1-3 真天先輩は俺の生活をお世話したい

 先日も感じていたのと変わらない、天使のごとく優しい声。しかし何を言っているのだかわからない。


「すいません、もう一度言ってくれます?」

「あなたが人気作家になれるように、身の回りのお世話をさせてもらいたいです」

「なんで!」

「だってわたし、唯人くんの大大大ファンですもの! お世話させてもらうことはこの上ない喜びです。どうぞ何でも言いつけてください!」


 こんなやりとりをお隣さんに見られでもしたら、何を噂されるかわかったものじゃない。


「と、とりあえず中に入ってください!」


 玄関のドアを閉めて、リビングまで通す。


「ご家族はいらっしゃいますか? まずはご挨拶をしたいのですが」

「いや……実は俺、一人暮らしなんです」

「えっ……そうだったんですか。そこまでは存じませんでした。差し支えがあるなら、詳しい事情は教えてもらわなくても大丈夫ですから」


 特殊な家庭の事情があるのではと、気遣ってくれているのが見て取れた。優しい人だ。


「たいしたことじゃないです。若いうちに一人暮らしを経験しておけっていう両親の方針があって。最初に聞いた時はなんだそれって思ったんですが……とにかく中学卒業と同時にここで暮らすことになりました」

「では、ご両親は近くでご健在で?」

「実家は徒歩二十分くらいのとこですよ。思春期の息子を追い出せて気楽なんじゃないですか? 生活費は面倒見てくれてますけど、ほとんど顔を出してくることもないです」

「なるほどなるほど……それはますます都合がいいですね」


 真天先輩はニタリと微笑む。それから部屋を見渡す。


「1LDKでしょうか? 一人暮らしだとだいぶ余裕があって、二人暮らしでも十分快適ですよね」

「何の話をしてるんです?」

「ところでお食事はどうされているんですか?」

「スーパーで適当に買ってますけど……」

「冷蔵庫の中、見せてもらっても?」


 父親と一緒に選んだ、2ドアの一一〇リットル。独居男子にはちょうどいい大きさの冷蔵庫だと思う。


「パックのサラダチキン、ブロッコリー、卵、納豆、豆腐……お飲み物はミネラルウォーターと牛乳……ふむふむ」

「糖質を抑えた、たんぱく質中心の食材です。朝は同じく低糖質のシリアルで」

「何かこだわりがあるんですか?」

「俺が尊敬する売れっ子作家にこういう食生活をしてる人がいて、真似してるんです。毎食こんな感じです」


 俺はSNSをやっていて、先輩小説家たちをフォローしている。すると彼らがどういう食事をしているかなんて情報も流れてくるのだが、低糖質&高たんぱく質がとても大事だというのを知ったのだ。


「ストイックなんですね。お米は食べないんですか?」

「白米なんて糖質の塊みたいなものですから。それでなくても最近だいぶ高いでしょう。もう買う気なくなっちゃって」

「このさき値下がりすることはなさそうですよね。今までがむしろ安すぎたという意見もあるみたいですが」


 高校入学前、実家にいた頃は毎日のように米を食べていたが、別になくても問題がないとわかったのはちょっとした発見だった。


「でも……毎日同じような食事で味気なくはないですか? 時には糖質たっぷりの食事もしたくならないですか? がっつりと」


 がっつりなんて乱雑な言葉が真天先輩の口から飛び出るとは思わなかった。


「ほら、チートデイっていうのがあるでしょう? 唯人くんもそういう日があってもいいのでは」

「いや、俺だって絶対糖質を摂らないわけじゃないです。外出先で食事する時はラーメン屋に入ったりしますし。まあめったにないんですけど」

「でしたら、土日のお昼と夜はわたしがごはんを作ります! もちろん栄養には気を遣いますよ」


 ナイスアイディアとばかりに両手を打ち鳴らす真天先輩。

 いろいろ言いたいことがあるが、何よりも疑問を解決しておこう。


「俺をお世話するって、冗談ですよね? 生徒会で罰ゲームか何かやってるんですか?」

「冗談ではないですよ。まぎれもなくわたしの意思です」

「専業主婦になるための練習をさせてとか言ってましたけど」

「はい、わたしの将来の夢は専業主婦なんです」


 なんで? とさらにツッコミを入れるべきなのか。

 専業主婦――仕事はせず家事のみを行う女性。そういう生活形態があることは知ってはいるが、才女として知られる真天先輩のイメージとはどうしても結びつかない。


 俺はひとまず、無難な返事をすることにした。


「いけませんよそんな。先輩のプライベートを潰すようなこと……」

「そこは気にしないでください。わたしがそうしたいんですから」

「そう言われても!」

「……ダメですか?」


 潤んだ瞳で見つめられる。

 素なのか、それとも計算ずくなのか。いずれにしても彼女を冷たく追い返すなんて選択肢はありはしなかった。


「俺、今日はずっと小説を書くつもりだったんですけど。真天先輩の話し相手なんてできないですよ?」

「もちろんお邪魔はいたしません! 唯人くんに気持ちよく執筆していただく、それだけを考えていますから」


 パーッと顔を明るくさせる。ま、まぶしい笑顔……!


「ところでよかったら、お仕事の前に執筆部屋を拝見させてもらっても?」


 これまた断れるわけもなく、俺は寝室兼執筆部屋に彼女を案内する。

 デスクの他はベッドのみというシンプルな六畳部屋だ。しかし真天先輩は目を輝かせていた。


「ここでタダヒト先生の傑作が……!」

「先生はよしてくださいってば」

「今は受賞作の書籍化に向けて作業をしてるんですよね? イラスト担当の方もすでに決まっていたり?」

「機密事項ってやつで、詳しいことは話せなくて」


 編集者からもきっちり言われていることだ。受賞作に関わることは公式の発表や許可があるまで何も話せないし告知できない。


「もう何も案内できるものはないんですけど……」

「じゃあ、スーパーで食材を買ってきます。何か食べたいものはありますか?」


 ……マジで俺の昼食を作ってくれるつもりなのか。誰もが憧れている美少女生徒会長の真天先輩が?


「なければわたしが自由に決めちゃいますけど」

「えっと、まあ、ご自由に……」

「了解です。そうだ、調理器具は?」

「一応ありますけど」


 しっかり自力で料理を覚えろと言われ、鍋やらフライパンやらボウルやら炊飯器やら一通りは買ってもらったが、あまり活用できているとは言いがたい。

 キッチンでそれらを確認すると、真天先輩はふんふんと頷いて。


「行ってきますね!」


 ルンルンと楽しそうな足取りで外に出る。俺は呆然と見送るばかり。


「………………いやホントなんだこの状況」


 どっぷりと息を吐きながらデスクの前に座ったが、こんなんで執筆に集中できるはずもなく、俺は無為にSNSを眺めていた。しょうもない芸能人や時事の話題ばかりで面白くない。


 ふと、タイムラインに一枚のイラストが流れてきた。

 近日発売予定の新刊ライトノベルのカバーイラストらしい。ヒロインである美少女のメリハリあるボディが前面にアピールされている。

 これはネットショップでもリアル書店でも目立つだろう。しかしそれ以上に思ったのは。


「二次元に負けてない……いや、むしろ勝ってる……」


 あまりマジマジとは見ないようにしていたが、真天先輩のアレは……三桁に達しているというのは本当なのかもしれない。


「ただいまー♪」


 やがて実家で聞くような声が飛んできた。俺は仕方なくのっそりとキッチンに顔を出して、また驚愕する。


「ど、どうしたんですそれ」

「エプロンですか? こういうこともあるだろうと家から持ってきました」


 ピンクのエプロンを身に着けながら、真天先輩は見せつけるように小山のような胸を張っていた。

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