第13話 さらなる関門
列車は再び動き出し、広島駅を離れ出した。ヒロを家族とした富子は、しかし、何時、彼女等が無断で乗車していることがバレ、
<逮捕>
という現実を突きつけられるか、分からない状況にあったのは、それこそ、変わらぬ事実だった。
「逮捕されれば、その後は・・・・・」
既にこれまで、心中にて自問自答して来た、それこそ命を失うような最悪の事態にまで進むかもしれない。
だからこそ、否応なしに、富子は自身を
<自衛>
すべく、逃避行を続けているのである。
今、富子たちが乗車しているこの貨物列車には、
<福岡行 5×××>
という表札が付いていたはずである。富子は内心にて呟いた。
「どうすべきか・・・・・」
福岡までは、身を隠し続けることができるかもしれない。しかし、福岡に着けば、自身は発見されてしまうであろう。この車内に座し続けていることは、半ば、そうした運命を自ら、受け入れるようなものである。
すべてを敵に回している以上、それは富子にとって、あり得ない選択肢であった。富子はさらに、心中にて呟いた。
「福岡に着く前に、どこかで、機を見て降りるべきね」
そして、ヒロに小声で語りかけた。
「いい、ヒロ。機会を見て、この列車から降りるけど、耐えるのよ」
車内は、暗くなって来ていたので、ヒロの反応というか、表情はよく分からなかった。しかし、ヒロの反応がどうあれ、改めて、富子への
<逮捕>
という終着駅に向かいつつあるこの列車は、先の旅館からの脱出時には、
<逃走列車>
とでも言うべき性格のものであったものが、今や半ば、
<囚人護送列車>
と化しているのである。逮捕という終着駅を避けるには、この列車からの脱走以外に選択肢はありえないはずである。
「ならば、どこで下車し、脱走すべきか?」
富子は関門海峡を越えて、九州に行ったことはなかった。この他、四国、北海道にも行ったことはなく、本州の中、しかも、関東一円しか知らない人生を送ってきた。
故に、今回の逃避行が、最初にして最長の旅であり、その旅が、文字通り、
<命>
をかけた大冒険であった。
富子は、女学校時代、地理の時間に学習した日本の内地地図を大まかながら、脳裏に描いてみた。
「この列車は、既に広島を離れた。後は、山口県に入るはず。既に暗くなっているから、夜の闇を利用して、何処かで密かに降りましょう」
列車は、西に向けて走り続けている。時々、この列車を牽引している蒸気機関車の野太い汽笛が鳴るのが聞こえて来る。
既に、泥のように眠ったからか、今は、同じく揺れる列車の車内であっても、眠気を感じない。それどころか、再び、
<自衛>
のため、何処かで密かに下車しなければならない、という緊張感も加わり、富子を眠らせないようであった。
再び、列車旅は、夜になっていた。この夜の間が脱出の機会であることは言うまでもない。
勿論、夜の間とは言え、見つかれば、一巻の終わりである。故に、行動はこれ又難しい。しかし、これも又、乗り越えなければならない
<関門>
である。
広島を出てから、2時間か。3時間程、経ったであろうか。暗闇の中、しかし、富子は、腕時計を自身の顔に近付け、目を凝らして、時刻を確認してみた。時計の針は、
・午後10時30分
を指していた。車内は、それこそ、
<闇>
に包まれ、車外を車窓から覗けば、車外も同じく、
<闇>
に包まれていた。
「闇が支配している」
とは、文学作品等、書物の中等で見聞する語句ではあるものの、今の列車の内外のみならず、大日本帝国の電力停止は今や、全国共通であることは言うまでもないことであった。
夜空の下を走っているこの列車が、何処かの駅、しかも、人々に目立たない何処か、やはり、貨物ホーム等にでも停車してくれるのが、理想的な逃亡環境と言えようか。
ヒロがかすかな鳴き声を上げた。
「しっ!」
暗がりの中とはいえ、富子はヒロの動きを厳しく制した。
「私達は、もうすぐ、この列車を降りるの。見つかったら、一巻の終わりよ」
小声とはいえ、貫くような鋭い口調である。
この一言は、富子の置かれた現況を反映した一言であると同時に、
<闇>
を利用し、味方につける必要が有る以上、大声は出せない。それ故に、口調の方が一層、厳しいものになったようである。
相変わらず、列車は車体を揺らしつつ、走り続けている。しかし、1時間程、経っただろか。列車は停車した。
車外からは、走り続けてきた蒸気機関車も
「一休み、一服」
とでも言っているかのような、軽い蒸気音が聞こえて来た。
富子は車窓から外を覗いてみた。列車はホームに面して停車していた。富子はさらに、逆の車窓を覗いてもみた。こちら側は線路に面している。
「今が、下車の好機」
と見た富子は、
「ヒロ、静かにしているのよ。降りるから」
またしても、小声で注意を発すると、乗車時と同じく、貫通扉を静かに開け、左右を確認しつつ、注意深く、線路上に降りた。
改めて、砂利が足裏の感覚となった。しかし、何よりも怖いのが、砂利を踏む音が、現在の富子の味方であるはずの
<闇>
を破ることである。慎重に動いていると、移動に時間がかかり、そのうちに見つかってしまうかもしれない。かといって、急げば、音が大きく響くかもしれない。加えて、見ず知らずの場所なので、何処にどう向かえば、上手く脱出できるのか、皆目、検討がつかない。
「!?」
誰かが近付いて来る気配がした。富子は、先程、降りた列車とは別の傍らの貨車の下に、咄嗟に潜り込んだ。
富子が潜り込んでいる脇を、数人の男達が通り過ぎて行った。やはり、鉄道員達であろう。
「後、もう少し行けば、西の下関だ」
「さっき、着いた列車、何を運んでいたのかな?」
「さあな、朝鮮が独立して中立国になったとはいえ、日本と睨み合っているからな。何かの軍事物資かもな」
「そんなことを口にするな。軍機についての自覚が足りんとか、又、上にひどい目に遭わされるかもしれんぞ」
「あ、はい」
どこもかしこも、
<闇>
だらけである。しかし、夜空という
<闇>
はいずれ、明けてしまう。富子は数人の男達が去って行った頃合いで、貨車の下から這い出し、鞄の中を確認した。
ヒロは無事なようである。富子は、先程まで自身が乗って来た貨物列車の機関車の位置から、大雑把な方角を割り出し、まず、北の方角に歩き出した。
なぜ、北なのかは、分からぬものの、じきに西へと方向転換すべく、とにかくも歩き出した。
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