思えてくる。


 ドルムア、鷹の眼、王立魔法協会。


 考えても考えても、この少女につきまとう懸念はこの三つに絞られる。


 前者二つを相手取るのは、正直そこまで苦ではない。


 ただ王立魔法協会ともなれば話は別だ。


 彼らは異端者――俗に言う禁忌違反者に対して猛烈な嫌悪感と廃絶の声明を掲げる、異端審問組織である。

 不老不死という禁断の研究を行っていた当時の私は嫌疑こそかけられなかったが、神の眷属を自称する彼らの不満だけは買いたくない。


 ただ、私は私を救ってくれた神に強い恩義を感じていた。


 毎晩ベッドで横たわる少女の見た目と、もしも起きて本当に彼女の関係者であるという可能性を巡らせると、どうしても自らの危険などどうでもよくなるくらいには、この病について調べたい欲が出てきてしまう。


「しょうがないか。乗り掛かった舟だし」


 孤独な自称永遠の十八歳辺境伯の私は、すべてを修めた。

 今度は古い友人によく似た少女を救うべく、彼女の病ついて調べようとしている。

 それは危険なことではあるけれど、何もない日々を淡々と過ごす私には少し刺激が必要だなと腹を括る。


 こういう始まりもアリなんだと自分に言い聞かせると、私は今日も難解な自筆の書籍と向かい合いながら一人思索にふけるのであった。

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