第2話 視えるんだが

 冒険者ギルドに戻ると、昼下がりの気怠い空気がホールに満ちていた。

 朝の喧騒は鳴りを潜め、酒の匂いだけが微かに残っている。

 俺はいつも通り受付でゴブリン討伐の証明を済ませ、雀の涙ほどの報酬を受け取っていた。


「シンさん、お疲れ様です。お怪我はないですか?」

「ああ、今日も何とか生き延びたよ」


 心配してくれる新人の受付嬢に、俺は身体を軽く動かしてみせた。

 彼女はそれを見てほっと息をつき、安心したように言った。


「それは良かったです。で……こちらが報酬の銀貨十枚になります。ご確認ください」

「……ん? 今日の報酬、少し多くないか?」


 俺が首をかしげると、受付嬢はぐいっと顔を寄せてきた。

 そして口元に人差し指を当てると、小声で言った。


「……ギルドマスターには絶対に内緒ですよ? 実はほんのちょっとだけ、上乗せしておいたんです」

「いいのか? そんなことして」

「良くありませんよ。だから……内緒です」


 彼女はいたずら気にそう笑って、顔を離した。

 本当は良くないんだろうが……ありがたい話だ。

 こんなにも才能のない俺が何とか日々を暮らしていけているのも、こうして助けてくれる人がいるからだった。

 まあ……同時に俺を見下して馬鹿にしてくる奴らも、かなりの数いるんだが。


 いつもより少しだけ多めに報酬を受け取った俺は、かすかに口元を緩ませながらギルドを後にする。

 今日の稼ぎは銀貨十枚。

 これだけあればエールを二杯も飲むことができる。

 思わず笑みが浮かんだ。


 まあ――といっても、エールが一杯増えただけで、この金太郎飴のような日常が劇的に変化するわけでもない。

 エールを飲んで、固いパンを食べて、固い麻のベッドで寝て、また明日にはゴブリン狩りに行かなければならない。

 いつも通りの、他愛もない日常。


(……いや、一つだけ違うか)


 ギルドから家路につく足取りがやけに軽い。

 いつもなら、どこかしらに打撲傷を作り、泥と汗にまみれ、疲労困憊で帰ってきているはずだった。

 しかし今はどうだ。

 服の汚れは森を歩いたことで付いたものだけ。

 息も全く上がっていない。

 まるでちょっくら散歩でもしてきたかのような感覚だった。


(あの唐突に視えた線……あれは一体何だったんだんだろうか)


 考え事をしながら、いつもの癖で人通りの多い街道を避け、森を抜ける近道へと足を踏み入れた。

 その方が静かでいい。

 長年の冒険者生活で、騒がしい場所は少し苦手になっていた。


 森に入ってしばらく歩いた、その時だった。

 不意に少し離れた場所から、金属がぶつかり合う甲高い音と野獣のような咆哮が聞こえてきた。


「……なんか面倒なことになってるな」


 誰かが魔物と戦っているのだろう。

 こんな時、俺のやるべきことは一つ。

 極力関わらずに、この場を立ち去ることだ。

 厄介事に首を突っ込むと俺自身の命すら危うくしてしまう。

 俺は息を殺し、音のする方角から大きく迂回しようと歩き出した。


 しかし、その矢先だった。


「きゃぁっ!」


 短い悲鳴と共に、すぐ側の茂みが激しく揺れ、若い少女が一人、俺の足元まで転がり込んできた。

 赤茶色のツインテールに、そばかすのある気の強そうな顔立ち。

 見覚えのある顔だった。

 最近この町にやってきたばかりの、新米冒険者の一人だった。

 田舎から出てきたばかりの彼女もまた、周囲から才能なしと認定され、Eランクで燻っている冒険者の一人だった。

 そのせいで、組んでくれるパーティーすらも見つからず、こうして一人で狩りをしていたのだろう。


「シ、シンさん……? どうして、ここに……」


 少女が呆然と俺を見上げた、その直後。

 彼女が飛び出してきた茂みを突き破り、巨大な影が姿を現した。


「ブゴォォッ!」


 身の丈は俺の倍近くあり、豚のような顔を持つ緑色の巨人。

 その手には巨大な鉄斧が握られていた。


 オークリーダー。

 ゴブリンとは比較にならないくらいの強敵――Cランクの魔物だ。


 どうやら彼女はこのオークリーダーに偶然出くわしてしまったらしい。

 オークは倒れた少女を仕留めようと鉄斧を天高く振り上げる。

 だがその視線が、すぐ側に立つ俺の姿を捉えた。


 オークはピタリと動きを止め、品定めするように俺を見る。

 そして――おそらく手負いの少女よりも、無傷で突っ立っている俺の方を優先すべきだと判断したのだろう。

 ターゲットを変え、地響きを立てながら俺に向かって突進してきた。


「くそっ……不味いな……」


 俺は深く息を吸い、一気に思考を戦闘用に切り替える。

 避けようと思えば避けられた。

 だが、俺がここで避けてしまえば、間違いなく背後にいる少女がやられてしまうだろう。


 ……うん。

 俺みたいな未来のないおっさんよりも、無数の可能性がある若い少女の命を優先すべきだ。

 そう判断した俺は、剣を構え、臆病に縮こまる心臓を奮い立たせ、オークリーダーを迎え撃とうとして。


 ――

 突進してくるオークが振りかぶる鉄斧の軌道が、鮮やかな光のとなってハッキリと視えた。


(……大振りだな)


 俺は最小限の動きで振り下ろされる斧を紙一重でかわした。

 ゴウン、と空気を切り裂く音が真横を通り過ぎ、斧が地面に叩きつけられて土を大きく抉った。


 攻撃をかわされたオークが驚いたように一瞬動きを止める。

 その隙だらけの巨体に、無数のが走るのが見えた。

 首、心臓、そして膝の腱。

 急所を示すかのように、そこだけ光が強く瞬いている。


(一番早く静かになるのは……首か)


 俺は突進の勢いを殺さぬままオークの懐に滑り込んだ。

 そしてまるで最初からそこにあったかのような自然な動きで腰のロングソードを抜き放ち、流れるように振るった。


 ザシュッ、という生々しい音。

 オークリーダーの巨大な頭が胴体から離れて宙を舞った。

 巨体は勢いを失って数歩進むと、やがて大きな音を立てて地面に崩れ落ちる。


「…………」


 静寂が森を支配する。

 俺は剣についた血を無意識に振るって落とすと、呆然と座り込んでいる少女の方に視線を向けた。

 怪我は……おそらく擦り傷くらいだろう。

 彼女は俺とオークの死体を信じられないものを見る目で交互に見つめている。


「……大丈夫か?」


 俺は短くそう問いかけた。

 彼女は一瞬、何を聞かれたか理解できない様子だったが、すぐにブンブンと勢いよく首を縦に振った。

 良かった。

 俺は彼女の無事を確認すると、ふうっと深く息を吐いた。


 そして、完全に絶命したオークリーダーの死体に目をやる。

 ……これを俺がやったのか?

 今さらながら自分のやったことに違和感を覚えてくる。


「……なんで倒せたんだ?」


 いつもの俺なら絶対に倒せない相手だった。

 死を覚悟していたはずだった。

 だが、こんなにも呆気なく、俺はCランクのオークリーダーを一人で倒してしまった。


「本当に今さら才能が開花したとでもいうのだろうか……?」


 俺のぼんやりとした独り言は、静かに森の奥へと消えていった。

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