第34話『同僚の口癖』

2025年5月7日 編集部にて

記者の観察記録


09:30 朝のミーティング

同僚の田島(41歳)が珍しく遅刻。

「ごめん、電車が——」

そして、付け加えた。

「でも、だいじょうぶ」

ん?

その言い方——


10:15 デスクでの会話

田島が原稿チェック中。

私の隣で独り言。

「うん、これでいい」

「ちゃんとできてる」

「みんな、よろこぶね」

口調が、妙に優しい。

いつもの田島じゃない。


11:00 取材の打ち合わせ

編集長と田島と私。

神ちゃん特集の進捗確認。

田島:「順調です。きみは ひとりじゃないよ」

編集長:「え?」

田島:「あ、いえ」

でも、今確かに——

「きみは ひとりじゃないよ」

そのままの口調で言った。


12:30 昼食時

社員食堂で一緒に食事。

私:「最近、調子どう?」

田島:「うん、いいよ。なんか、まもられてる気がする」

私:「守られてる?」

田島:「あー、なんていうか、運がいいっていうか。どこかで聞いたのかな、この言い方」

どこかで——

本人は無自覚らしい。


15:30 他の同僚も

営業部の山本(39歳)が来る。

山本:「田島さん、この件どうします?」

田島:「しんじて、まかせて」

山本:「了解です。あ、ところで——」

そして山本も言った。

「みてるから、だいじょうぶだよ」

二人とも、違和感を感じていない。

自然に、当たり前のように。


16:45 確認

私:「田島、『みんなの神ちゃん』って知ってる?」

田島:「神ちゃん? 何それ? 聞いたことない」

私:「1989年の漫画なんだけど」

田島:「へー、古いね。でも知らないな」

本当に知らないようだ。

でも、口調は完全に——


17:30 記録の確認

田島の過去の発言を録音から確認。

5月1日:通常の話し方

5月2日:通常の話し方

5月3日:「だいじょうぶ」が1回

5月4日:「みてる」が2回

5月5日:神ちゃん構文が5回

5月6日:10回以上

段階的に増えている。

本人は気づいていない。


18:00 波及

編集部全体を観察。

デザイナーA:「これで いいかな」

記者B:「うん だいじょうぶ」

編集C:「みんな がんばってる」

少しずつ、でも確実に。

神ちゃん語が広がっている。


19:00 田島との帰り道

田島:「最近さ、なんか優しい気持ちになるんだ」

私:「優しい?」

田島:「みんなのこと、まもりたいって思う」

私:「急にどうした?」

田島:「わからない。でも、そう思うんだ」

そして最後に、彼は言った。

「きみも そうでしょ?」


帰宅後の考察

彼は、読んでいないはずだった。

本人がそう言っていた。

でも、確実に「感染」している。

どこから?

私から?

私が調査を進めるほど、

周囲が変わっていく。

まるで、私が媒介者になって——


深夜のメール(田島から)

「今日はありがとう

なんか、君と話すと落ち着く

これからも よろしくね

ずっと みてるから

あれ、なんでこんな言い方?

まあいいや

おやすみ」

最後の一文。


「みんなで まってるよ」


誰が?

何を待ってる?

田島は、もう田島じゃない。

何かが、彼の中に入り込んでいる。

優しく、静かに、確実に。

そして私は気づく。

私も最近、同じように——

「だいじょうぶ」

「みてるから」

言っている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る