第42話:兄弟の秘密
明さんに連れてこられたのは人気のない廃工場だった。
私と未来空先輩を連れて、明さんは工場の中へ入る。未来空先輩は能力を使えない。何故なら──私の胸に、宙に浮いたナイフが宛がわれているからだ。
一瞬でも隙を見せたら、刺される。
明さん、星野は警察に捕まっていてもういないのに、何をするつもりなの……?
明さんは立ち止まり、私の腕を掴む。その顔は、酷く不気味だった。
唇を厭らしく舐め、私を食い入るように見つめていた。
嫌な予感がする。
「輝。お前、この女が本当に大切なんだな。この間の一件でそれをはっきりと理解したぜ。だからこそよ、これでお前に復讐できるっつーことだよなぁ?」
まさか……。
いや、まさか……!
私の胸に宛がわれていたナイフがゆっくり私の服を這い──明さんがそのナイフを手に取った。
明さんは先輩に見せつけるように、私の私服を、いとも簡単に切り裂いていく。
それを見た未来空先輩の全身から、ぶわっと闇が溢れ出した。
「輝、そこで見とけ。お前の女が、俺に奪われていくのを──」
「っっぅう、うぁっっ!!!! おいやめろ!!」
未来空先輩は動けない体を必死に動かし、唸りだす。
明さんはそれを見てそれはそれは面白そうに笑った。
「そうだよ、その顔! お前はどう足掻いても、俺の“玩具”でしかないんだよ!! ほらほらどうした!! 怒りが足りてねぇんじゃねぇか!!?」
明さんはさらに私の服を切り裂き、暴いていく。
もう嫌だ!!! これ以上、これ以上先輩を追い詰めないで──!!
べロリ、と私の首筋に明さんの舌が這う。
私は泣いてしまった。そして歪んだ視界の中、未来空先輩と確かに目が合う。
その瞬間、先輩は目を見開き、顔を歪め──そして──
一瞬で、辺りが、闇に覆われた。
乱暴に私は身を投げ出された。
身体が動く事に気づき、慌てて私は起き上がる。
そこには明さんはいない。三度目の、未来空先輩の闇の世界だった。目の前には廃工場らしき影が蠢いている。先輩はどうやら工場ごと飲み込んでしまったらしい。
私は周りを必死に探すと、未来空先輩が地面に蹲っているのが見えた。
様子がおかしい。
「未来空先輩! だ、大丈夫ですか?」
「桜、」
未来空先輩は私を見るなり、息を荒げていた。かなり苦しそうだ。
今の先輩は周りが見えていない。余程ショックを受けたのだろう。明さんが姿を見せなくなってから、この発作は全く起きてなかったのに!!
私は先輩の両頬を掴み、先輩を見つめた。
「先輩! しっかりしてください!」
「もう、嫌だ! 兄貴はずっと俺を追ってくる! もうあんな世界嫌なんだよ! 兄貴がいないこの世界にずっといたい。もう、出たくない……。生徒会なんか、もういらない」
「ッ!」
「兄貴は、俺の大切なもんを、全部、こうして傷つけて……。っひく……お前も、ずっと、この闇の中にいてくれよ……! 俺と一緒に……頼むから。独りは、嫌だ……」
未来空先輩は明らかに正気ではなかった。
「先輩!! 私はずっと先輩の傍にいます! だから生徒会なんていらないなんて言わないで……」
私の胸で号泣する先輩に私は戸惑う。
落ち着くまで待つしかないけど──落ち着く気配がない!
「そうだ、このまま、まいも篠原先輩も芥川先輩も、小鳥遊も、ルイさんも、全部俺の世界に引きずり込めばいい。そうすりゃ兄貴にも傷つけられない。安心して、俺らはずっと一緒にいられる。そうだよな、帰る場所は、俺が守らないと……」
「……先輩っ! しっかりして! 何を言ってるんですか!」
私を必死に自分の胸の中に閉じ込める先輩に一瞬、考えてしまった。
──このままで、いいんじゃないかと。
そうだ、この世界にいれば、先輩はこんなに傷つかない。
この先も、ずっと――
────。
────。
────。
────。
────、いや。分かってる。それは、違う。
先輩を、この闇に、依存させたら、駄目だ。そしたら、私が先輩の傍にいる意味がないっ!
私は未来空先輩を突き放した。
その時の先輩の絶望したような顔に、胸が痛んだ。
今の先輩は私がいるから落ち着けないんだ! 一旦離れよう!
「先輩が落ち着くまで、距離をとります!!」
「桜……っ!!」
先輩が私に手を伸ばしてくる前に、私は逃げた。
走った。
それはもう必死に。
それからずっと、足が悲鳴を上げるまで、走り続け──。
「っ、は、はぁ、はぁ」
私はやっと止まった。こんなに走ったのに、闇の果てはない。
それでも背後から先輩の泣いている声が、聞こえてきそうだった、
でも、しばらくは離れておこう。じゃないと、先輩の発作は止まらないだろう。今まで見た発作の中で一番酷いものだった……。それもこれも全部──
するとその時、物音が聞こえた。
この世界で、物音なんておかしい。先輩かと思い、すぐに振り向く。
しかしそこにいたのは──明さんだった。
「っあぁ……なんで……」
明さんの瞳は私をしっかり捕らえていた。私は後ずさる。
足は相変わらず、悲鳴を上げていた。
なんで、こんな所で──
しかし明さんは意外にも私を見ても、冷静なままだった。
「あぁ、お前か。輝はどうした」
「……えっ?」
私は唖然とする。明さんは頭をがしがし掻くと、両手を上げる。
「安心しろ。もうお前には手は出さねぇよ」
「そんな事、信じるわけない!」
「もう俺の目的は果たされた。これ以上輝を煽る必要はねぇ」
穏やかな表情だった。
私は警戒したまま、だけど確実に揺らいでいた。
本当に──?
でも、そうだとしたらどういうこと? 明さんの目的って?
「──この辺りにあるはずだ。分かるか?」
私はそんな明さんの言葉にある事に気づいた。
周りの影の位置をよく見る。
「……もしかして、未来空先輩と明さんの、実家?」
「御名答。輝の能力が開花した時――あいつは無意識に屋敷を出口に設定した。その時、この世界にきてからすぐ俺はこの世界の出口が屋敷の奥だと知った。あいつが出ていくのを見たからな」
「で、でも、明さんは、三日、闇の中を彷徨ったって先輩が言ってました。何故あなたはすぐに出口から出なかったの?」
「あぁ。迷ってた」
「……出口は知ってたのに?」
「いや、そうじゃねぇ。──置いていくか、連れていくか、迷っていた」
意味が分からずズンズン進む明さんに着いていくと、例の屋敷についた。
屋敷の中に入り、出口に向かうのかと思ったけど、違った。
明さんは慣れた様に屋敷の中を進み、地下へ進んだのだ。
地下室なんて、あったんだ……。
「飲み込んだものはそのままだからな。……ここだ」
明さんは先を顎で指した。
その先を見ると──牢獄のような小部屋があった。明さんはそっと首元のネックレスを外す。
その先には鍵があった。その鍵はおそらくこの部屋のだ。
「この部屋には、何が?」
「この部屋が、俺の目的だ。……、この事は絶対に輝には内緒にしてくれ」
私は息を呑み、その部屋へ入った。
その部屋には、二人の人間がいた。魂が抜けた様に、天井を見つめ続けている見知らぬ男女二人。その顔は、どこか未来空先輩と明さんに似ている。
まさか……!
「俺達の、両親だ」
未来空先輩は、両親に捨てられたんじゃなかったんだ! 最初に能力を開花した時、両親二人までも飲み込んでしまっていたんだ……。
私は二人に近寄ろうとするが、明さんがそれを止めた。
「やめとけ。精神は既に死んでいる。もう二年以上はここに閉じ込められてたんだからよ。この空間には感覚的な時間の経過はあるものの、身体的な時間という概念がないんだろう。だから二人は身体的には死んでねぇ」
「ど、どういうことですか!? なんで未来空先輩のご両親がこんな牢獄に?」
「……俺が閉じ込めた」
私は息が止まった。
「こいつらは能力が開花しない輝を一家の恥だと、幼い輝を本気で殺そうとしていた」
「え……!?」
「輝をどう殺すか話し合いを始める二人に俺は焦った。まだ小さい俺は、未熟な脳みそを必死に働かせて、ある事を考えたんだ。──輝を生かす為に、両親にこう言ったんだよ。輝は俺の“玩具”なんだから、勝手に殺すんじゃねぇってな」
明さんは俯く。
「俺は既に能力は開花済み。両親は俺の言う事なら、と輝を殺すのをやめた。それからだ。俺は親に見せつけるように──輝を──。あのクソ両親はそんな俺を見て笑顔でこう言った。『じゃあ、明が輝に飽きたら殺そう』ってよ」
あまりに酷い話だ。私は言葉を失い、立ち尽くすだけ。
「そのまま俺は俺の行為を止められず……輝を虐げ続けた。輝先輩を生かす為に……。そして、俺の馬鹿な選択のせいでいつしか両親までも輝を虐げ始めた。あの時、本当はあいつを殺しておいた方があいつは幸せだったんじゃないかと思う程、それはヒートアップしていった」
明さんは自嘲しながら、ぎゅっと拳を握り締める。
「そして、奴の能力は開花した。俺は逃げ遅れた両親と共にこの世界に放り投げられた」
私はもぬけの殻になった二人に視線を移した。口を開けたまま、ピクリとも動かない二人はまるで人形のようだった。
「そして俺はその時、闇に飲み込まれ、どうにかなってしまいそうなくらい取り乱してやがる両親を見て思った。このままここに閉じ込めれば、輝はこいつらから解放されるんじゃないかってな」
「それで、ここに二人を──? でも、じゃあなんで、生き別れた未来空先輩にまた嫌がらせを始めたんですか?」
「考え直したんだよ。万が一輝がここに来て、自分が両親を飲み込んでいた事に気付いたら、どう思うと思う」
──それは。
罪悪感で、我を失ってしまいそうだな……。未来空先輩はとても優しくて、脆い人だから。
「不安要素を取り除いておきたくてな。だがあの馬鹿、なかなか俺を闇に入れようとしなかった。逃げてばっかりでよ。そこでお前だ。お前にちょっかいをかけて、我を忘れてしまうくらい奴が能力を暴走させるように仕向けた」
「────」
明さんは念力で両親二人を操ると、ため息を吐いた。
「俺が言うのもなんだが、お前には、本当に感謝してる。俺の手であんなに捻じれちまったあいつから目を離さないでくれて、ありがとな」
明さんの手が、私の頭を乱暴に乱す。
私は何も言えなかった。涙だけが、感情に従って、溢れていく。
「──明さんと、輝さんは、もう──兄弟に戻れないんでしょうか──」
「……無理だ。分かってんだろ。もう俺はあいつを俺の玩具にした瞬間からあいつの兄でいる資格はねぇよ。事情を輝に話したとしても、はいそうですか仲直りですねっていう風になるような関係じゃねぇ。そもそも俺自身が俺を許さねぇ。絶対に。何があってもな」
でも、だって、そんなの、悲しすぎる。
私は声を上げて、しゃくりあげる。
そんな私に、明さんは少しだけ微笑んだ。その切なそうな笑顔はとても──輝先輩にそっくりだった。
「輝を頼んだぞ。……茉莉、だっけ」
「あ、あぎらざんば、どごにいぐんでずが……っ!」
「俺はあいつの前から完全に消える。この二人は責任もって保護する。だから──お前はこの事を輝に一生内緒にしてくれ。……頼んだぞ。言っておくが、もしこの事を輝にバラしたら、俺は自殺するぐらいやるぞ。……輝の世界に、もう俺はいらねぇんだ」
ポンポン、と軽く頭を叩かれ、明さんは──両親を連れてこの世界から消えた。
私はしばらく固まった後、フラフラと屋敷を出る。
屋敷を出ると、未来空先輩が泣きながらこちらに向かってくるのが見えた。
「未来空先輩、」
「桜。……さっきは、悪い。どうかしてたみてぇだ」
未来空先輩はすっかり落ち着いていたようだ。だが、足取りは私と同じくらいフラフラで、声も弱弱しい。
「桜……。生徒会は、俺の帰る場所は、なくなったりしねぇよな……なぁ?」
「……。はい。なくなったりしません。明さんももう先輩の前に現れないです。もう、大丈夫ですよ」
赤子をあやす様に、私は先輩の背中に腕を回した。
先輩はそれを聞いてさらに落ち着いたようだ。
──明さん、未来空先輩は私達に任せてください。
でも、だから、貴方も──きっとどこかで幸せに──どうか──。
それを願わずにはいられない。
そうして私は、未来空先輩の腕を引いた。
「先輩、じゃあ、帰りましょう」
「──どこにだよ?」
「決まってるじゃないですか。皆の元にですよ。あそこは、先輩と私の帰るべき場所です」
私はにっこりして、そのまま屋敷の奥に足を向けた。
先輩は弱弱しく、笑っている。
「……は、お前は本当に、変わらねぇな」
「はい。変わりませんよ。道しるべである私が変わったら、先輩が迷子になってしまいますから!」
私はそう言って先輩と一緒に勢いよく、だんだんと大きくなる光の向こうへ飛び込んだ──。
この後、私達がなかなか待ち合わせ場所に来なくて心配していた先輩達や朔に一緒に怒られてしまうのだった。
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