夜に浮かぶ蓮 −彼岸に咲く花−

nokal

0 ハガキ

◆登場人物


 蓮……26歳

 隼人……19歳

 凛……21歳

 真琴……23歳


◆目次

〇 … ハガキ

    

1 … 第1章_工場にて   【2000年 春1~春6】

    第2章_裏社会の影  【2000年 春7~春8】

    第3章_守りたいもの 【2000年 春9~春11】


2 … 第1章_港にて    【2002年 夏1】

    第2章_翌朝の朝食  【2002年 夏2~夏11】

    第3章_組織の存在  【2002年 夏12~夏18】


3 … 第1章_真琴     【1995年 秋1~1997年 冬1】

    第2章_重ねる会話  【1997年 冬2~冬8】

    第3章_名前     【1997年 冬9】


∞ … 夜に浮かぶ蓮


《総文字数 約55,000字》


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 蝉の声が、庭いっぱいに響いていた。

 濃い緑に覆われた木々の間から、白い日差しが差し込み、縁側の畳を明るく照らす。湿った土の匂いと、スイカを冷やす桶の水の涼しさが、夏の田舎を丸ごと閉じ込めているようだった。


「じいちゃーん!」


 小さな足音が玄関から庭へ駆け抜けていく。少し大きな麦わら帽子を被った子供たちが、笑い声を響かせながら庭に飛び出した。金魚を覗き込んだり、風鈴を揺らしたり、ただ無邪気に走り回る。その姿を見ているだけで、時が少しだけ緩むようだった。

 縁側に腰を下ろした一人の爺さんは、ゆっくりと団扇を動かしていた。白髪が混じり、日に焼けた肌に深い皺が刻まれている。それでも目尻に浮かぶ笑みは、どこか子供の頃の面影を残していた。


「ほんと、元気だねえ」


 そう言って微笑むのは、爺さんの妻だ。歳を重ねた姿になっても、落ち着いた声の調子は変わらない。子供達の親――息子夫婦も傍らで「こら、走るな」と声をかけながらも、やはり嬉しそうに目を細めている。

 ふと、妻が思い出したように立ち上がり、玄関の方へ向かった。


「そうそう、ポストにハガキが入ってたわよ」


 戻ってきた彼女の手には、一枚のハガキがあった。

 爺さんは受け取り、老眼鏡をかける。目を細めながら文字を追い、ふと、手の動きが止まった。白い紙面に並ぶ活字――


――  旅刻 蓮 四十回忌のお知らせ ――


 指先が震えた。縁側に座る姿勢のまま、爺さんはしばらく動けずにいた。

 ミーンミンミンと暑さを告げるはずの蝉の声が、やけに遠くに聞こえる。

 鮮やかすぎる夏の青空を見上げながら、爺さんの胸には、もう二度と帰らぬ日々の匂いがよみがえる。錆びた鉄の匂い、熱に焼けたアスファルト、血の温度、――そしていつも隣に立っていた兄貴の背中。


「じいちゃん、どうしたの?」


 気づけば、子供たちが隼人の足元に集まっていた。無垢な瞳が見上げてくる。

 爺さんは、ハガキを胸にそっと伏せ、少しだけ息を整える。そして、子供達に向かって穏やかに笑った。


「……ちょっと、昔の友達のことを思い出してたんだ」

「友達?」

「うん。私がまだ若かった頃……兄貴みたいに頼りになる人がいてな。少し怖いけど、優しくて……私はずっと、その人の背中を追いかけてた」


 子供たちはきょとんとした顔をしていた。だが、その無邪気さに救われるように、爺さんは言葉を続ける。


「人はいつか、いなくなってしまう。でもな……思い出は消えないんだ。声も、笑顔も、ちゃんと心に残ってて。だから……こうしてじいちゃんも元気でいられる」


 小さな孫の手が、皺だらけの爺さんの手に重なった。温かく、小さな命の鼓動。爺さんは目を細め、その小さな手をそっと握り返した。


 庭では、風鈴が澄んだ音を鳴らしていた。

 夏の日差しは変わらず強く、蝉の声も騒がしい。

 だが爺さんの胸の中では、静かに、――あの夜の声と笑顔が、遠い記憶の向こうで息づいていた。



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