6.黒川恵は断れない

 気付けば3時間ほど喋り続け、昼食時からアフタヌーンティーに。幾度目かの紅茶のおかわりをして、少し休憩。調辺さんの見識の広さにはいつも驚かされる。物語への考察も非常に斬新だ。


「お手洗いに行かせてもらうよ」


「はい、いってらっしゃい」


 調辺さんが席を立ち、フッと息を吐く。読書自体も好きですが、こうして友人と感想を語り合う時間もまた良いものです。自分と違った意見や考察、そしてまだ読んでいない作品の情報交換など語れることは無限にある。


 次に語ることを考えながら改めて紅茶を味わっていると、龍之介さんがゆっくりと歩いてきた。そういえば、この人とも一度ゆっくり話してみたかった。独特の雰囲気のある老紳士、と言ったところでしょうか。色々と気になることもありますね。


「良い雰囲気の店ですね。もしかして設計から?」


「こだわれる所には徹底的にこだわっているとも。この服もオーダーメイドだ」


 言いながら龍之介さんはシャツの襟とエプロンの裾に刺繍された「爛漫茶」の字を見せてくれる。改めて見ても、フィクションの世界から飛び出してきたような容姿の方だ。


 そして龍之介さんはフッと笑い、右のこめかみを中指でポンっと叩いて言う。


「だがな、恵くん。君も私と同類であろう? その眼鏡、度は入っていないな」


「……やはり分かりますか」


 私がこの喫茶店を気に入ったのは、龍之介さんをひと目見た瞬間に湧き上がった共感からだ。この人は自分と同じ考えを持っていると、瞬時に理解したからだ。私も自分の容姿や纏う雰囲気、立ち居振る舞いの全てで自分自身の思う理想を演じている。


「なるほど、智が懐くわけだ。君と私は本質が似ているのだな」


「……懐かれていますかね?」


「懐いているとも。そもそもあまり他人に興味を抱かない子でね。この店に学友を連れてくると聞いた時は驚いたものだよ」


 確かに調辺さんは他人に興味が無いように思う。その調辺さんが家族に会わせるほど、と考えれば、私に対しての好感度が存外に高いことは理解できる。理解はできるが、気紛れな猫のような調辺さんが自分に懐いているというのは変な気分だ。いや、猫だって人に懐くことくらいはあるので、ただ私が自己評価として人に好かれているとあまり思っていないだけですが。


「あまり社交的ではない子だ、これからも仲良くしてやってくれると助かる」


 そう言って笑う龍之介さんは、それまでの喫茶店のマスターとしての表情とは違う、孫を愛する祖父としての顔をしているように見えた。しかしすぐに元の紳士然とした顔に戻り、一言「失礼する」と告げてカウンターへ戻っていった。入れ替わるように調辺さんが戻って来る。


「お待たせしたね」


「いえ、時間的にも小休止は必要だったでしょう」


 この掴みどころのない友人が自分に懐いているのかは未だ疑問ではあるけど、そう思ってみると少し気恥ずかしい。あまり社交的でないのは自分も同じであるからして。


 そうして私が調辺さんの顔をチラチラと伺っていると、調辺さんが首を傾げる。


「どうしたのかな?」


「何でもありませんよ。さあ、次の作品を語り合いましょう」


 今はまだ、調辺さんが私をどう思っているのかは気にしないことにしておく。ただ、この心地よい時間を過ごせたら。そう思い、私たちは再び歓談に興じる。私は紅茶に口をつけた。



 * * *



 クラシカルな振り子時計の針が真っ直ぐ上下を指す頃に、ようやく私たちは意見交換を終えた。暗くなる前に帰った方が良い、と忠告する龍之介さんに頷き、会計を済ませる。


「合計で2200円だ。支払いは現金で良かったかな?」


「はい。……思っていたより安いですね?」


 カツサンドを食べ、紅茶を何杯も飲んだにしては異様なほど安い。飲みながら「5月の新刊は幾つか諦めようか」などと考えていた私は少し驚く。


「長時間過ごす客が多くてね、ドリンク類の値段設定は高めだが2杯目以降無料となっている」


 ニヤリと笑う龍之介さん。そして「1杯のみの客人には割引もしているとも」と付け加える。そう考えれば、複数回飲んだほうがお得とはいえ公平な値段設定だ。採算が取れるのかは疑問ですが。


 喫茶店の外に出る。まだ4月の末なので日が沈む頃になると少し肌寒い。ゴールデンウィーク初日に風邪をひいても困るので、出来るだけ急いで帰りましょう。


「私は祖父の仕事が終わってから一緒に帰ることにするよ」


「それでは今日はここでお別れですね」


 調辺さんは、珍しく手を振って見送ってくれる。もう連休の間に会うことはない、と思っていたのですが。


「次は黒川さんのお宅にお邪魔させてもらいたいね。また今度暇な日はあるかな?」


「……私の家ですか。そういえば書庫を見に来ても良いですと言った覚えがありますね」


 数日前の自身の発言を振り返る。あの時は勢いでそう言ったが、今思えば友人を家に招待するのは少し恥ずかしい。叔母は喜びそうですが。一度誘っておいて今更断るのも悪いですし。一瞬で頭の中をあちらこちらと彷徨って、悩み抜いた末に諦めを口にした。


「……明後日はどうでしょうか。時間は何時でも大丈夫ですので」


「じゃあ明後日の朝9時頃にお邪魔させてもらおうかな」


 そうしてまたゴールデンウィークの予定が一つ埋まる。いや二つ。明日は掃除などの準備ですね。

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