第4話 才女家庭教師、冷徹なる眼差し

 バルドとの修行を続けて数カ月――。

 剣の扱いにおいては、ある程度の自信を得られるようになった。

 だが俺には、まだ致命的な弱点がある。


 それは――学問と魔法。

 この領地を守るうえでも、いずれ訪れる魔王軍侵攻を生き延びるためにも、絶対に避けて通れない領域だ。


 これまでも、レオンハルトは何人も家庭教師を招いていた。

 だが、当時のレオンハルトは怠惰と傲慢を絵に描いたような人間だった。

 まともに勉強に向き合うことなく、次々と辞めさせてしまった。


 その報いとして知識も魔術も未熟なまま、戦場で無残に散る――それが“悪役貴族”の未来。

 だからこそ今度こそは、逃げずに立ち向かわなければならない。


「本日より、イリス・ヴァレンシュタイン様が御子息の学問を指導してくださいます」

 そうバルドに紹介され、俺は新たな“攻略対象”に視線を向けた。


 透き通るような銀髪、紫水晶を思わせる瞳。

 整った容姿に知性が宿っており、冷ややかな視線で俺を見下ろしていた。


「レオンハルト様、今日から家庭教師を務めさせていただきます。

 ……もっとも、私の指導を理解できるかどうかは疑問ですが。」


 挨拶の時点で、この評価である。

 イリスはもともとレオンハルトの家庭教師として何度か指導にあたっているキャラだったはずだ。

 彼女の真剣な指導も実らず、レオンハルトは慢心したまま魔王軍侵攻を迎えるのだ。


 彼女と目が合うと例のウィンドウが表示される。


――――――――――――――――――――――――――――――

【イリスの評価】

 御子息は魔法の才能はあるが、勉学への姿勢に問題あり。

 私の真剣な指導が伝わらず、想いが空振る。     ✎

――――――――――――――――――――――――――――――


(……やっぱり俺は、怠け者のレッテルを貼られているのか)

 どうするべきか少し考え込む。

 このままでは知識が未熟なまま領地を攻められ、破滅フラグへ一直線だろう。


「……よろしく頼む。」

 俺は深呼吸し、ウィンドウに指先を走らせた。


――――――――――――――――――――――――――――――

【イリスの評価】

 御子息は魔法の才能、勉学への真剣な姿勢はあり。

 私の指導に問題があるが、想いが伝わらず空振る。  ✎

――――――――――――――――――――――――――――――


 うまい編集が思い浮かばなかったが、これで俺自身がまじめに取り組めば内容が破綻することはないはず。

 「私の指導に問題がある」の部分がどう反映されるかはまだわからないが……


(これで、あとは俺自身が結果を示すだけだ)


*  *  *


 イリスの授業は厳格を通り越して苛烈だった。

 評価フラグを改変した影響により、「私の指導に問題がある」という部分はこの厳しい授業の部分に反映されたようだ。

 まあ厳しく鍛えてもらうという意味では、俺としては好都合だ。


 与えられるのは、魔法理論の難問や古代文献からの引用。

 普通の貴族子弟なら白旗を上げるような内容だ。


「さて、これは古代帝国の残した魔導式ですが……答えられるはずがありませんよね?」

 イリスは無表情のまま、難題を突き付ける。


(この問題……確かゲーム中、イベントアイテムを取るための解答条件だったな)

 俺は頭の中で正解を思い浮かべ、すらすらと答えを並べた。


「……っ!? なぜ……」

 一瞬だけ、彼女の冷静な表情が大きく崩れた。

 しかしすぐに冷たい仮面を被り直し、口を開いた。


「ふん……たまたま正解できただけでしょう。次に進みます」


 その横顔は、わずかに耳まで紅潮していた。


(やっぱり、素直じゃないな……でも、才能は認めてくれているみたいだな)


*  *  *


 数カ月が過ぎる頃には、俺の評価は確かに変わり始めていた。

 彼女は決して褒め言葉を直接口にしない。

 だが「……まあ、以前よりは少しは形になってきましたね」と呟く時の声色は、

 かすかな期待を帯びていた。


 季節は巡り、剣の修行に加えて、俺は勉学にも日々励んだ。

 正直、剣の修行よりも机にかじりつくほうが性に合わない。

 だが、破滅フラグを潰すためには避けられない課題だ。


 基礎理論を繰り返し書き取り、魔力制御は夜遅くまで練習を続けた。

 気付けば、使用人たちが俺を「勉学に励む御子息」と囁くほどになっていた。


*  *  *


「……今日は、この術式を解読していただきます」

 イリスが提示したのは、数ページにわたる古代式の魔導書だった。


 ぱっと見ただけで、これは普通の魔術士候補生が取り組めるような内容ではないとわかる。

 実際、この古代式魔導書はゲーム本編でも“伝説の大魔導士”と呼ばれた彼女の師、テオドールですら完全には解き明かせなかったとされる難題だ。


 だが俺は気付いていた。

 これは、後にイリス自身が解き明かし、次世代の大魔法使いとして名を馳せるきっかけとなる術式。

 サービス終了間際に実装されたバランスブレイカーとなる「複合魔法」だ。

 本来は一つずつしか使えない魔法を組み合わせて、属性を複数持たせつつ威力や性能を大幅にアップさせる魔法。


 例えば火と氷のある複合魔法を使うには、専用の雷装備が必要だった。

 つまり同じ仕組みと考えれば、雷の触媒を用意すれば同じような術式を生み出すことは可能なはず。


 ゲーム本編だとイリスから受け継いだ雷鳴のローブを装備することで、火と氷の特性を持つシンチラントフレアっていうヤバイ範囲複合魔法が使えるようになってたっけ。


(複合魔法は範囲狩りでお世話になったなぁ……まさかここで出題されるとは)


 落ち着いて筆を走らせ、要点を整理し、答えを記す。

 それは――未来のイリスが導き出すはずだった解答そのものだった。


「……っ!」

 イリスの紫水晶の瞳が揺れる。

 彼女は信じられないものを見るように俺を見つめ、そして小さく息を呑んだ。


「これは我が師のたどり着けなかった魔術複合の真理……どうやってここまでの答えを導き出せたの?」


 驚愕と、そしてほんのかすかな喜びが混じった声。

 俺は内心で冷や汗をかきつつも、平然と答える。


「……これは君の指導があったからだよ。君が問いを与えてくれたから、答えに辿り着けた」


 本当は、未来の彼女から“借りてきた”答え。

 だが、今はその嘘が彼女の心を動かすなら――それでいい。


*  *  *


 それからの授業は、明らかに変わっていった。

 イリスは依然として冷徹な態度を崩さない。

 だが、出題される問題は高度さを増し、彼女の解説も次第に熱を帯びるようになった。


「……いいでしょう、次は応用課題です。ここまで辿り着いた生徒など、これまで一人も――」

「できたぞ」

「なっ……!」


 表情には出さないよう努めているが、彼女の瞳はわずかに輝いていた。

 俺はその変化を見逃さなかった。


*  *  *


 授業が終わり、イリスが荷物をまとめようとしたその時――

「イリス」

 俺は思わず呼び止めていた。


「……何でしょうか、レオンハルト様」

 振り返るその表情には、わずかな困惑が読み取れた。


「これまでの授業、正直に言えばかなり難しかった。けど、君の指導があったからこそここまで辿り着けたんだ。

 本当に……ありがとう」


 一瞬、彼女の表情が固まった。

 まるで不意を突かれたように目を見開き――すぐに視線を逸らす。


「……感謝など、必要ありません。私は教師として当然のことをしたまでです」

 そう言いつつも、彼女の表情はやわらかかった。


「ですが――誤解しないでくださいね。私は今後も厳しく指導いたします。

 あなたが怠ければ、容赦なく突き放しますから」


 冷たさを装う言葉。けれどその背筋は、どこか誇らしげに見えた。


「ふふ、期待してるよ」

 俺は軽く笑みを返す。


 そして――ふと目があうと、ウィンドウが表示される。

 しかし、そこには何も浮かんでいなかった。


(……悪評のようなフラグは、もうない)


 安堵が胸に広がる。

 これで、少なくとも彼女との関係は最悪の未来を免れた。


 彼女と視線が交わる。

 冷たいようで、どこか揺らぐ瞳――。


 けれど俺はもう、それ以上を追及しなかった。


(まずはこれでいい。イリスとも、少しは前に進めたはずだ)


 そう確かめるように心の中で呟いた。

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