第18話 街道に立ちのぼる煙

 森の木々の切れ間から、黒い煙が立ち昇っていた。

 ただの焚き火ではない。焦げ臭さと鉄のような匂いが鼻先を突き、胸の奥をざわつかせる。


 「……街道沿いか」


 小さく呟くと、母狼が低く喉を鳴らした。ルナも耳をぴんと立て、落ち着きなく周囲をきょろきょろと見回している。

 放っておけば、俺たちの生活に支障はない。森に戻れば、今日も狩りをして、焚き火を囲んで眠れる。


 けれど――。


 「……見てしまったからには、な」


 自分に言い聞かせるように言葉を落とし、銃を握り直した。

 森を抜ける風は妙に湿っていて、遠くで爆ぜる音が微かに響いていた。炎の匂いが濃くなるのと同時に、胸の鼓動が早まっていく。



 やがて木々を抜けると、視界が一気に開けた。

 そこには十数軒ほどの小さな集落が広がっていた。

 しかし今、そのほとんどが炎に包まれている。


 屋根は赤黒く燃え上がり、火の粉が風に舞って空を覆う。壁は焼け焦げ、柱が悲鳴をあげるように軋んでから崩れ落ちていく。

 熱気が押し寄せ、顔が焼けつくように熱い。煙が目に沁み、涙で視界が滲んだ。


 「ぎゃああああっ!」

 「助けて! 誰かっ!」

 「逃げろ、逃げてぇ!」


 人々の悲鳴が入り乱れる。

 母親は子供を必死に抱き締め、老人は杖を突きながら震える足で逃げ惑う。

 その背を追うように、粗末な鎧を身に着けた盗賊たちが笑い声を上げて迫っていた。


 「ひゃははっ! いい声で泣くじゃねぇか!」

 「男は殺せ! 若ぇ女は捕まえろ! 楽しんだあとで売り払ってやる!」


 獲物を狩る肉食獣のような目。だが、そこに理性も慈悲もない。

 剣が振り下ろされ、無防備な背に突き立つ。血しぶきが舞い、倒れた男の呻き声が途絶える。

 盗賊たちはそれを見て、腹を抱えて下卑た笑いを上げた。


 「ぎゃははっ! ほら見ろ、転がったぞ!」

 「泣け泣け! 泣く顔が一番高く売れる!」


 胸がむかつくほどの怒りが、じわりとせり上がってきた。


 その時だった。


 逃げ惑う列の最後尾で、小さな影が盗賊にしがみついていた。

 十歳ほどの少女。痩せた腕に必死の力を込め、棒切れを振り回しながら声を張り上げている。


 「離せっ!」


 か細い叫びが、炎と怒号の中でもはっきりと耳に届いた。

 盗賊の男は一瞬たじろいだが、すぐに顔を歪める。


 「チッ……ガキが」


 剣が振り上げられる。

 その一瞬、時間がゆっくりと流れたように感じた。

 少女の瞳には恐怖ではなく、必死の抵抗の色があった。

 だが次の瞬間、鋭い金属音が響き、細い体が地面に崩れ落ちた。


 赤い色がじわりと広がり、土を濡らす。

 瞳は大きく開いたまま、二度と瞬きをしない。


 「……」


 胸の奥が焼けつくように熱くなり、息が詰まった。

 迷っている間に、一つの命が、こうして消えた。

 俺はまだためらっていた。だが目の前のこいつらは平然と命を奪い、笑っている。


 「……迷う必要はない」


 銃を構え、狙いを盗賊に定める。

 怒りで震える指が引き金にかかった。


 ――ドンッ。


 轟音が鼓膜を打ち破り、盗賊の上半身が爆ぜた。

 血と肉片が飛び散り、残された下半身だけが地に崩れ落ちる。

 壁や炎に赤黒い飛沫が散り、ぎらつく光で照らされた。


 「な、なんだ!? 魔法か!?」

 「ひぃ……ひいいっ!」


 盗賊たちが振り返り、恐怖で顔を引きつらせる。

 俺の銃口からは白い煙が立ち昇り、空へと溶けていった。


 最初の一撃で仲間の上半身が吹き飛んだ光景に、盗賊たちは恐怖に硬直した。

 だが次の瞬間、恐怖を怒りで塗り潰すように叫び声を上げ、こちらへ雪崩れ込んできた。


 「ぶっ殺せぇっ!」

 「ガキが調子に乗りやがって!」


 剣が炎を反射し、ぎらついた光を撒き散らす。



 その刹那、母狼が咆哮を放った。

 大気が震え、地面が鳴動するほどの声に盗賊たちの足が止まる。


 巨体が疾風のごとく駆け抜けた。

 ――次の瞬間。


 盗賊の首から上が食いちぎられていた。

 母狼の顎が開いたと思った時には、すでに頭部は消えていた。

 見えたのは、残された胴体が地に崩れ落ちる光景と、飛び散る血の噴水だけ。

 赤黒い飛沫は雨のように降り注ぎ、炎に照らされて宝石のように煌めいた。


 「ひぃっ……!」

 悲鳴をあげた別の盗賊の肩を、母狼の前足が薙ぎ払った。骨が砕け、体は宙を舞い、地に叩きつけられて動かなくなる。



 「わふっ!」


 ルナが弾丸のように飛び出した。

 小さな顎が盗賊の喉に突き刺さる。

 「ぎゃあああ!」

 必死に引き剥がそうとするが、ルナは首を激しく振り、喉の肉ごと引き千切った。

 温かい血が雨のように降り、盗賊は目を見開いたまま崩れ落ちた。


 別の男がルナを蹴り飛ばそうと足を振り上げる。

 その瞬間、ルナは飛び上がり、脚に噛みついた。肉を裂かれた男は転げ回り、次の瞬間には首に牙が突き立ち、絶命した。



 「……っ!」


 俺は銃を構え直し、迫る盗賊に魔力を込めた。


 ――ドンッ。


 火弾が放たれ、男の全身が炎に包まれる。

 「ぎゃああああ!」

 黒煙と共に肉が焼け、焦げ臭さが辺りに広がった。体はのたうち回ったのち、黒い塊となって崩れた。


 「次っ……!」


 氷弾を撃ち込む。

 盗賊の体が瞬時に氷結し、恐怖に歪んだ顔のまま凍りつく。

 やがて――バキリ。

 氷像は砕け散り、白い破片と共に赤黒い肉片が飛び散った。


 さらに風弾を叩き込む。

 「ぐっ……がはっ!」

 体の中央に大穴が穿たれ、内臓が散乱する。

 風圧で吹き飛ばされた体は木に叩きつけられ、糸の切れた人形のように落下した。


 母狼が三人目を前足で押し潰し、爪で胸を切り裂く。

 ルナは二人目の首を噛み千切り、牙を血に染める。

 銃声と咆哮、悲鳴と骨の砕ける音が入り乱れ、炎の中で地獄絵図が完成した。



 数分も経たぬうちに、盗賊は全員絶命していた。

 地面には首のない死体、炭となった死体、氷片に砕けた死体が折り重なり、血が川のように流れていた。

 炎の赤と血の赤が混じり合い、焼ける臭いが辺りを満たす。



 「……」


 生き残った住人たちは震える足で姿を現した。

 怯えた目をしながらも、盗賊の屍を確認すると、やがて犠牲者を集めて墓を作り始めた。

 掘り起こした土に亡骸を納め、布で包み、簡素な十字木を立てる。

 母親は小さな体を抱え、嗚咽を漏らしながら土をかけた。


 俺は少し離れて見守っていた。

 あの時、剣で斬られた少女の墓が列の中に並ぶ。

 木の十字が夕焼けの炎に照らされ、影を長く伸ばしていた。


 「……守れなかった」


 吐き出した声は誰にも届かない。

 母狼が静かに鼻を鳴らし、俺の肩を押した。



 盗賊の死体はそのままにはせず、首だけを切り落とした。

 血は熱を帯び、手にまとわりつくように重い。

 街に持ち帰れば、襲撃の証拠となり、懸賞金がかかっているかもしれない。


 だが、俺の中では最初から答えは決まっていた。


 「確認だけだ。金はいらない」


 命を奪った報いを報酬に換えるつもりはなかった。

 母狼とルナは何も言わず、ただ俺の横に並んでいた。



 夜。焚き火の前に腰を下ろし、銃を膝に置いたまま、赤黒く染まった手を火で照らす。

 脳裏に焼き付いたのは、肉片が飛び散り、命が断たれる光景。

 剣よりも容易く、あまりにあっけなく命を奪えてしまった。


 「……人を殺した」


 言葉にしても、胸の奥に沈む重さは消えない。

 だが、その迷いを抱え続けていれば、次は守るべきものを失うだろう。


 「……もう、迷わない」


 呟きは夜の森に吸い込まれ、火の粉となって舞い、闇に溶けていった。

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