第2話「影」

 老若男女問わず、多くの人たちが工場に詰め込まれている。

 それぞれのグループに分かれて、老若男女は何かしらの作業をしている。

 機械を動かす人、掃除をする人、部品を組み立てる人、水仕事をする人、食材の加工をしている人、紙製の箱に商品を詰め込む人。


(下働きには、いつだって夢がない)


 私は窓硝子を拭きながら、窓の向こうに見える美しい空へと目を向けていた。

 いくら工場の掃除を担当したとしても、外の世界に憧れを抱きたくなる。


「作業中断! 一時間後に作業を開始する」


 偉い人が何人かやって来て、それぞれのグループに声をかけていく。

 作業をしていた人たちは与えられた業務を中断して、休憩へと向かう。


「三十二番! 三十二番は、どこに……」


 番号が書かれた札が首からぶら下げられている私は、自分の番号を呼ばれて偉い人の元へと駆けつける。


「このあとはパン屋の売り子とポルダ家の清掃予定の予定が入っているから、さっさと帰ってくれ」

「はい……」

「実家の掃除を手伝うくらいなら、まだ賃金の出る下働きの方がいいと思うがな……」

「今日も一日お世話になりました。ありがとうございました」


 偉い人は私に対して背中を向けて、既に私への関心をなくしてしまっている。

 それでも私は、工場で働かせてくれている偉い人に対して丁寧に頭を下げる。


「エルミーユ! 今日で、あなたはクビ! クビよっ!」


 工場での勤務を終えた私は、挽きたての小麦と焼き立てのパンの香りが広がるパン屋へと足を運んだ。


「文句でもあるの?」

「いえ……」


 食欲をそそる香りで街行く人たちを引き寄せ、次から次へとパンが売れて、店を潤していく。

 人気店と言っても過言ない店の片隅で、私は雇用主の奥様からお𠮟りを受けていた。


「こっちは、雇用を拒否する権利があるの」

「承知しております……」

「下働きだから雇ってやったのに、男に媚びばっかり売ってないでよね」

「申し訳ございませんでした……」

「顔がいいって、得ね」


 賑やかな店内と違って、店の裏側は重苦しい空気が漂っている。

 活気ある明るい世界に戻りたいと思うけど、奥様は私が店に戻ることを許してくれない。

 もう二度と、この店で働かせてはもらえない。

 雇用主様は、そうおっしゃる。


「体でも売って、売り上げでも伸ばしてほしいんだけど」

「申し訳ございませんでした……」

「あざとい売り子なんて、女性客には受けないの! 店の評判が台無しよ」

「申し訳ございません……」


 私に、声をかけてくれる人がいる。

 そんな、この店が大好きだったけれど。


「今まで、大変お世話になりました」


 私はもう、この店にはいられない。


「はぁ……」


 独り。

 これから一人で生きていかなければいけないのに、一人で生きていく自信がない。


(また働き先、探さないと……)


 石畳の道を歩くたびに、靴底は小さな音を鳴らす。

 でも、その音をかき消してしまうくらい街は賑わいを見せる。

 街の喧騒から遠ざかるために足を速めるけれど、そのたびに空から降り注ぐ太陽の光が石畳を照らす様子が視界に入ってしまう。

 太陽の恵みは世界を美しく彩ろうとしているのに、自分の人生には黒い色しか広がっていかない。


「告白した方がいいって!」

「絶対、恋愛対象に見られてない……」


 太陽は街の人々影を長く引き伸ばして、ここにいるんだって存在を主張する手助けをしてくれる。でも、私には自分の影を確認する余裕すらない。


「今日は、何食べたい?」

「うんとねー、えっとねー……」


 私も仲間に入れてほしいと願いを込め、太陽が世界を照らし出す様を視界に入れた。でも、人の目は、太陽を直接見ることができないようになっている。


「っ」


 それは、強すぎる光を見てはいけないよっていう神様からの警告なのか。

 それとも、私たちが太陽の光に負けないくらいの輝かしい人生を送りなさいという励ましなのか。


(わからない)


 分からないけれど、私は……。


(私はね、神様……)


 光を浴び続けながら、生きたいです。

 最後の、最期まで。

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