第3話 回覧板


 台所仕事を終えた妙子は、則子に言われた回覧板を見てみることにした。台所から、居間に移ってみると、ちゃぶ台の上に、回覧板が置かれてあった。

 「さて、どんな事が書いてあるかな?」

 妙子は、回覧板を手にとってみた。その瞬間、妙子は表情が厳しくなり、心中にて、

 「やはり」

と、声にせざるを得なかった。

 「わが皇国は今、引き続き、その誇りと存続をかけた非常時にあります。

 我が隣組としても、このことを肝に銘じ、弛むことなく、銃後の備えを怠らないよう、自覚せねばなりません」

 ここまでは正に、月並みな

 <変化なき日々>

の表現であった。しかし、その後には、次のようにあった。

 「誠に遺憾なことに、我が近隣の柴田家から、犯罪者が出てしまいました。こうした行為は、銃後の備えを崩し、治安を悪化させます。自覚の足りない言動は厳に慎まなければなりません」

 換言すれば、

 「治安を悪化させることが、銃後の備えを崩し」

と言いたいのであろう。

 昭和43(1968)年の今日に至っても、回覧板にある通り、

 <非常時>

が、

 <変化なき日々>

として、常時となっている大日本帝国では、壁に貼られたポスター等に、

 <我が銃後の守り、鉄壁たらん!>

 あるいは、

 <自覚せよ!僅かな油断、小さな一穴が、銃後の脅威!>

という標語が見られる。

 今回、柴崎富子が、殺人を犯したとされることによって、

 「治安を悪化させることが、銃後の備えを崩し」

ということであれば、

 「警察は、それこそ、銃後の備えを護ることに忙しいのだ。治安が悪化すれば、それだけ、警察の仕事が増え、銃後の備えは弱体化するのだ」

ということだろうか。少なくとも、所謂

 <建前>

としては、そのように読める。しかし、回覧板の記事は、やはり、それこそ、

 <建前>

としてしか読めない。なぜならば、闇物資の取引等に見られるように、

 <本音>

としては、治安はあちこちで、最早、

 <破れかぶれの穴だらけ>

という状態であり、治安の番人たる警察官とて、闇物資に手を出していることは公然の秘密であろう。

 勿論、それでも、

 「警察官としても、生活のため、法や秩序を無視して、闇物資に手を出している」

等とは言わない。

 しかし、闇物資は半ば、取り締まられていない。警察が動いていれば、抑え込まれたはずである。それが抑えられていないのは、警察とて、闇物資に手を出しているはずであり、それは、

 <変化なき日常>

から、容易に想像がつくことであった。最早、

 <皇国・日本>

こと、大日本帝国には、日常生活からして、

 

 <表>-<闇>


の境界線は、ほぼ消滅しているのであり、言い換えれば、

 

 <建前>-<本音>


の境界線の、実質的消滅とでも言うべき現象に陥っていたのである。

 そうした

 <変化なき日常>

の中で、改めて建前を言って来たのが、今日の回覧板と言えるだろう。回覧板の中の

 <皇国>

等は、それこそ、

<変化なき日常>

として、各隣組内の多くの世帯、人々にとって、然程、気にもならないことであったろう。しかし、富子が犯したとされる

 <殺人>

という、

 <変化なき日常>

を破る事件は、既に町内中の話題となっていることであろう。そして、

 <変化なき日常>

は、言い換えれば、

 <時の止まった日々>

でもあった。読書好きである妙子は、以前、

 「戦国期にもかかわらず、戦乱に巻き込まれることもなく、時の流れが止まったかのような日々の中、ある寺院で小僧をつとめる石田三成のもとに、ある日、豊臣秀吉の一行が訪れ、秀吉に見出された三成は、豊臣家に使えるようになり・・・・・」

という一節を目にしたことがある。

 しかし、見出されたとはいえ、それはそれで、大変なことかもしれない。戦場に駆り出されたら、戦死、戦病死、あるいは、戦傷等の恐怖が、ほぼ例外なくつきまとうであろう。現代の時代に置き換えれば、一般の

 <社会>

を為す妙子を含めた各

 <個人>

が、そうした悲惨な境遇に置かれるということであった。故に、いつだったか、健児が生まれる前、妙子は、夫の幸長に、とりあえず、戦乱になっていなくて良い、という意味で、

 「(現代があたかも)江戸時代でも、いいじゃない」

という意味のことを言ったことがあった。江戸時代は

 <太平の眠り>

とも言われた時代でもあった。

 <変化なき日常>

と化している昭和43年の大日本帝国にとって、

 <目を覚ませるもの>

といえば、ほとんど何もないであろう。故に、富子の件は、町内での話題をさらっていることが想像できた。あるいは、昨年、健児と一緒に見に行った陸軍記念日のような政府主催の催し物等が、その類かもしれない。

 あるいは、生活をつなぐ配給等が、その時、その時で、ささやかな喜びとして、

 <目を覚ませるもの>

ものかもしれない。そして、江戸時代には、食糧は、多くの

 <水呑み百姓>

等にとっては、そういう意味のものであったのであろう。

 「結局、時代が変わっても、庶民の暮らしは変わらない」

 妙子は思わず、呟かざるを得なかった。しかし、こうした呟きは、

 <皇国・日本>

への体制批判ともとらえられかねない。無論、これには注意せねばならない。

 回覧板の記事から、ある種の思いにふけっていた妙子は、生活への不満、そこから、体制への怒りの感情になっていたものの、守るべき

 <建前>

に改めて気付かされた。

大ぴらに口にすることはできない言葉が存在するのであり、こうしたところでは、しっかりと、守るべき

 <建前>

が生きていた。

 「しかし、柴崎さんのお宅、どうなってしまうのかしらね」

 妙子は急に、富子の実家について口にした。あるいは、自身の生活への不満による怒りが感情的に爆発するのを防ぐべく、敢えて、心中での話題を変えたのかもしれない。

 妙子は、町内を歩いていた時、町内の人々が、柴崎家の悪口ともとれる言葉を口にしていたのを耳にしたことがあった。

 「柴崎さんちのおかげで、私達、警察に目をつけられたら・・・・・」

 こうしたことについては、正直、妙子も、それには恐怖せざるを得なかった。結婚前の女学生時代、夫・幸長への警察からの暴力は、未だに消えぬトラウマである。

 「ただいま」

 玄関の方から声がした。健児が学校から帰って来た。

 「あ、おかえり」

 妙子は返した。そして、

 「すぐに宿題するのよ」

と、半ば、健児に自室に真っ直ぐに入るように促した。




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