7.ぬしの住まうところ
ゴールデンウィークも3日目。初日は喫茶店で雑談、2日目は掃除や買い出しでバタバタと過ごし、気付けばほとんど読書の時間は取れていないなと苦笑する早朝。今日もどうなることやら。
やや低血圧でボーッとする頭を目覚めさせるために洗面所へ。顔を洗えば多少はマシになります。
「……今日も髪を結ってもらいましょうか」
鏡を見てポツリ。恐らく起きているはずの叔母を待つ間、簡単に朝食を作りましょうか。食パンを焼いて冷蔵庫からジャムを出すだけですが。
* * *
朝食を終え、髪を結ってもらって時刻は8時を過ぎた頃。6時に起きたはずなのに、低血圧の影響か少しボーッとしていたら時間がどんどん過ぎていきます。叔母は二度寝だそうで、また寝室に戻っていきました。
調辺さんが来るまでに少し時間があるので、読みかけの小説を読み進めておこう。この流れを考えると、恐らくゴールデンウィーク中にまともに読書できる時間は取れない気がするので。
「……今日は書庫を見に来てもらうのだから読む時間はある気もしますが」
そう思いつつも自分でも意外なことに、調辺さんと語り合う時間は読書と同じくらい落ち着く時間ではある。それはそれとして、読みかけの小説は続きが気になるもので。しばらくは読書を楽しみましょうか。
早速紅茶を淹れ、ソファに深く腰掛ける。理想的な姿勢へと落ち着き、ようやく栞を引く。さて、どこまで読んでいましたかね。
* * *
チャラララララーン、と呼び鈴が鳴り、物語に没入していたところから引き戻される。惜しみつつも即座に栞を差し、玄関へと向かう。チラリと時計を横目に見ると、本当に9時ちょうどだったので少し驚く。調辺さんは結構時間にルーズな方のはずなのですが。
「やあ、おはよう黒川さん。とても良い朝だね」
「おはようございます調辺さん」
玄関を開け、本当に調辺さんが立っていたのでびっくりする。時間にルーズな調辺さんがこの朝早い時間に全く遅れることなく来るとは。いえ、予想してなかったわけでもないですが。
とりあえず玄関にとどまっていても仕方ないのでリビングに通す。前日買っておいたコーヒーを用意し、小一時間ほどゆっくり雑談でもしてから書庫に案内しましょうか。
「黒川さんの家はオシャレだね。まるでスター◯ックスコーヒーの店内というか……」
「……行ったことあるんですか? 言いたいことは分かりますが」
大きな窓とバルコニー、そこから見える庭木も含めて、なんとなく調辺さんの言いたいことは分かる。つまりは龍之介さんの営む古き良き純喫茶のような空間とは真逆の、イマドキっぽい映えるカフェのようなのだ。リビングにある対面式キッチンもカウンターがカフェのようで。残念ながら普段はコーヒーが出てくることもないのですが。
前日に買い揃えた簡易的なコーヒーメーカーにお湯を注ぎ、フィルターを通して綺麗な茶色がカップに零れ落ちていく。調辺さんが好みそうな豆を普段飲んでいるモノから推測し、急な予定なのにしっかり用意が出来て良かった。コーヒーを淹れる作法も調べておいたのでちゃんと飲める物が出来上がるはず。
「やっぱり、想像通り黒川さんがコーヒーを淹れる姿は映えるね」
「そうですか? あまり慣れないので手探りなのですが」
そうは言いつつ、客観的に見て私がコーヒーを淹れる姿はそれなりに映えるだろうと自己評価する。そのように見えることを想定して立ち居振る舞いを考えているのだから。昨日の夜、鏡の前でお湯を注ぐ練習をしていたのは秘密だ。
「砂糖とミルクは要りませんね?」
「うん、必要無いよ」
抽出されたコーヒーを調辺さんの前に置く。ソファでもう既に寛いでいる様子の調辺さんを見て「この人は何処だろうと変わらないな」と感心した。
私は先程の残りの紅茶をカップに注ぎ、調辺さんの対面に座る。普段より背筋を伸ばし、いつも通り余所行きの私で。
「コーヒー、どうですか?」
「美味しいよ。黒川さんが淹れてくれたってだけで最高だね」
またそんなキザな台詞を口走る調辺さんに、私は呆れたように溜め息を吐くしかない。やはりこの人は将来ヒモ男のようになるんだろうな、と改めて思う。
そうして一旦落ち着こうと私が紅茶に口を付けたタイミングで叔母の寝室から物音。二度寝していたにしては早い目覚めだな、と思いつつ、立ち上がりグラスを用意して豆乳を注いでおく。
「おはよー……」
パジャマ姿のままの叔母が目をこすりながらリビングに現れる。そして私と調辺さんを気にする様子も無くカウンターに用意した豆乳を一息に飲み干し、大きく欠伸をしてからようやく調辺さんに気付く。
「……あ、君が恵ちゃんのお友達? ワタシは志賀
「初めまして、調辺智です。いつも恵さんにはお世話になっております……」
……誰? いや失礼な話だけど、調辺さんがまともに敬語を使えるとは思っていなかった。と言うか、そんな腰の低い態度が出来る人だったのかと驚愕した。
叔母――望さんはそんな私の驚きなど知りもせずにニコニコと笑ってカウンターチェアに座る。私の昔話などされたら恥ずかしくて大変困るのだけど、あの顔は完全に喋りたい時の顔。止めようもないしどうしたものだろうか。
「あ、先に言っておくけど、ワタシのこと“叔母さん”なんて呼んだら許さないからね?」
腕をグリグリと回して脅しを掛ける望さん。母――望さんにとっては姉――とは歳が離れていた望さんは現在25歳であり、叔母さん呼ばわりされると物凄く怒る。実際見た目も若い……というか童顔で私と並んでいたら妹に間違われたりする人なので気持ちは分かりますが。私が老け顔という可能性も否定出来ないのが複雑。
「……望さん、先に着替えてきてはどうですか?」
「そういえばパジャマだっけ。ちょっと失礼ー」
ひらひらと手を振りながら、望さんは寝室へと戻っていく。既に9時を過ぎた辺りなので流石にずっとパジャマというのは少し困ります。在宅ワーカーなので服装にあまり頓着しないところは改善してほしいですね。
「あの人が黒川さんの叔母か……美人、というよりは可愛らしい方だね」
「……まあ同意しますが、感想はそこですか」
前から思ってはいたけど、調辺さんは結構他人の顔をよく見ている。私も頻繁に顔を見つめられて困っているので、そこは間違いない。会話する時に目を全く合わせない方よりは良いですが。
望さんが着替えている間に空になったグラスを洗っておく。調辺さんはマイペースに家を観察しているので放っておいても大丈夫という判断。実はリビングには書籍が殆ど無いので見るものも少ないとは思いますが。
「志賀さんは読書を嗜むのかい?」
「いえ……望さんはアニメやゲームを好む方なので」
書斎に並ぶゲームソフトの量を見れば、その情熱の強さが分かるかと思います。なにせ壁一面を覆い尽くしてなお溢れている程なので。使用なさっているパソコンも確かゲーム用の高いものだと聞いた。しかし本は漫画を少々読む程度で、アニメ化作品の原作ライトノベルすらも手を付けない。コミカライズしたら読んでくれるのですが。
「おまたせー……って、グラス洗ってくれたの? ありがとー!」
「ちょ、ちょっと、調辺さんがいらっしゃるので……」
頭をわしわしと撫でられ、ちょっと照れてしまって困る。いつも撫でてもらっているのがバレてしまうじゃないですか。
着替えてきた望さんはTシャツにショートパンツというラフな、いわゆる部屋着。グレーアッシュに染めたロングウルフがオシャレな童顔美人。母も美人だったそうなので遺伝ですかね。
「智ちゃん、だっけ。恵ちゃんが家に友達呼んだのなんて初めてだから嬉しくなっちゃってねー」
「私も友達の家に遊びに来るなんて初めてなので緊張しますね」
「ゆっくり寛いでってー」
調辺さんが緊張しているのかどうかは別として、まあ望さんとの相性は悪くないだろう。目上の相手であろうと普段は敬語を使わない調辺さんがずっと丁寧に接しているのは気になるけれど。
このまま望さんとの雑談を続けるか、早々に切り上げて書庫に案内するか。望さんは間違いなく書庫には同行しないと思いますが、あまり早くに話を止めて逃げるように書庫へ向かうのも悪いと言うかなんというか。別に調辺さんと望さんを無理矢理引き離したい訳でもないのですが、私の幼い頃のエピソードトークなどされたら恥ずかしいので。
「し、調辺さん、そろそろ書庫に行きましょうか」
双方マイペースな叔母と友人が同じ空間で何を話し始めるのか予想出来ず、空気感に耐え切れなかったので撤退を選びました。喋りたそうにする望さんに頭を下げつつ、私は調辺さんを連れて地下室のドアを開ける。そもそも時間を気にしなくとも良いとはいえ望さんには仕事があるはずですし。
「おお、これは見事な……」
書庫の照明を点けた瞬間に、調辺さんが感嘆の声を上げる。地下室である我が家の書庫は、家の敷地面積を全て掘り抜いて作られている小さな図書館だ。女性でも手を伸ばせば本棚の一番上に届くよう考えられて天井も低めに作られ、空調はもちろん何を想定していたのか核シェルターにすら出来るよう分厚い壁や天井と外気用フィルターまで備え付けられた謎の空間。母はロマンチストだったらしいとは聞くけれど流石にやり過ぎですね。
人1人ようやく通れる程度の幅で配置された本棚は出入口の階段付近は埋まっているけれど、壁に近い側はまだまだ空きが多い。私と姉が母の意思を継ぎ今でも蔵書を増やしているというのに、一向に埋まる様子はない。子や孫の代まで引き継いでいくつもりでちょうど良いのかもしれないです。
「まるで未来永劫に渡って本の保存を行うための大きなタイムカプセルだね」
「……恐らくそういうこと、なんでしょうね」
たとえこの国が戦争に巻き込まれたりしても可能な限り書物を残したい、とまで考えていたかどうかは分かりませんが、母があらゆる書物を集めて保存したいと思っていたであろうことは明確ですし。
ついでと思い持って来ていた既読分の書籍類を本棚に並べる。姉が通学のために家を出ている今は管理を任せられているけれど、姉は整理整頓の苦手な人だったので恐らく帰ってきたとしても私がずっと管理することになるでしょう。全ての本を把握出来なければ重複購入してしまう恐れがありますし。
ふと疑問が浮かぶ。私とそう変わらないペースで読書している調辺さんはどのように書籍類を管理しているのか。性格を考えればあまり整頓はしていない気もするけれど、意外と根は真面目な所もある方ですし想像つかないですね。
「調辺さんは書籍類をどのように片付けていますか?」
「私の家にもここほどじゃないが書庫があってね、散らかしたら祖父に叱られるものだから家にいても読書以外の時間はほとんど書庫の整理に使っているよ」
参ったね、なんて言い笑う調辺さん。整理整頓が苦手なのも知っていますし、片付けに手間取る姿が想像出来ますね。図書室でも返却図書をあるべき場所に戻すのは私の担当ですし。
「気になる本があれば自由に読んでください。少々手狭ですが読書用のスペースもありますので」
書庫の中央にある小さなテーブルと2人用の椅子を指差す。これで一先ずは案内も終わり、あとは調辺さんの好きにしておいてもらおう。私は座って先ほどまで読んでいた小説の続きを読むことにします。家に来てくれた友人を放置して読書するというのも変な話ですが、まあ私と調辺さんですし。調辺さんも早速本棚を見ながら「どこから手を付けたものか……」と読むものを探していることだ、気にする必要もないでしょう。今日は落ち着いて読書の時間が取れそうです。
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