第2章 2-2 東船橋ダンジョン セカンドジョブ前編
東船橋ダンジョンの前に広がる広場は、昼の光を浴びながらも重々しい空気に包まれていた。
高い城壁に囲まれたその空間は、いざとなれば門を閉ざし、壁上から一斉攻撃を浴びせられる防衛拠点でもある。
入口正面に冒険者の姿はなく、広場の管理と警戒に当たるのはギルド直轄の部隊だけだった。
入場待ちの冒険者たちのざわめきは、外周の受付区画に押し込められているのだろう。
この場だけが、不自然なほど静まり返っている。
やがて、広場の中央――黒い口を開いたダンジョンの入口前に進むと、兵士たちが整然と道を開けた。
鎧も武器も統一されたその姿からは、ただの冒険者にはない規律と緊張感が漂っている。
先頭に立っていた女性士官が、桐生の許可証を確認し、深く頷いた。
「特別入場許可、確認しました。これより先は自己責任となります。――ご武運を」
硬い声に、一同は姿勢を正す。
そのやり取りを横目に、浩一は胸の奥に重く沈む感覚を覚えていた。
(……あの時、この広場は血と炎で埋まった。忘れることなんてできない)
それでも足は止まらない。
背後に続く四人の若者の存在が、その背を押していた。
高坂が短く息を吐き、紅い剣槍を握り直す。
すみれは弓の弦を確かめ、三浦は杖を両手に持ち直し、美咲は静かに祈りを捧げる。
桐生は最後に全員へ視線を送り、はっきりと言葉を放った。
「――この先に待つのは十層と、その最深部に眠る《ジョブクリスタル》。
あなたたちの未来は、ここで大きく変わるかもしれません。決して気を緩めないで」
その声音には、支部長代理としての責任と、仲間を思う一人の冒険者としての願いが込められていた。
浩一は静かに頷き、ソウルイーターを腰に装備し直す。
仲間たちもそれぞれの武器を手に構え、昼の光を背にして暗いダンジョンの口へと歩を進めた。
第一層
石段を下り、ダンジョンの第一層へ足を踏み入れた瞬間、浩一は眉をひそめた。
(……静かすぎる)
本来なら、獣臭や湿った空気、遠くで響く呻き声が冒険者を迎えるはずだった。
だが今は違う。通路はひたすらに冷え、気配ひとつ感じられない。
「……モンスター、いないね」
三浦が不安げに声を漏らす。
高坂は紅い剣槍を構えたまま、警戒の視線を走らせた。
「スタンピードの影響で、モンスターは出ないって話だったけど……本当に何もいないんだな」
すみれは弓を下ろし、少し肩を緩める。
「戦闘がないのは助かるけど……逆に落ち着かないわ」
美咲は胸元で錫杖を握り、言葉を飲み込んだ。
その沈黙が、かえって全員の緊張を際立たせる。
浩一は口を閉ざしたまま、石壁をじっと見つめる。
(……この階には罠はない。だが油断はできん。三階からが本番だ)
一行は無言のまま第一層を進み、通路を抜けた。
第二層
内部は異様なほど静まり返っていた。
岩壁の通路は湿っているが、魔物の気配も、戦闘の音もまったくない。
広間に足を踏み入れても、聞こえるのは水滴の落ちる音と、自分たちの足音だけ。
「……本当に何も出てこないんだな」
高坂が小声で呟く。
浩一は黙って頷き、壁際に視線を走らせる。
(……魔物はいない。この階も罠はない。問題は――次だ)
すみれが弓を軽く構え直す。
「……“安全すぎる”のも気味が悪いわ」
三浦は唾を飲み込みながら頷き、美咲は短く祈りの言葉を唱える。
二層を抜けるまで、一度も剣を振るうことはなかった。
第三層
やがて三層の入口に差し掛かる。
橘すみれが足を止め、周囲を見回した。
「……ここから、罠があるはずなんだよね?」
浩一は壁や床を慎重に観察する。
《神の義眼》が淡い光を帯び、隠された仕掛けの痕跡を浮かび上がらせた。
(……確かに存在している。だが――動いていない)
さらに、視界の奥で魔素の流れが奇妙に歪んでいるのが見えた。
薄いのではない。
遮断されている――そんな感覚だった。
浩一は静かに吐息をもらす。
「……仕掛けはある。けど、起動していない」
三浦が驚きの声を漏らした。
「罠まで……止まってるのか?」
美咲は胸の前で手を組み、囁くように言う。
「……まるで、ダンジョンそのものが眠っているみたい」
(眠っている? 違う……“眠らされている”)
浩一は重く息を吐き、背後の四人を見渡した。
「本来なら、ここからが地獄の始まりだ。……だが今は進める」
高坂は剣槍を握り直し、すみれたちも小さく頷いた。
五人の影は、沈黙した罠が残る第三層へと足を踏み入れていった。
第四層
三層と似た迷宮構造が続くが、広さも複雑さも一層増していた。
石畳は崩れ、天井からは苔まじりの水滴が落ち続ける。
魔物の気配はなく、罠も作動しない――
それが逆に全員の警戒心を研ぎ澄ませていく。
(……まるで、“進ませるため”に沈黙させられているみたいだ)
すみれが眉を寄せ、警戒を解かない。
「静かすぎて、かえって背中が寒いわ」
結局、四層でも一度も戦闘は起きなかった。
だが「罠が存在するのに沈黙している」という事実は、戦闘以上に重い緊張を残していた。
第五層 ――草原の階層
石造りの迷宮を抜けると、視界が一気に開けた。
広大な草原が広がり、人工的な天井からは淡い光が降り注いでいる。
風が吹き抜け、草を揺らす音が耳を打った。
「……ここが五層か」
高坂が息を呑む。
かつては、複数のゴブリン氏族が常に争いを繰り返す“天然の抑制装置”だった。
だが今、その姿はなかった。
代わりに――草原のあちこちで、人影が動いていた。
村の廃墟を漁る冒険者。
伐採した木を積み上げる者。
巨大な岩を砕き、鉱石を採掘する者。
「……ゴブリンじゃない。冒険者だ」
すみれが目を細める。
三浦が戸惑いの声を漏らす。
「スタンピードで魔物がいなくなったから……資源目当てに?」
(俺たちは採取禁止の特例許可だ。
だが、こいつらは――別枠か、あるいは……)
浩一は低くため息をついた。
緑の草原は静かに揺れ、しかし本来の「戦場」としての姿は影も形もなかった。
そこにあったのは、人間の欲望が剥き出しになった光景だった。
(……これもまた、ダンジョンの“異常”かもしれんな)
第六層
草原の階層を抜け、長い石段を降りると――空気が一変した。
肌にまとわりつく湿気、鼻を刺す水苔と古石の匂い。
視界の先には、半ば水に沈んだ石造りの広間が広がっていた。
「……ここが、六層か」
浩一は足元の濁った水面を見やり、眉をひそめる。
かつては壮麗な建造物だったはずだ。
だが天井は崩れ、柱は折れ、階段は途中から水中に消えている。
浩一は《神の義眼》を働かせる。
(自然崩落じゃない……意図的に沈められている)
「ここからが、本物の未踏領域だ。気を抜くな」
第七層
六層を抜け、さらに下へ。
荒廃は一段と進み、遺跡は人を拒むように崩れ、水に沈んでいた。
「……進ませまいとしてるみたいだな」
高坂が呟く。
浩一は短く頷く。
「七層も眠っている。だが、この沈黙がいつまで続くかは分からん」
第八層
八層は、さらに広大な石造りの広場だった。
崩れかけた建物の基礎が点在し、床石は苔に覆われている。
「……今日は、ここで休もう」
監視と記録ボールを展開し、簡易的な警戒線を構築する。
淡い光が周囲を包む。
だが――魔物は出現しない。
(魔物より怖いのは……人間だ)
浩一は低く告げた。
「……見張りを交代で続けよう」
そのとき、監視ボールが一瞬だけ淡く明滅した。
誰も言葉にしなかったが、全員が気づいていた。
静寂の中、五人は夜営に入った。
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