第2話 ある日の村田家


 「しかし、柴崎さんのお宅、どうなってしまうのかな?」

 <変化なき日々>

をいつもの如く生きつつも、ある日、それこそ、変化なき日々のそれであった夕食後の食器片付けを行いつつも、妙子は内心にて思った。

 既に石鹸も少なく、配給量も滞りがちな昨今、しかし、今日も変化なき日々のそれとして、食器を水洗いしていた妙子であった。台所のこの水も、水道代が惜しいので、自宅敷地内の井戸から汲んで来た水である。お手伝い、として、息子の健児に井戸から汲んで来させた水である。

 家の裏に位置する井戸は、夜は暗がりの中にある。妙子は、小さかった頃は、夜は暗がりの中には、

 「おばけが出る」

などと、大人に脅かされたこともあった。かつて、親戚の屋敷に行った時、おばの春江に脅されたこともあった。春江は冗談まじりに言ったのであって、特に他意はなかったのであろう。しかし、幼かった妙子には、かなりの恐怖だった。

 母になった今、妙子は息子・健児に同じ思いをさせているのかもしれない。健児は、この種の

 <恐怖>

については、特に口に出して言ったりはしない。物心ついた頃から、しばしば、電気が点かず、灯火が消えることがあるので、既に慣れっこであり、あるいは、

 <恐怖>

そのものを感じないんのかもしれない。

 あるいは、

 「夜は怖いから、井戸のところまで行きたくない」

等と言うことによって、それを母・妙子に、口答えした等と、妙子に怒られることの方が、余程、

 <恐怖>

かもしれない。

 妙子は、台所仕事をしながらも、

 「健児に対する自分の態度は、これで良いのかしら?」

と自己批判的に思っていた。

 <変化なき日々>

は、換言すれば、今、自身が為している台所仕事を含め、家事、渡辺家から借りている畑仕事、隣組の回覧板を確認すること等であった。

 これ以外に特に大きな変化はない。それが、

 <変化なき日々>

の実態であった。日々、同じことの繰り返しである。

 そんな状況なので、日々の繰り返し作業以外の時には、必然的に時間が空く。

 <暇>

ができるのである。暇と称せられる、そうした時間は、妙子に考える時間を与えるのである。

 もともと、読書好きな妙子である。夫・幸長の書籍を読むことで、彼女なりに思索する状況が、妙子にとっての

 <暇>

における、時間の使い方であった。

 そして、そうした時間に、心中にて色々と考え、空想に浸るのが、妙子にとっての楽しみと言えた。

 <空想>

の世界を楽しんでいるのは、息子の健児も同じであった。この点は親子としての遺伝もあるのかもしれない。しかし、

 <空想>

は、飽くまで、自身の心中の世界でしかなかった。それを口に出して、現行の体制に対する批判など、口にしようものなら、勿論、

 <ただでは、すまない>

のである。特高、憲兵等のお世話になりかねない。これも既に長らく続いている、この国の常識であった。

 しかし、他方で、食糧不足をはじめとした物資不足の昨今である。特高、憲兵にもいわば、

 <おことづけ>

をしておけば、それなりに見逃してもらえるわけである。それができなければ、場合によっては、逮捕等もあり得るかもしれない。それは、庶民が自身の生活を自衛するための

 <生活費>

とでも言えるかもしれない。<費用>を払えば、何とかなる、どうにか、生活が維持できる、という意味では、やはり、

 <タダより高いものはない>

とも言えそうである。

 「妙子さん」

 「え?」

 姑の則子から、声がかかった。いつもの

 <変化なき日々>

としての台所仕事をしていたとはいえ、いつの間にか、妙子は空想の世界に入り込んでいたようであった。

 「あ、お義母さん、すみません」

 「最近、どうしたのかしら?」

 則子の問いに、妙子は、

 「すみません、いろいろと思うことがあって」

と自信が先程まで、空想の世界にいたことを認めた。

 しかし、そんなことは、則子にとっても、既に承知のことであろう。だからこそ、声をかけてきたのだ。

 「何を考えていたの?」

 則子は、妙子に、彼女の

<空想の世界>

の内容を問うて来た。

 「健児のこととか、色々ですね」

 「そうね、色々、あるものね」

 しかし、

 <色々、ある>

と言ったところで、変化なき日々の中に、一体、何が色々あるのか?やはり、妙子自身が言ったように、健児のことだった。

 「健ちゃん、大丈夫かしらね?」

 「ええ、まあ」

 妙子は、曖昧な返事をした。健児についての話題とはいえ、その健児についての話題の中には、まさに、

 <色々、ある>

ようなものである。一言では、言い表されないであろう。それゆえに、文字通り、

 「色々ですね」

という月並みな回答になったのである。そして、則子も、妙子の心中を察して、

「そうね、色々、あるものね」

と返答したのであろう。

 則子としても、母として、息子の幸長を育てるにあたって、色々と、あったに違いない。

 殊に、警察の<お世話>になったことは、妙子も知っている。口に出せなくても、

 <色々、ある>

のである。しかし、それを口に出すことは憚られるものがあるのであろう。もし、この話題が体制批判的な話に発展し、それが音として屋外に漏れ、それを、どこかで、誰かが密告したら・・・・・。こうした恐怖も、又、

 <変化なき日々>

のそれであった。

 先程まで、井戸水による台所仕事をしていた妙子は、言った。

 「井戸は、私達の生活を支えてくれていますね」

 話題の方向性を変えたとはいえ、やはり、

 <変化なき日々>

についての話題であった。妙子は、健児についての話題が続くと、話が複雑になるかもしれないし、また、そこから、

 <家庭内戦争>

が起こるかもしれない、と思い、話題を変えたのかもしれない。独身時代、実母・初江との家庭内戦争を実体験している妙子としては、とにかく、表面的であっても、

 <家庭内戦争>

は避けたかったようであった。

 則子が言った。

 「そうね、井戸水が確保できて良かった。江戸時代にうちの先祖が掘ったものだけど、井戸があるから、水道代が浮くしね」

 妙子も全く同感である。則子が続けた。

 「まあ、土木技術もなかったろうから、掘るのは大変だったろうけど」

 しかし、最早、東京市内での戦備工事でさえ、これといった土木技術がなく、手作業の土木工事である。昭和43(1968)年の現在は、様々に、江戸時代と変化がないように思われた。

 <北>

へ逃亡したと思われる江口涼子が、勤労奉仕で苦しんでいたのを、妙子は知っていた。江戸時代の人々も、そうした苦労をしていたのかもしれない。村田家の敷地内の井戸もそうした苦労によって、掘られたものかもしれない。そうした苦労は、先祖が支払った

 <生活費>

とも言えよう。そして、その御蔭で、妙子たちの生活が成り立っている面があった。

 よく、子供の頃から、

 「他人様に迷惑をかけるな」

とは言われれて来た。しかし、先祖-既にこの世に存在しないといえ-という他人の苦労をタダで使用している、という意味では、結果として、

「他人様に迷惑をかけている」

とも言えるかもしれない。

しかし、あれこれ、言っていられる状況ではないのである。闇物資がはびこっている現況では、官憲さえ、闇物資をめぐって、あれこれ、迷惑をかけているのである。

「他人様に迷惑をかけるな」

という建前と称せられる

 <表>

など、守っていられない、というか、既に


 ・<表>-<裏>


の境目など、存在しなくなっている昨今であり、それが常識でもあった。

 あるいは、井戸は、金銭に無関係の共有財産であり、掘削そのものからして、金銭と無関係に為されたものであり、先祖による無償奉仕と解釈すれば、

<生活費>

云々は気にしなくてもよいのかもしれない。しかし、江戸時代は一応は既に貨幣経済になっていたはずだから、金銭に無関係となれば、それ以前の社会に逆戻りしていると言えるかもしれない。

 「あ、そうそう、妙子さん、隣組から回覧板が来ていた」

 則子の言葉に、妙子はひっかかるものがあった。富子が殺人を犯したことについて、書かれているのかもしれない。妙子は、

 「分かりました。お義母さん、後で、確認しておきます」

 妙子は、返答すると、先程からの台所仕事に戻った。

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