第一章 出自と家風
第1話 原風景
日本は絹の国である。
古来、養蚕の技は農村の家々に受け継がれ、生糸は国の隅々で織られた。明治に至っては海外輸出の第一の産物となり、細い糸が外貨を呼び込み、鉄道を敷き、工場を建て、近代国家の礎を支えた。
後世の史家の一人は、これを「日本近代の富は一筋の絹糸に始まった」と記している。
だが「絹の国」という呼称は、後年には別の意味を持つようになる。川戸絹という一人の女性の名と重なり、国の歩みと結びついて語られるようになるのだ。
川戸家は三重県鈴鹿郡川崎村内に田畑二十町歩(約20ヘクタール)を有する富農で、村内では屈指の家産を誇っていた。父・川戸忠吉は若き日に上京し、自由民権運動に身を投じた後、郷里に戻って村会・郡会の議員を歴任した。進取の気性に富み、折にふれて子らに政治や世の有り様を語り聞かせた。
母・登美は四日市の商家から嫁ぎ、良妻賢母の鑑とされつつも女子教育への理解が深く、娘の学びを支えた。こうした家風は「教育を重んじ、時代の変化に目を閉ざさぬこと」として子らに受け継がれた。長女・絹は記者を志し、やがて政界に進んだが、五歳下の弟・
大正初年、川戸絹がまだ地元の尋常小学校へ通っていた頃の話が残っている。
夏休み中のある日。
朝、陽はまだ柔らかく、絹は母と一緒に桑畑へ向かった。蚕のための葉を摘み、手を黒くしながら小さな束にまとめる。下女が後ろで葉を運び、下男は水田の水の流れを確かめる。近くを通る小作の人々も、笑顔で、
「おはようございます」
と、声をかけていく。
作業を終えると、村の男の子たちがやってきた。
「絹ねえちゃあん、神社でかくれんぼしよう!」
「いいわよ!」
絹は母に声をかけ、近所にある
しばらく遊んでいると、境内に現れた神主さんに声をかけられた。
「みんなはここに祭られている神様――
子供たちが正直に首を横に振ると、神主さんは穏やかな声で話し始めた。
「この神社は、日本武尊さまが最期を迎えた場所に建てられたんだ。勇敢で賢い方だったが、人々のために悪い神と戦った後、ここで静かに眠られた……」
子供たちは、しばらくの間、神主さんの語る神話をおとなしく聴いていた。
神社からの帰り道に子供たちは
絹は両手を腰に当て、少年たちを指揮する。
「今日は探検隊を作るよ。きまりはこう。川の向こうの竹やぶまで行って、そこに見つけたものを報告するの。順番は私が決めるから、ちゃんと守ってね」
男子たちは目を輝かせて頷く。少し高いところに立った絹は、手に竹の棒を持ち、まるで隊長のように指示を出す。
途中で小さな水路に差しかかると、男子の一人が躓いた。絹はすぐに駆け寄り、手を差し伸べる。
「大丈夫、ゆっくり渡ればいいのよ」
その声に男子は安心して立ち上がり、再び列に戻る。
竹やぶに着くと、絹は目を輝かせながら、見つけたカエルや花を指さして名前を教える。
「これはトノサマガエル、これはオミナエシ。自然にもきまりがあるのよ」
子供たちは熱心に聞き、絹の後を追いながら、自然と指示に従う。絹は彼らの様子を見て、小さく頷いた。
──人を導くのは怖がらずに先に進むこと。そして、誰も置き去りにしないこと。
日が傾き、帰り道の土手で絹は振り返る。
「絹ねえちゃん、またねぇ!」
子供たちは満足そうに手を振り、絹も笑った。
後年、「川戸首相就任を祝する地元の声」(『伊勢日報』昭和35年7月20日号)には、以下のような回想記事が掲載されている。
A(当時、絹より三つ年下の近隣農家の子)
「いやあ、絹さんは怖かったよ。わしら男の子が喧嘩してると、すぐに来て『それはきまりを守らん方がいかん』って、びしっと言うんや。それが妙に筋が通っとって、気がつけば、みんな絹さんの言うきまりとおりに遊んどった。いま思えば、あれが人をまとめる力ってもんやな」
B(親戚筋、同じ村内)
「わしは年下やったで、よう『おもり』してもろたよ。田んぼのあぜ道を歩くときも、『こけたらあかんで』って手ぇ引いてくれる。叱るときはきついけど、困ったときはすぐ助けてくれる。そんな人やった。いま首相になったちゅうても、わしらにとっては昔のままの『やさしいねえちゃん』やな」
C(近隣の女性、同年代)
「よおく子供らの先頭に立って遊びを仕切っとった。男の子らも、絹ちゃんに言われると素直に従うんさ。『あの子は人の上に立つ器や』って、大人らもよう噂しとったわ。けんど、えらぶったことはなくて、わけへだてなく一緒に遊ぶ。あれはただのお転婆やない、まことに人の気持ちをよう分かる子やったんや」
夕方、家に戻ると、下男・下女が家事や畑仕事を手際よくこなし、父と母は畑の管理や帳簿の整理をしている。絹は下女の手伝いを受けて蚕室に入り、今日摘んだ桑を補充しながら蚕の世話をする。小さな手で葉を置くたびに、蚕がもぞもぞと口を動かす様子を見て、心が和む。
夜、絹は蚊帳の中で今日一日の出来事を思い返す。川遊び、神社でのかくれんぼ、そして日本武尊の話を思い返しながら、夏の匂いと桑の葉の香りに包まれて眠りについた。
1914(大正3)年、川戸絹は三重県立鈴鹿高等女学校に入学した。
鈴鹿高等女学校に入学した頃の川戸絹は、すでに身の丈が165センチ(5尺5寸)に達していた。教室で立ち上がれば、男性教師よりも高い時もあり、同級生の多くが肩のあたりにしか届かぬほどであった(大正期の日本人女性の平均身長は 148~150センチ前後)。そのためか、彼女はしばしば「
しかし、絹はそれを苦にする様子を見せなかった。むしろ「大女とはありがたいことです」と笑い、「背丈は父母より賜りし立派なもの。恥じるべきではありません」と言い放ったのである。その姿勢は、同級生たちのからかいを次第に封じ、やがて「絹さんは堂々としている」と畏敬をもって語られるようになった。
運動会の入場行進では、旗手を任されることが多かった。真っ直ぐに胸を張り、校旗を掲げて歩む長身の姿は、校庭の端に並ぶ父兄たちの目にも鮮やかに映ったという。土地のある古老は後年、こう語っている。
「わしら下の者から見たら、あの人はもう女学校の頃から、ようけ目立っとった。からかわれても平気で笑い飛ばす。あれは強いおなごやと思うた」
やがて年月が過ぎ、昭和の国会議事堂に立つ頃。議場に集う代議士たちの中でも、すらりとした絹の長身はひときわ目を引いた。壇上に立つその姿は、少女時代に「大女」と呼ばれたあの呼び名を、今や堂々たる「大人物」へと転じさせていたのである。
さて絹は入学直後、あっという間にあだ名がついた。武道(薙刀)の授業で、師範の先生が絹の姿を見てこう言った。
「川戸さんは甲種合格ですね」
徴兵検査で最高評価を意味するその言葉に、周囲の女子はくすくす笑った。絹は少し顔を赤くして、
「女に兵隊はありません」
とだけ言い返したが、大柄で健康な身体を恥じる気持ちは無かった。そして以後、「甲種合格」が彼女のあだ名となったのである。
座学の授業になると、絹の個性はさらに際立った。
国語の時間。教師が「歴史小論」という題で作文を書かせた時のことだ。絹は筆を走らせ、「歴史に女の名が残らぬのは、筆を執る者がみな男だからである」と書いた。提出された作文を読み上げた教師は一瞬言葉に詰まり、「……なかなか鋭い見方ですね」と苦笑いを浮かべた。教室はざわつき、「また川戸が変なことを書いた」と囁きが走った。だが絹の胸には小さな誇らしさが宿っていた。
国史の時間も同じだ。維新志士の話になると、彼女は身を乗り出して質問を浴びせた。
「先生、もし坂本龍馬が長生きしていたら、今の日本はもっと違っていたのでしょうか?」
「討幕には多くの勤王の志士の名が残っていますが、なぜ女性の名は少ししか残らないのでしょうか?」
教師は「それは時代というものだ」と答えるしかなかったが、教室の空気はいつも絹の一言で少し揺れるのだった。
一方で、彼女には苦手な時間もあった。
数学の授業で黒板に立たされたある日。因数分解の式を解くようにと指示されたが、絹はチョークを握ったまま固まってしまった。頭では理屈を追えるのに、数字を操ると手が止まるのだ。
「川戸さん、大柄でも数字は動かせぬか」
教師の軽口に教室はどっと笑いに包まれた。絹は顔を赤くしながら、結局、
「すみません」
と言って、席に戻った。
だが、科学の時間は違った。顕微鏡を覗き込み、池の水の中に蠢く微生物を見たとき、彼女の瞳は輝いた。
「先生、これが生きてるんですか?」
そう尋ねる絹の声には抑えきれぬ好奇心がにじんでいた。数字には弱くても、自然の仕組みや人間の体の不思議に触れると、彼女の心は弾んだ。授業後には科学雑誌を図書室から借り出し、休み時間も夢中で読みふけった。
武道の授業になると、絹はまさに水を得た魚だった。薙刀を握ると、その長身と長い腕は威力を発揮した。ある日の稽古で上級生を鮮やかに打ち倒したとき、道場は一瞬しんと静まり返り、やがて「さすが甲種合格!」という笑いと拍手が湧いた。
絹は額の汗を拭きながら、ほんの少し笑みを浮かべた。女らしくないと言われようとも、強さの手応えを感じる瞬間があったのだ。
しかし、家庭科の時間はまた別の試練だった。
裁縫はそれなりにこなせるが、料理となるとなぜか失敗が多かった。
調理室に鉄鍋の匂いと白い湯気が立ちこめる。今日は「米の炊き方と味噌汁」の実習だった。女学生たちは袴の裾をたくし上げ、真剣な面持ちで火加減に気を配っている。
絹は大柄な体をかがめて羽釜の蓋をのぞき込み、薪をぐいっと押し込んだ。
「よし、火は強い方が早く炊けるはず」
その判断が運命を決めた。
ごうごうと燃えさかる炎。隣で見ていた親友の田中千代が慌てて声をかける。
「絹さん、強すぎよ!」
「大丈夫、大丈夫。力強い方が美味しいはずだわ」
しばらくして蓋を開けると、上の方はまだ半生、下は真っ黒に焦げていた。煙がもくもくと立ち上がり、周囲から笑い声が起こる。
「川戸さん、それはご飯ではなく炭ですよ」
教師の冷たい一言に、教室はどっと笑いに包まれた。
さらに味噌汁では、絹は豪快に塩をひと握り入れてしまった。味見をした瞬間、顔をしかめて「うっ」と声を漏らす。隣の千代が慌てて水を足して調整するが、もう遅い。
「これでは兵隊さんの塩漬けか何かですね」
またも教師の皮肉が飛ぶ。
同級生たちはくすくす笑い、「甲種合格も台所は落第ね」と囁き合った。
絹は苦笑しながら、焦げた鍋を必死に磨いた。手は黒く煤だらけになったが、どこか誇らしげだった。
「……まあ、薙刀なら誰にも負けないけどね」
千代はため息をつきつつ、焦げた鍋を横から手伝って磨いてくれた。
「絹さん、お嫁に行くときは、旦那さまに炊事奉公を雇ってもらうしかないわね」
二人は顔を見合わせ、声をあげて笑った。
これらのエピソードは、絹が入学した鈴鹿高等女学校の後身である三重県立亀島高校が編纂した『亀島高校七十年史』(三重県立亀島高校同窓会、1980年)に収録されている。
だが絹の胸の奥には、どうして料理が女の価値を決めるのか、釈然としない思いが渦巻いていた。
そんな日常の繰り返しの中で、絹の心には少しずつ「自分はこの枠に収まらない」という焦りが募っていった。
友人たちが休み時間に「誰それの縁談が決まった」と楽しげに話すのを横目に、絹は机に科学雑誌を広げた。
「どうして皆、結婚ばかり気にするんだろう? 女がもっと学んで、世の中の役に立つ道はないのだろうか?」
そんな思いが芽生えるたび、「私は居場所の狭さを感じた」と、絹は晩年になって回想している。
1917(大正6)年、夏。
夏の川崎村は、田の緑がまぶしく、遠く鈴鹿山系の稜線が青く霞んで見えた。畦道にはひまわりが咲き、風に揺れてざわざわと音を立てる。水の張られた田んぼには、青い空と白い雲が映り込み、蛙の鳴き声が夕暮れまで絶え間なく響いていた。
村の小路を行き交う人々は、麦わら帽子をかぶった農夫や、行商の男性。そこを時折、子供たちが駆け回る。
川戸家の庭先では、梅の古木が日差しを遮り、蝉の声が木漏れ日の中に溶け込んでいた。縁側には藁草履が揃えられ、井戸端からは冷たい水の音が聞こえる。
村道を抜けると、小川にかかる木の橋があり、涼を求めて子どもたちが水遊びをしていた。川の流れは澄んで、小さな魚が光を受けて銀色にきらめき、絹は思わず手を伸ばしてみたくなる。
この夏の空気は、生き物すべてが力強く息づいているようで、村全体が一つの大きな生命のように感じられた。熱気と風と水の匂いに混じり、遠く線路を走る汽車の音が、夏の静けさにほんの少しだけ文明の気配を加えていた。
絹は鈴鹿高等女学校の四年生。来年には卒業を控えていたが、その胸中には未だに燃えるような学問に対する好奇心が渦巻いていた。国語や国史の授業で史書や古典を繙くと、言葉が自在に形を変えて広がってゆく。時に教師を驚かせるほどの作文を書き、友人の間でも「文章なら川戸」と一目置かれていた。
しかし、女学校の教育はあくまで「良妻賢母」のためのもの。礼法、裁縫、調理といった授業に重きがおかれ、薙刀以外では絹の大柄な体格も「大女」として囁かれることがあった。背丈は165センチを少々上回るほど、腰と腿は力強く張り、胸も豊かだった。現代ならアスリート系美人かグラビアアイドル並みと評されただろうが、当時の基準からすれば「少しばかり大きすぎる娘」であった。
そんな絹の前に、ある日、一人の青年が現れた。
県立
絹と兼次の父親は若い頃からの親友で、互いに苦学を支え合った間柄である。その縁から、早くから「いずれは縁組を」と話を決めていた。
とはいえ、絹にとっては晴天の霹靂だった。ある日、父に呼ばれて座敷に入ると、黒紋付に身を固めた謙次が静かに座していた。
「こちらは櫻井謙次さんだ。おまえの縁談のお相手になる」
父の言葉に、絹は目を瞬いた。女学校四年生の自分に、もう縁談の話が来るとは思いもしなかったのだ。
謙次は眼鏡の奥で目を細め、にこやかに微笑んだ。
「初めてお目にかかります、絹さん。いや、無沙汰と言うべきでしょうか。幼い頃に一度だけお会いしたことがあるそうですが……」
その声音は穏やかで、知的な響きを帯びていた。
絹は緊張のあまり、思わず頭を下げた。
「……よっ、よく存じませんで、失礼いたしました」
そのぎこちなさに、謙次はかえって興味を抱いた。父親はさっさと部屋を出て行ってしまったので、これ幸いと絹に訊く。
「国史が得意と聞きましたが、何を読んでいるのですか?」
「このあいだは『日本外史』を。ことばの運びが格好よくて……でも、先生は『女の子には向かない』と」
絹は拗ねたように言った。だが謙次は真面目にうなずいた。
「あなたの作文を、ぜひ読んでみたい」
絹は自分の勉強部屋から急いでノートを取ってくると、顔を赤らめながら「どうぞ」と差し出した。
そこには女学校の作文課題「私の理想」が綴られていた。
「人の声、正しく世に達せらるる世の中ならんことを切に願ふ」
力のこもった言葉で結ばれていた。
謙次は読み終えると、顔を上げて言った。
「……これなら僕が勤めている新聞社でも立派に記事が書けそうだ。あなたは、ただの縁談の相手ではなく、僕が求めていた人かもしれない」
「そんな……」
「いや、文章の力は侮れません。あなたのように筆をとって考えを形にできる女性は貴重です。僕は法学を学びましたが、結局は言葉を扱う世界にいるのでわかります」
真面目な顔でそう言われて、絹の胸は熱く高鳴った。
しかし。
東京の新聞社勤めであった謙次が、なぜこの時期、故郷へ帰ってきたかというと、1914(大正3)年に始まった欧州大戦の影響である。
1917(大正6)年に発足した
東京第一、仙台第二、名古屋第三、小倉第十二、宇都宮第十四、京都第十六の各師団にまず動員令が下った。
「……でも、どうして京都の部隊に入るのです? 東京で暮らしているのに」
絹の問いに、謙次は笑って首を振った。
「兵隊は住んでいる場所じゃなくて、本籍地で呼ばれるんだ。僕の戸籍は三重のままだから、京都の第十六師団の管轄になる」
「本籍、そんなことで……」
絹は唇を噛んだ。紙切れ一枚の違いが、彼を遠く戦地へ連れて行こうとしている。
「どうして、急に少尉さんになれるの?」
「帝大を出た男は、皆そうなるんだよ。士官の肩書きだけは自動的についてくる。予備役っていって、ふだんは民間人なんだけれどね」
謙次は軽く笑って見せたが、その目には影があった。
「だから、召集がかかれば断れない。新聞記者だろうと何だろうと……軍服を着るしかないんだ」
謙次は胸から、一枚の薄い紙を取り出した。
「これが、召集令状だ」
絹は思わず手を伸ばしかけて、引っ込めた。
白い紙片の上に書かれた文字が、二人を切り離そうとしているように見えたからだ。
「……帝大まで出て、記者になったのに」
「帝大を出たからこそ、少尉なんだよ」
謙次は苦笑いしながら言った。
「君は、もっと学んだ方がいい。」
唐突にそう言われ、絹は驚いた。謙次は続けた。
「フランスでは、女性も大学で学び、新聞社で働いている。工場では男に混じって働き、声を上げている。日本も変わらなければならない。君のような人が、その先駆けになるべきだ」
絹は顔を赤らめ、胸が高鳴るのを抑えられなかった。女学校では「良妻賢母」ばかりを教えられ、学問に飢えていた。もっと本を読み、もっと文章を書きたいと願っていたのに、それを理解してくれる大人はほとんどいなかった。だが、今、目の前にいる青年は、はっきりと「学べ」と言ってくれたのだ。
絹は唇を噛みしめ、ただ頷いた。胸の奥に熱いものがこみ上げてきた。
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