第29話 自警団の憂鬱
「クロエよ! 魔具の件はどうなっているのだ!」
「申し訳ございません……」
私が報告に参上した瞬間、領主様は声を荒らげて詰問してきた。
平謝りするしかなかった。領主様からの命令は、魔具を作った者を領都に連れてくること。そして領主様専属の魔具師にすることだった。
だけど私は、ルカさんの説得に失敗してしまったのだ。
もうちょっとゴネたら何とかなったかもしれないけれど、本人が嫌がっているのに無理を通すのはよくないと思った。
「分かっているのか? 我々がレーゼルトに対抗するためには、魔具とやらが必要なのだ。このままではレーゼルトに呑まれ、民は凌辱の限りを尽くされてしまう」
「和平の道を模索するしかありません。こちらが恭順の意思を見せれば、あるいは……」
「ならん!」
領主様は〈
あの杖は、今ではすっかり領主様のものとなってしまっている。取り上げられた――というよりは、献上することを余儀なくされたのだ。
「この領都は、私が先祖から受け継いだ大切な土地だ。レーゼルトごときに奪われるわけにはいかぬ」
「しかしそれでは……」
「イトールカとやらは、どうしても首を縦に振らぬのか?」
私はルカさんの顔を反芻する。
あの目は、めちゃくちゃ仕事したくない人の目だった。
たぶん何を言っても通じない。
「おそらくは難しいかと思います。どれだけ報酬を弾んだところで、ルカさんが興味を示すとは思えません」
「では武力侵攻をちらつかせろ」
びっくりして言葉を失ってしまった。
この人は今、何て言った?
「従わなければ、領都の自警団が工房を襲うことになると脅しをかけるのだ」
「りょ、領主様! いくら何でもそれは早計に過ぎるのでは……?」
「仕方あるまい。レーゼルトの軍が動き出したという報告もある。じっとしていれば、我々は滅びてしまうだろう」
「しかし……」
「いいから行け。お前の交渉力に、領都の命運がかかっているのだ!」
※ ※ ※ ※ ※ ※
「憂鬱ですね……」
領都を大急ぎで飛び出した私は、そのまま東へ3日ほど移動することになった。目的地はもちろん、ルカさんのイトー工房である。
道すがら、枯れ果てるほどに溜息が出てしまった。
小さな勢力が大きな勢力に呑まれていくのは自明の理だ。
領都の自警団としての誇りはあるが、いくら抵抗したところでレーゼルトに併合されるのは時間の問題。どうにかして和平の道を模索するほうが賢明だと思うのだけれど……。
「はあ……でも領主様、やる気満々だし……」
無理に戦えば、それこそ領都は火の海となる。
たとえルカさんの魔具があったとしても、犠牲が出るのは避けられない。
いったいどうしたものか……。
あれこれ頭を悩ませているうちに、ファザール村に到着してしまった。特に用もないので通り抜けようとした時、ふと見知った顔に出くわす。
「クロエさん! こ、こんにちは!」
ルカさんの直弟子、シルトさんだ。彼は顔を赤くして私のほうに走り寄ってくる。
「こんにちは、シルトさん。買い物ですか?」
「いえ、売り物です」
「売り物……?」
「ルカ様に頼まれちゃいまして。これです」
シルトくんが手に持った籠を見せてくれた。そこに詰められていたのは、掌サイズの白い固形物だった。
イチゴの香りがふわりと鼻腔をくすぐる。
食べ物かと思ったが、よく見れば違うらしい。
「これは何ですか?」
「石鹸です。魔具で大量生産したので、売りさばいてこいって言われました」
「な、なるほど。さすがはルカさんですね」
相変わらず常識に囚われない御仁だ。
しかもこの石鹸、市場に流通しているものよりはるかに高品質である。
香りもいいし、表面も恐ろしいほどに滑らかだった。
これで髪や身体を洗ったら、どんなに気持ちいいだろうか……。
「……あの、クロエさん。何かありましたか?」
「え?」
「だってクロエさん、元気がないように見えますし……」
顔に出てしまっていたかと反省する。
最近、疲れていたのかもしれない。領主様は機嫌が悪い時に自警団に当たり散らすことが多いのだ。悪鬼との戦いでメンバーが減ってしまったため、最近は私がもっぱらストレスのはけ口となっている。
「はい、これどうぞ」
シルトくんが石鹸を1つつかみ、私に差し出してきた。
「い、いいんですか……?」
「本当はタダで配ったら怒られるんですけど、クロエさんに元気になってほしいから。ど、どうぞ。落ち着く香りがしますよ」
「シルトくん……」
純粋な優しさが心に沁みた。
この子、めちゃくちゃいい子だ……。
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