34. 仄暗い闇と光

 その家は、色んな薬草の匂いがした。

奥へ奥へと続く、うなぎの寝床のような仄暗い家。入り口のすぐ近くに見上げるような急な階段があって、その横に細い廊下が伸びている。はりや柱は煤けたように黒光りしていて、なんだか気味が悪かった。触れないように身体を縮こまらせて歩いた。


 廊下左手の部屋は、襖が少しだけ開いていた。覗き見ると中は古書で溢れていて、壁には見慣れない干し草や植物の根、トカゲみたいな干物が無数にぶら下がっていた。ギョッとするけれど目が離せない。父に強引に手を引かれ、未練だけをその場に残す。


 廊下を抜けると、広い土間に出る。壁一面の棚には、赤米の入った硝子瓶がずらりと並んでいる。どす黒い赤、燃えるような赤、薄い朱色。まるで夕焼け空を切り取って閉じ込めたみたいに、赤色が段々になっている。……とても綺麗だ。土間の小上がりで自分と同じ年頃の少年が、いつも座って本を読んでいた。


『——核が身体に——したならもう、どうしようもない。その覚悟があってやったんだろう!』

『——無理だと言っている!』

『……お願いします、お願いします』


 ここに来るたび、父はいつも家の主人に怒鳴られながら、縋り付くように何かをねだっている。父のそんな姿を見るのがたまらなく嫌だった。もう村に帰ろう、と父の手を引く。ふと手元に視線を落とすと、父の手を引いていた自分の手が、大人の男の手になっていた。赤く染まった細く、骨ばった手。これは誰の手?早く、手袋で隠さないと。


 本を読んでいたはずの少年が、顔を上げてこちらをじっと見ている。顔は見えているはずなのに、その顔の造形が全く頭に残らない。ただ、何故か自分を憐れんでいるのが分かる。


『君、もうすぐ死ぬの? かわいそう』 



——ハッ!


 弾かれたように目を覚ますと、見慣れない白木梁の天井が目に入った。ほのかに鼻を抜ける、清涼な薬剤の香り。


「穂鷹! よかった〜!」


 覗き込んできた秋月の顔を見て、穂鷹は訓練途中で倒れたことを思い出した。慌てて身体を起こそうとして、激しい目眩に襲われた。頭が割れるように痛い。歪む視界の端に寝台を囲う白いとばりと、その傍らで腕を組んで立つ稲波の姿が映った。


「おっと、急に動いちゃだめだ。訓練中に倒れて、医務室に運んできたんだよ」

「秋月さん、すみません俺……。汚した床を片付けなきゃ」


 寝台から降りようとする穂鷹を、稲波が肩を掴んで制止する。


「片付けは衛生隊員が済ませてあるから気にするな。今日の訓練は中止。しばらくここで安静にしておいてくれ」

「訓練中止……」


 穂鷹は茫然と宙を見つめた。


「お、気が付いた? 良かった! 秋ちゃんの迅速な応急処置のおかげだね」


 隔てていた帳をシャッと捲って、初老の医師が柔和な顔を覗かせた。そのまま流れるように穂鷹の下まぶたを親指で下げて確認し、脈をとる。老眼鏡を持ち上げ、手元の診療録に目を落とすと、ふぅんと鼻を鳴らして指で軽く紙面を弾いた。


「極端な食事制限のあと、一気に食べたかな? だめだよ〜、身体がびっくりして死んじゃうからね。しばらく普通食は禁止にしようね」


 医師は診療録に筆を走らせながら、独り言のように続ける。


「肝臓の数値が良くないなァ。肉体強化値も上限超えてそうだ。見た感じ希少米の副作用っぽいけど使用履歴……ないね。あれ、登録記録が本日……? 君、『特務隊員』じゃないの?」

仲秋ちゅうしゅう先生、ちょっと」

「ん?」


 稲波が仲秋を連れて席を外す。不安そうな、申し訳なさそうな表情を浮かべる穂鷹に秋月はそっと上掛けをかけ直し、励ますように肩を叩いた。


「不慣れな場所では、誰だって不調が出やすい。今日はしっかり休んで、明日からまた頑張ろう」

「——でも、俺、さっきの訓練もまだ全然出来てないのに。今週中に成果を出さなきゃ、皆さんに迷惑がかかる……」


 秋月は眉尻を下げ、伏目がちに笑って首を振る。


「そんなこと、穂鷹が気に病まなくていいんだよ。全部こっちの都合なんだから。本来、あの訓練までいくのに一ヶ月以上はかかるんだ——まあ、心配するなよ。調整には自信があるんだ。先輩にドーンと任せとけ」


 胸を叩いて親指を立ててみせる秋月に、穂鷹は一瞬ふっと笑顔を見せたが、その表情は晴れない。


「良かった、気が付いたんですね」


 椅子に座る秋月の背後から、葉鳥がひょこっと顔をのぞかせた。


「葉鳥。うん、さっき目を覚ましたところ。安静は必要だから訓練は中止になったんだ」

「なるほど……」

「時間がないと言われてたのにすみません。あの、何か出来ることはないですか。覚えることとか、無いでしょうか」

「穂鷹……」


切羽詰まった様子で頭を垂れる穂鷹に、秋月は言葉を詰まらせた。葉鳥は顎に手を当て、しばし考える素振りを見せると、思いついたように秋月に視線を戻す。


「秋月さん、以前交流企画で作った穂成の紙芝居があるじゃないですか。あれを使ってここで座学できないですかね」


 秋月が思い出したように笑いを漏らす。


「ああ、護穀さんの絵で子どもが泣いたアレね。まあ確かに。何気に基本は網羅してるし、いいんじゃないかな」


二人は得心がいったように顔を見合わせ、満足げに頷きを交わす。


「穂鷹くんどうですか。体調がまだ悪そうならこのまま安静を優先してもらいたいですが」

「大丈夫です、ありがとうございます! やれることがあるならお願いしたいです」

「承知しました。では準備してきます。秋月さんはどうしますか?」

「ちょっと遊撃訓練の様子を見てこようかな。護穀さん容赦ないから、そろそろ音を上げてる奴が出てるかも。様子見たらすぐ戻るよ」


 秋月と葉鳥が医務室から出ていくのを見送り、穂鷹は再び寝台に身を預けた。 初日から迷惑をかけてしまったという罪悪感は強いが、それ以上に策を講じてくれる二人への感謝が、じんわりと胸を満たしていった。


「がんばろう。ちゃんと報いられるように」


***



「——以上の理由で、この話は他言無用でお願いしたい。また改めて、先生にもご助力を賜りたく」


 別室で稲波から穂鷹の入隊の経緯を聞いた仲秋は悲痛な面持ちで眉根を押さえた。


「稲波くん、本気で言ってるの? 医者としては全く賛同できない。早く専門機関で治療させるべきだ、このままだと彼の身体は——」


「銀ではなく、赤の治療専門機関がこの国にありますか? 連れて行ったところで禁忌の存在として標本扱いされて終わりだ。間違いなく、身体より先に彼の心が死ぬ。僕は彼に、人としての尊厳を取り戻してあげたいんですよ」


 稲波の真剣な眼差しに、仲秋は長いため息をつくと手元の診療録を見つめる。


「……ここで出来ることはそう多くない。とはいえ何もできないわけじゃない。分かった、私のほうでも彼のことは気にかけて見ておくよ」

「ありがとうございます。心強いですよ」


 仲秋は目を閉じ、フッと鼻で笑う。


「随分重たい荷物背負わされちゃったなァ。こりゃ高いお酒の一本でも呑ませてもらわないと」

「うちに『水鏡』『宝珠』がありますよ。好物の秋刀魚の塩焼きも付けましょうか?」

「相変わらずいい選択肢用意してくる……」

「では後日宅飲みで」


 二人は片手を上げあい、お互いの仕事に戻っていった。戻り際、仲秋は深いため息とともに首を傾げて頭をかいた。


「息子が、禁忌の赤喰いか……。土雉君は正義感の塊のような男だったけどなァ」

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