招集 其の一

 例えば――園児たちが遊びに耽っている昼休みの中庭を想像する。

 その一角で四人の園児が、四角で囲われた砂場という世界に陣取っていた。

 砂場の中央には、とある空白が存在している。

 その領域は誰も踏み入れたことのない、正体すら誰も知しり得ぬ世界の間隙。

 そこに秩序という二文字の絶対は存在しない。

 そこに人間という二文字の生き物は存在しない。

 理性ある組織では管理できない、秩序外の存在が跋扈する危険領域だからだ。

 秩序のない世界を犯すことはどういうことなのか。

 四人は意見を出し合い、こう結論を導き出した。

 秩序が通用しないのであれば、押し潰してしまえばいい。

 それがどのような結果をもたらすかなど、神もその代弁者も指導者として持たない園児たちには、想像すら及ばなかった。

 秩序なき世界への侵攻。それは戦の前夜災ぜんやさい


 ◇


「はあ……」

 陛下のお考えは、下級貴族だった私には分かりかねる思想の一つだ。

 ただそれと同時に、その謎は私の人生において最も解き明かしたい命題の一つでもある。

 

 私は帝国街道第二十八号道路に展開中のアルファストリート――帝国における最大級の複合商業施設――の終端に位置する場所で、とある人物の到着を静かに待っている。

 歴史ある帝国貴族、エルダーン家の長男、わたくしことカスティリオ・エルダーンは、これからの帝国についてあらゆる考えを巡らせていた。


 ドルムア帝国。

 ゼオラシア大陸中枢から真西に位置する国家であり、西側諸国のすべてを包括、統治している。西の天下で帝国の名を知らぬ者などいない。もしいたとするなら、帝国兵の断罪の剣がその存在を許さないだろう。


「お、待った?」

 私はアルファストリートにようやくやってきた陛下の関係者と対面する。

 背丈は平均的なこの国の男性らしい体格と身長。

 灰色のロングコートと髪色に、つり上がった瞳は現代の若者の代表のような見た目を醸し出している。

 彼を呼びだしたのは他でもない。

 我らが皇帝、アルシエラ・フェルディナント・ドルムア皇帝陛下が直々に下した王命により呼びだされた人物。

 おそらく陛下の関係者であろうというのが、勅命にて名を聞いた時の所感だった。

 だが実際にこうして対面してみると、とても陛下が名指しで呼び出す人物とは到底思えないほど、品性のかけらも感じられない。


「お待ちしていました、ウルフェン・グレイスロート様」


「ああ、ウルフェンでいいっておじいちゃん。それに、いつもシエラにそう呼ばれてたからな。それじゃあ行くか」


 軽い感じの喋り口調でウルフェンは私と挨拶を交わす。

 そう言いながら肩を突くと、足並みをそろえて私たちは歩き出した。

 一体この人物は何者なのか。


 彼の口にしたその名は、幼い頃より陛下の面倒をよく見ていた私だからこそわかる名だった。


 陛下のあだ名。それこそがシエラという名だった。


 私はウルフェンも、彼をこの首都に招集した陛下のお考えも、ますます分からなくなっていた。


 ◇


「おじいちゃーん」


「おじい……その呼び方は大分品性に欠けてて馴れ馴れしいです。私にはカスティリオ・エルダーンという名前があるのですから、どうかそちらの名前で呼んでいただけますでしょうか、ウルフェン殿」


「堅苦しいのは抜きだぜおじいちゃん。シエラだって昔は俺のこと、狼みたいだーって言いながらウルって呼ぶんだぜ? 面白いやつだよな。ゼルヴァを離れて大分経つけど、今も元気してるのか?」


 私の隣を歩きながら、退屈そうな面持ちで話すウルフェン。

 態度と話言葉からして品性のへったくれも感じさせないが、こう見えて陛下が直々に名指しとその……あだ名で呼ばれている方だ。


 あまり存外な扱いはせぬよう、貴族爵位を持つ私がしっかり陛下の前でも失礼のないよう、道中で良い感じに矯正しなければならない。


 それがこの使いの命を受けた私の使命であると悟り、私はウルフェンを横目で見ながら話をする。


「まあいいでしょう。それについては追々修正していくとして、問題はあなたがドルムア帝国の何たるかを知っているか否か、です」


 私はきっぱりと、ウルフェンの目の前で指を立てながら話を始めた。


「知ってる。何か歴史的に見てもすごい国なんだろ?」

 全然なってない。これだから若者の知識の浅慮さは侮れない。


「いいでしょう。アルシエラ皇帝陛下に謁見する前です。私がしっかりとレクチャーいたしますので、ウルフェン殿はメモ片手に勉強の準備を――」


「あ、ウルフェンだ!」


 私がしばらく一人悠長にそう喋っていると、街の中でとある子供の黄色い声が上がった。

 その声を起点に、次々と子供たちが隣の彼へと群がってくる。


「おーガキども、元気してたか?」


「うん! ウルフェン、また今度冒険のお話聞かせてよ! 私たち、ウルフェンの話す物語が大好きなんだ!」


「おうよ。でも今はこのパシりのおじいちゃんと一緒にシエラのところに会いにいかなきゃならないからな。今度存分に聞かせてやるからな」


 本当に何者なのだ、この人物は。


 ただ、ウルフェンが陛下のあだ名を口にすると、それに呼応するかのように周りの子供たちは、「シエラお姉ちゃんによろしくねー」「私も会いたーい」などと無礼極まりない、帝国臣民にはあるまじき低俗な発言が飛び出す。


 およそ彼の入れ知恵であると容易な推測ができるが、一体陛下と子供たち、そして物語とやらと一体何の関係があるのか。大人を通り越して初老に差しかかった私にはまったくもって検討が付かなかった。


 彼の人気っぷりは、アルファストリートの終端から続く平民街を過ぎるまで続いた。


 ◇


「好かれているのですね」


「ガキどものことか? ああ。俺の冒険の話をよく聞きたがるんだよ」


 へへへ、と笑顔でウルフェンは私に語る。

 私たちはあの後、街道の道沿いを通っていた馬車を止めて乗り込み、首都ゼルヴァへの道を目指していた。

 

 相変わらず軽い態度は気に食わなかったが、こうも臣民たちから熱い支持を得ているのであれば話は別である。

 少なくとも帝国臣民としての意識はあるようだと、私は彼への認識を少しだけ上方修正した。


 だが私の使命は変わらない。

 少なくとも彼の脳内には知識のちの字を加えてほしいと願い、私は自前の手帳を開いて紙を破ると、ウルフェンへと手渡す。


「ただ、誇り高き帝国臣民であるだけでは、ドルムア帝国は語れません。まずは最低限の知識をこの道中で入れておきましょう、ウルフェン殿」


「ぐえー。歴史のお勉強かよ。そういうお堅いのはいいって言ったでしょおじいちゃん」


「つべこべ言わずにメモを取る」


「へーい」


 私たちはガタガタと揺れる車内で小さな勉強会を開き、昼過ぎの首都ゼルヴァ第三十四街道を進む。

 

 ドルムア皇帝は現皇帝の退位と同時に、その血を引く正当な後継者へと席が譲られる世襲制の形式をとっている。

 ドルムア皇帝の席を代々継承する皇家の名はフェルディナント家。

 前皇帝の死去と共に、皇帝の席と権限を引き継いだ人物こそ、その娘であるアルシエラ・フェルディナント・ドルムア。

 私が仕える主の名であり、ドルムア始まって以来の最大最強の勢力を誇る。

 まだ幼いながらもその知能と戦術指南はまさに未来予測の領域へと達しており、軍略家としても優秀な側面を持つお方だ。

 その才が最も色濃く出た戦いこそ、昨年まで西側諸国にて展開中だった大規模戦役『ウェスト・ゼオラシア百年戦役』である。

 この熾烈な戦争をたった一代で終戦へと導き、陛下は西側諸国すべてを統治下に置かれた。

 これは時の皇帝である初代ドルムアにも比肩しうる快挙であった。


「こうして現在のドルムアは西側諸国を統一。アルシエラ陛下はそれまでのドルムアを立て直し――」


 私は自分のことを話すかのように、気分よく陶酔しながら近年のドルムアの近況について語る。


 そうしてすべてをようやく語り終えた頃、馬車の揺れが止まった。


 ちょうどいいタイミングだと、私は語り癖である瞼を閉じる行為を止め、前方で話を聞いていたであろうウルフェンの方を見る。


「くかー……ワイルドハント万歳……」


「あなたという方は……」


 私は陛下とウルフェンについてますます分からなくなっていた。

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