第12話 車内

 鋭い鳴き声に、富子も驚いた。しかし、相手も当然の如く、驚いたであろう。それ故の鳴き声であった。

 心臓が貫かれるか、とも思った富子ではあったものの、心が落ち着くと、その猫に近づき、抱き上げた。

 猫の方も、多少、怯え、又、困惑していた表情であったものの、富子が危害を加えないらしい、と分かると、表情が多少、和んで来たようである。

 その貨車内には、色々な大きな荷持が置かれてある。但し、どうも、郵便物等ではないようである。見た限り、荷物には、


・ 個人名


・ 会社名


・ 住所


等は記されていない。

 何かの軍需物資であろうか。或いは、そうでなくても、全てが、軍優先の日々であり、それが、この大日本帝国の

 <常識>

である。物資の内容については、

 <軍機(軍事機密)>

等が言われている。富子を含め、一般庶民たる社会の側には、預かり知れぬ話なのである。

 そして、富子にはいよいよ、預かり知れぬ話、つまり、今、「上部構造」(政治権力)がどのように、自身に迫っているか、を預かり知れぬ

 <殺人>

の容疑で追われる身である。

 <クロ>

の人物であった。最早、自身が、

 <闇>

そのものに為っていると言っても過言ではないであろう。逮捕されれば、警察から凄惨な拷問を受け、その場で殺されてしまうかもしれない。あるいは、それをどうにかくぐり抜けても、裁判にて、

 <死刑>

が判決として下だされたら?

 いずれも、彼女自身の意志にかかわらず、待っているのは、

 <死>

という、文字通り、永遠の

 <闇>

以外の何物でもなかった。そんな彼女が、

 <軍機>

について、なにか重大な情報を掴んでみたところで、やはり、待ち構えているのは、

 <死>

以外の何物でもない。もし、富子が今、

 <シロ>

の状態であるなら、軍機等、国家、軍の重大な情報を掴んでしまったならば、そこから、「上部構造」(政治権力)の手による

 <死>

の恐怖に怯えねばならないであろうものの、

<死の恐怖>

は、富子にとっては、既存のものであった。

 しかし、状況がどうあろうと、

 <死の恐怖>

を、消すことは出来なかった。

だからこそ、こうして、自身を自衛すべく、逃避行をし、<乗客>となっているのである。

 車内の一隅にて、胡座に為っている富子に抱かれた猫が、小さな鳴き声を上げた。メス猫であることが分かったこの猫は、富子に慣れて来たらしい。

 富子は同乗者たるこの猫に、声をかけた。

 「君は、どうして、この列車のお客さんに為ったのかな?」

 猫には、無論、人間の言葉はわからないであろう。しかし、富子としては、それこそ、暫く振りに、

 <音>

として、声を出したと言っても良い状況であった。それまでは自身の中に、

 <自衛>

故に、

 <音>

を封じ込め、自身の門の中に施錠することによって、

 <闇>

としていたのである。

 暫く振りに、声を出したことから、声を出したことに何か、違和感のようなものを感じた富子であったものの、外も変化し出して来ていた。車窓から日光が差し込んで来ていた。いつの間にか、夜が明けて来ていた。

 まだ暗いうちから、緊張を以って起き続けていたからであろう、眠気が襲ってきた。列車の軽い振動は、富子を快い眠りに誘う序曲と言えた。

 段々と意識が薄れ、彼女は眠気に抵抗できなくなって来た。

 「寝ている間に、もし、福岡までの中途の駅とかで見つかってしまったら?」

 それは、これ以上無い一大恐怖である。しかし、これ以上、睡魔の誘惑には勝てそうになかった。

 「仕方ないね」

 そう、一言呟くと、富子は、車内のいくつかの大型貨物に身を隠すような格好で眠りについた。猫は自身の鞄の中に押し込め、自身で抱いて寝た。中途駅等で、車内に臨検等が入った時等に、猫に気付いた鉄道関係者等が、詳細に検査することによって、彼女自身が発見されることが、言うまでもなく、怖かった。

 こうした点において、富子は既に逃亡者的立場に慣れ、

 <自衛>

の心構えができているようであった。

 富子は同乗者たる猫と共に、泥のように眠った。

 ・・・・・

 起きてみると、外は再び暗くなっていた。

 車窓から、外を覗いてみると、


・ 廣 島


とあるのが見えた。

 どうやら見つからずに、広島方面まで、何とか逃げて来れたらしい。

 鞄を開けてみると、猫も無事のようである。

 まだまだ、気は抜けないものの、やはり、一種の安堵感からか、富子は鞄の中に詰め込んでいた、旅館にいた時、旅館の夫婦から与えられたいた野菜を取り出し、塩をかけて食した。

 すると、猫も空腹だったのであろう、野菜をねだるような表情になった。

 猫は、与えられた野菜-といっても、小さな切れ端のようなものである-を、一気に飲み込むように食した。彼女も空腹だったのであろう。

 そもそも、この猫はなぜ、この列車の乗客になったのだろうか?

 東北、北海道を失った大日本帝国の政府、軍部は、

 <皇土奪還>

 <朝敵たる赤魔、討伐!>

を叫び、<北>こと日本人民共和国との対決姿勢を強めていた。

 とはいえ、満州国は崩壊し、朝鮮は既に独立し、中華人民共和国が成立し、それこそ、

 <赤魔>

に包囲されている中、残存している大東亜共栄圏の護持のみでも精一杯の大日本帝国である。最早、大東亜共栄圏は占領のための占領と化していることも、

 <常識の範囲>

の話であった。

 しかし、苦しい中で、それでも、

 <御一新、百周年>

ということもあり、

 「何が何でも、<北>を殲滅し、皇国の誇りを取り戻せ!」

ということが言われていた。富子自身も職場の電信局にて、ある種の叫びのようなこうした標語を目にしていた。

 しかし、物資不足が続く中、

 <北>

への反撃、侵攻はままならない、ということは、半ば、素人でも推測できる話であった。最近では、

 「赤魔たる<北>へ反撃し、皇土を回復するには、皇軍将兵のための防寒着が必要です。皆さん、奮って、供出しませう」

という標語が、そこここで見られるようにもなっていた。しかし、何を

 「供出しませう」

なのか?

 物資不足の中、衣類さえ窮乏する昨今である。故に、

 「供出しませう」

が、こんな状況の中でも僅かな心の癒やしを与えてくれる犬や猫等を指していることは、半ば明らかだった。ある地区では、

 <大東亜共栄圏護持>

のために、家族の一員として暮らして来たペットを泣く泣く手放したという話を聞いたこともあった。

 そうした中、この猫は、なぜ今、富子の同乗者になっているのか?

 その理由は、猫としての彼女が人間の言葉を喋れない以上、聞き出せない。しかし、

 <供出>

によって、悲惨な目に遭う前に、飼い主が何とか逃がすべく何らかの形で、この列車に乗せたのだろうか?あるいは、

 <供出>

を察した彼女自身が、難を逃れるべく、脱出したのか?

 いずれにせよ、富子同様、逃亡せざるを得ない立場にあるようであった。

 「同じ立場にある女同士ね」

 富子は、猫にそう声をかけ、一緒に旅をしようと言い、これからの家族にすることにした。周囲の殆ど全てが富子の敵であろう中、唯一の仲間になったと言えそうである。 

 家族になったからには、彼女にも名が必要であろう。

 ちょうど、広島駅に停車中だったので、広島の

 <廣>

にちなんで、

 <ヒロ>

と名付けた。

 「ヒロ、今日からあなたはヒロ。私達は家族」

と呼びかけた。

 ヒロも少しく、嬉しそうな表情になった。

 ヒロも今まで、色々、辛く、或いは、寂しい生活をしてきたのかもしれない。



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