29. 丑型会議

——第四支部・宿舎


「なるほど、稲波さんにしてやられた感じか」


 戸の向こうで、秋月の笑う声がかすかに聞こえた。


「村でも思ったんですけど、なんでそんなことするのかなって——すみません、着替え終わりました」


 更衣室から出て秋月の前に立ち、着替えた隊服を見せる。本隊員と同じ意匠ではあるが、彼らが黒と白を基調にしているのに対し、仮隊員用は暗褐色で、胴回りに白い斑点が入っている。肩を回し、腰をひねって着心地を確かめた。


「寸法は問題なさそう?」

「はい、気になるところはないです」

「よかった。——じゃあ、これ」


 差し出されたのは、薄手の黒い手袋だった。受け取る穂鷹に、秋月は少し声を落として続ける。


「君の身体のことは、今のところ極秘なんだ。知ってるのは稲波さんと、蕾鹿隊の四人だけ。表向きは火傷の跡を隠すってことにするから、普段から付けっぱなしでいてくれると助かる。ごめんな」


 申し訳なさそうに俯く秋月に、穂鷹は少し驚いた。村で受けてきた視線や言葉の数々を思えば、この対応には温かさすら感じる。


「分かりました、気を付けておきます」


 穂鷹は手袋を受け取り、片方ずつ指を通した。布よりも少し張りのある、しなやかな感触が掌に沿う。動かしにくいところがないか確かめたあと、手首まできちんと収めて袖口を引き下ろした。


「んじゃ、このまま部屋の方も案内するね」


 秋月に付いて宿舎の一階の更衣室から、二階に上がる。


「さっきの話だけどさ、稲波さんのやることって裏にちゃんと狙いがあるんだよね」

「狙い、ですか」

「うん。実際さっきの一件で『稲波さんの言葉を鵜呑みにするのは危険かも』ってちょっと警戒入ったでしょ?」

「……そうですね」


「あの人、考えなしの従順をすごく嫌がるんだよ。『稲波さんの言うことなら間違いない』『きっと支部隊長はこうしてほしいはずだ』って決めつけて、勝手に動いちゃう隊士が以前は多かったみたいでさ」


「……」

「だから、『なんでこんなことするんだろう』って考えるのは、すごく大事なことだと思うよ」


 考えなしの従順――その言葉が胸に引っかかり、穂鷹はうまく言葉を返せなかった。


「それに、ただ挨拶して終わりだったらお互い上辺の印象で終わってたと思う。特に葉鳥は冷たく見られがちだからね。意外と笑い上戸で抜けてるとこもあるんだよ」


「そこまで色々考えられてたんですね。意地悪じゃなかった……。俺もちゃんと考えなきゃ」


 思わず肩が落ちる。それを見て、秋月が軽く笑いを漏らした。


「いやいや、そこまで気にしなくて大丈夫だって。少しずつ慣れていこう」


 仮隊員用の部屋の前に着き、鍵を開ける。


「ここが穂鷹の部屋だよ。ちょっと狭いけど、本隊員になればまた部屋が変わるからしばらく辛抱してね」


 引き戸の先の光景に、穂鷹は思わず息を呑んだ。


***


「拠点の案内、終わりました」

「お、早かったね。拠点のこと、なんとなく掴めた?」


 秋月の背後から、穂鷹が明るい声で顔をのぞかせる。


「はい、説明がとても丁寧で分かりやすかったです」


 その返事に背中を押されるように、秋月は稲波につかつかと歩み寄り、入り口に立つ穂鷹を親指で指しながら声を潜めた。


「稲波さん、あれヤバいです」

「ヤバい? なにが?」

「反応がいちいち愛くるしくて完全に孫を眺める爺の気分です。蕾鹿隊長の生贄にする企みが、今かなり揺らいでます」


 そういって両手で顔を覆う秋月を見ながら、護穀が腕を組み感嘆の声を上げる。


「さらに矢面を増やすのか。最早才能だな」

「アナタも矢であるという自覚、持ってもらってもイイデスカ?」


 秋月が指の間から護穀を睨みつけ、稲波はおかしそうに口元をゆるめた。


「なるほど。まあ、分かる。なんか庇護欲をくすぐられるよな。でもこの後の身体能力検査で、秋月は爺から乙女に変わってしまうかもしれない」


「マジですか。人生が狂わされそうで怖いな」


「ちなみにこの会話、全部聞こえてるから。耳がいいんだよ。ね、穂鷹くん」


 穂鷹は一瞬否定しようと首を振ったが、嘘をつくべきではないと思い直したり、あれこれ逡巡した結果、苦悶の表情で目を閉じ小さく「はい」と返事をした。


「かわい〜〜」


 稲波と秋月が声を揃えるのを、葉鳥が呆れたように嗜める。


「新人をからかうのはそのくらいにして、本題を進めましょう。二人とも席に」


 葉鳥は顎先で二人を席へ促し、腰を下ろしたのを見てから稲波に目配せした。

稲波は椅子の背にもたれ、その合図に軽く片手を払う。


「もう時間もないし、葉鳥が要約して伝えて」

「……承知しました。丑型の対応に関して。小穂成の総刈はせず、経路をずらしたまま迎え撃つ——」


 その言葉に秋月がはぁ!?と声をあげて立ち上がる。


「そんなことをしたら町が壊滅しますよ! 避難させるにしても、その後の町民たちの生活はどうするんですか」


「最後まで聞いてください。『経路を変えず、銀米の確保を最優先にせよ』これが、稲波隊長宛てに中央本部から届いた指示の内容です。ただし、稲波隊長からは別案が出されています」


 葉鳥はちらりと穂鷹を見た。


「現在経路から外れているもの、また今後逸れて出現する小穂成をすべて回収し元の経路上に『杭打ち』をするというものです」


「杭打ち……」


 秋月は眉をひそめながら席に腰を落とす。護穀が、こめかみを親指で叩きつつため息交じりに続けた。


「確かに、理屈の上ではそれで経路は戻せる。だが相当骨が折れるぞ。まず小穂成の捕獲が難しい。草陰に入られたら探し当てるのは至難だし、中途半端にやればかえって巡回が歪み、危険だ。俺は、総刈が一番無難だとは思うが」


「総刈は銀米の収穫がゼロになる。間違いなく僕の首は飛ぶね。早めの隠居もまあ、悪くない」


 稲波が笑うと、三人はないない、とでも言うように一斉に首を振った。


「実際、今年は天候不順による不作のあおりもあって、銀米の確保はかなり熾烈らしい。そういう意味では、中央の意向も分からなくはない。が、秋月の懸念ももっともだ。——そこで、穂鷹」


 突然名前を呼ばれて、穂鷹は慌てて姿勢を正す。


「君の耳を早速使わせてもらいたい。この作戦が実行できるのか、明日朝一で検証させてくれ。合わせて秋月」

「はい」

「丑型の夜戦には穂鷹も同行させる。残り一週間で、必要なことを全部叩き込んでくれ。実戦には出せないが、現場は見せておきたい。その半月後にある選抜試験で本登用を目指す。葉鳥も、そのつもりで明日から対策を進めてくれ」


 二人は顔を見合わせ、揃って机に肘をつき頭を抱えた。うわー、と言いたげな顔で見ていた護穀にも、稲波は矛先を向ける。


「護穀は、二人の週間日程の調整案をまとめて。秋月がやってる下部隊員の遊撃管理業務も合わせて巻き取ってくれ」


「おうふ、了解」


 三人が揃って頭を抱える姿を見て、穂鷹は小さく肩をすくめた。


「よし、僕も裏で頑張るから全員一丸となって目標を達成しましょう! 解散!」


 稲波がパン、と手を叩いて立ち上がると、三人がそれに続いて立ち上がり敬礼した。穂鷹も慌ててそれに倣う。改めて「本当にやっていけるのか?」という不安がよぎった。


「あ、忘れるところだった。葉鳥、昼食のあと司令室に来て」

「了解しました。業務連絡でしょうか?」

「ううん、説教」

「え」


 腰に手を当て、ひらりと片手を振って会議室から出ていく稲波の背を見送りながら、葉鳥は重い足取りで次の持ち場へと向かった。

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