第3話 新春の花吹雪

 静寂の中、先に口を開いたのは新米冒険者の少女の方だった。


「あ、あの……シンさん……ですよね……? 〈万年Eランク〉の……」


 恐る恐る尋ねてくる少女に俺は苦笑いを浮かべる。


〈万年Eランク〉


 確かに俺はみんなからそう呼ばれているが、本人を前にいうことではないだろう。

 が、悪意を持ってそう言ったわけでもなさそうだし、とりあえず苦笑いで受け流すことにした。

 それに今さらそう呼ばれたからって、いちいちプライドを傷つけられることも、もうなかった。


「ああ、そうだ、俺がシンだ。――で、アンタの方は……確かアリサと言ったか?」

「あっ、そ、そうです! 覚えていてくださったんですね!」

「まぁな。俺はこの町に住み着いて長いし、大抵の人の顔と名前は覚えているつもりだ」


 そう言うと彼女は羨望の眼差しでこちらを見てきた。


「凄いですね! わたし、あまり人の名前とか覚えるの得意じゃなくて……!」


 そんな視線を向けられるのが久しぶりすぎて、どこかくすぐったい。

 俺は照れたように視線を逸らすと、すぐさま話題を変えた。


「てか、どうしてオークリーダーなんかに追われてたんだ?」

「……ええと、それがですね……」


 俺の問いにどこか言いづらそうに視線を泳がせるアリサ。

 しかし意を決したように目を向けてくると、彼女はどこか怒りをにじませながら言った。


「わたし、嵌められたんです」

「嵌められた……?」


 俺は眉を寄せて尋ねる。

 彼女は小さく息を吸ってから話し始めた。


「はい。わたしと同年代の女の子で構成されているDランクのパーティー〈新春の花吹雪〉に誘っていただいて、ようやくパーティーに入れると思い快く了承したんです。それで、今日、初のパーティー戦で、みんなと一緒に森の奥まで行くことになっていたのですが……オークリーダーの縄張りの中で、わたしだけが一人取り残されていて、気が付いたらみんないなくなってしまってたんです。それで慌てて森から出ようとしたんですけど、その時にはもう遅く、オークリーダーに気づかれてしまっていました。逃げ足だけは自信があったので、何とかここまで逃げてこられたのですが……」


 なるほど。

 確かに〈新春の花吹雪〉は町の中でもかなり評判が悪い。

 商人の男を嵌めて金を盗んだとか、新米の男冒険者を嬲って遊んでいるとか。

 そんな噂が絶えないパーティーだった。

 かなり狡猾なのか、まだちゃんとした証拠が出てきていないから罪は免れているものの、関わらないほうがいいというのがこの町での常識だった。


 しかしアリサはこの町に来たばかりだ。

 そのことを知らなくて当然なのかもしれない。


「教えてくれてありがとな。ちょっと色々調査してみるよ」

「いっ、いえ! こちらこそ、助けていただいてありがとうございました!」


 彼女は慌ててそう頭を下げると、ちらりとオークリーダーの方を盗み見た。

 それから再び俺の方に視線を向け直し、再び恐る恐るこう尋ねた。


「あの……それで……何でシンさんは本当の実力を隠していたんですか……?」


 ……本当の実力、か。

 この力こそが本物で、今までの冴えないおっさんが偽りの姿だと、彼女はそう認識したのだろう。

 まあこの状況からすれば、そう考えるのが当然だ。

 しかし、実際は真逆。

 このオークリーダーを圧倒した力は、たまたま運良く調、いつもならこんな力は出ない。

 明日にはこの力は跡形もなく消え失せていて、普段のパッとしないEランク冒険者に戻っていることだろう。

 だから俺は、彼女が勘違いしたままにならないように苦笑いを浮かべながらこう言った。


「ただのまぐれだよ。ま、散々アリサのことを追いかけまわして、コイツが弱っていたんだろうな」

「……そうなんでしょうか?」

「ああ、そうだとも。万年Eランクの俺が、万全の状態のCランクの魔物を一人で圧倒できるわけないだろ」


 俺はそれだけ言うとオークリーダーの死体に近づいて耳を切り取り、討伐報酬の袋にしまった。

 アリサはいまだ納得しないような表情をしていたが、明日にはすぐにそれが真実だと知ることになるだろう。



   ***



 俺はアリサを伴って冒険者ギルドに戻ってきた。

 彼女は建物内に充満する酒の匂いに若干顔を顰めた。

 見た目的に一六、七だろうから、この饐えたような酒の匂いに慣れていなくても仕方がない。

 そんなアリサと共に、先ほどもお世話になった新米受付嬢のもとに向かう。

 周囲の飲んだくれている冒険者たちからは好奇の視線がビシバシと飛んできていた。


「あれ? どうしました、シンさん。何か忘れものですか?」


 俺の顔を見て不思議そうに首を傾げる受付嬢。

 しかし彼女はすぐに隣にいるアリサに気が付き、少しだけむっとした表情をする。


「……そんな若い冒険者を誑かして、もしかしてシンさんは変態さんだったのですか?」

「いや、違うが? それよりも、ちょっとギルドマスターを呼んでくれないか?」


 俺の真剣な表情を見て何かを感じ取ったのか、すぐにむっとした表情を引っ込めると頷いた。


「……分かりました。ギルドマスターですね」


 そう言うとカウンターの奥にある二回に続く階段を上がっていった。

 しばらく待っていると、ドスドスという足音と共に巨体が二階から階段を下りてきた。

 スキンヘッドに長く伸びた無精髭、細身のアリサの三倍はあると思われる分厚い胸板。

 彼こそがこの町のギルドマスターのジレン・ベルウッドだった。


 ジレンは階段を下りきると、俺と、その隣に立っているアリサの顔を交互に見て、眉を訝しげに上げた。


「おい、シン。お前、いつの間に幼女趣味になったんだ?」

「誰が幼女趣味だ、誰が」


 この町に住み着いて長い俺は、当然この町のギルドマスターであるジレンとも長い付き合いだった。

 年齢もほど近いことから、かなり気安い関係である。

 まあ俺はコイツがまだ新米受付だった頃から知ってるからな。

 ちなみにこんな巨体をしておきながら、冒険者経験は一度もない。

 完全な頭脳派だった。


「幼女……わたしってまだ幼女なのかな……?」


 死んだ瞳で自分の胸をペタペタ触っているアリサのことは放っておいて、俺はジレンに真剣な表情でこう言った。


「ちょっと話がある。内密の話だ」


 その言葉にジレンも表情を引き締めて頷くと、黙って顎でついてくるように合図をするのだった。

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