弁当が捨てられる悪戯が流行ったのは知ってる?(六)
「一連の犯人は志村勇樹よ」
藤岡が重い口を開いた。
志村勇樹とは、どこかで聞いたことのある名前であった。僕の思考は曖昧で、蜃気楼の中をさまよっているようだ。手がかりとなる情景が鮮明になるかと想えば、徐々に薄れて消えていく。しかし、過去の断片がふとした瞬間に姿を現すことがある。
「志村勇樹君。五人目の被害者ね」
涼香が呟いた。
そうだ。思い出した。志村勇樹とは、この一連の弁当事件に関する最初の知識の断片として、刻まれた名前であった。
「どうして、志村さんが一連の事件の犯人だと思うの?」
僕が訊く。
「志村が弁当を捨てているのを見たからよ。それと、私が弁当を捨てた理由も志村が弁当を捨てているのを見たことがきっかけになっている」
興味深い話である。彼女は自身のことを模倣犯と主張しているのだ。
「詳しく教えてくれないかい?」
藤岡は静かな抵抗を宿しつつ、掠れた声を出した。
「志村が弁当を捨てているところを見たし、彼が弁当を捨てた理由も話せるわ。でも、その前に、私と志村の関係を伝えるべきね。高校二年の途中まで私たちは付き合っていたの。あぁ見えて、あいつ優しいところがあるのよ」
あぁも、こぅも、彼を認知しない僕には肯定も反論もできない。
「でもね。三学年になる少し前に私はフラれたの。他に好きな人ができたんだって。けっこう一直線に好きだったから落ち込んだんだよ」
涼香は憂いのこもった声で「そうなんだ」と沈み、深い共感を示そうとしている。
「志村に相手は誰なのか聞いても教えてくれないから、気になって、私、放課後に志村の後をつけたことがあるの。それでね、志村が好きになった相手が誰だかわかったの。相手は心満腹弁当の店員の女だった」
「こころまんぷくべんとう?」と、知らない単語を小声で唱えてみた。
名前の謎めいた親しみやすさと話のシリアスさが絶妙に噛み合っておらず、多少の戸惑いを見せてしまった。
「売店の弁当屋さんよ」
「こころまんぷくべんとう?」
「そう。そういう店の名前なの。覚えやすいでしょ」
「こころまんぷくべんとう?」
「うん。昼休みに学校によく来ているでしょ」
無知の僕に涼香が教えるが、弁当というのは心ではなくお腹を満腹にする物ではないのかと疑問が浮かぶ。だが、僕の頭に浮かぶ難解が解かれることはなく話は進んでいく。
「心満腹弁当の店員さんって、まだ若い女性の人だったよね?」
「若いって……あの人、もう三十近くだよ。ギリギリ、平成生まれだけど、ほとんど昭和の人だわ」
僕たちと比べれば、たしかに年齢的には若くないのかもしれない。ただ、彼女の表現には明確な敵意を感じる。
「本当にカップルだったのかな。勘違いということはない? 実はその二人が兄弟であるとかさ」
よくある話だ。この世には、義理の息子との浮気を疑われる教師も存在すると聞く。
「それはない! 手を貝殻繋ぎにして歩いていた」
姉と弟が手を繋ぎながら街を歩くことはあるかもしれない。ただ、貝殻繋ぎと言われれば否定できるか。
「志村が弁当を捨てた理由は、その弁当屋の女を助けるためなの」
「どういうこと?」
「弁当がなければ買わなきゃいけないでしょ?」
つまり、藤岡の主張はこうだ。
心満腹弁当を買わせるために同級生の弁当を捨てた。
「悪いけど。今までの話を聞いていると、あなたが志村君への嫉妬で、彼を犯人だと濡れ衣を着せようとしているように見えるけど」
「別に信じなくてもいいよ。現に私は橋爪の弁当を捨てているし説得力がないことも理解している。でも、たしかに見たの。志村が廃棄物所で弁当箱の中身を捨てている光景を、しかも何度も見たの! あの女に誰かの弁当箱の中身を捨てるように頼まれたのよ。聞けば、心満腹弁当はあの女が一人で切り盛りしている店なの。あまり儲かっていなくて困っていたの。それに、あの女が犯行に関わっていた根拠だってある!」
「根拠? 教えて!」
「涼香って、遥佳と同じクラスだったよね。聞いたことない? 売店に隣接している会議室の中で古賀先生が誰かと口論していた話」
藤岡の言葉に涼香は少し前のめりになった。
「知ってるよ」
「遥佳は会議室の中の声が聴こえてきたの。あれは心満腹弁当のあの女の声だったのよ。あの女、『悪いことをしたとは思っていない』と、『捨てた物に興味はない』と、言ってたみたい。遥佳が会議室の声を聞いた次の日から、心満腹弁当は売店に来なくなったから間違いない。古賀先生は全てのことを知って女に忠告したのよ」
涼香の話によれば、会議室に耳を傾けた遥佳という女子生徒は部屋の中で響き渡る声の主体を特定することができなかったという。古賀が口論していた相手が、生徒でも、先生同士でもなく、売店の店員であれば、その声が遥佳の耳に馴染みがなかったのも頷ける。
「あなたの言ってことが真実であっても、あなたが橋爪さんの弁当の中身を捨てる理由にはならないじゃない!?」
真っ当な意見であろう。藤岡は顔の表情を引き締めながら応える。
「わかってる。橋爪には悪いことをしたって思ってる。あの時の私は、まだ志村のことが好きだった。健気に彼女のために悪事を働く志村が愛しいとすら感じていたの。馬鹿だったよね。志村のアリバイがある時間に騒ぎが起きれば、一連の事件を彼は疑われないと思った。本当に反省している」
彼女は目を伏せ、「信じなくてもいいよ」と残して、階段の方へ向かっていった。
駅までの道のりを涼香と二人で進む。冬の空は早々と暗く、部活帰りの生徒達の戯れる様子が耳に届く。
涼香が黙って思案にふけっているのが見て取れた。長い時間、沈黙を守っていたが、唐突に涼香が言葉を発した。
「志村は、一連の弁当を捨てた犯人ではないと思う」
出した答えには僕も同意見である。
「どうして?」
「藤岡は、志村が弁当を捨てた場所が廃棄物所だと言っていた。律希が言ってたとおりだった。進学カリキュラムの生徒達の弁当の中身が捨てられていたのは教室の中だよね。被害場所が一致しない」
「廃棄物所でも何人かの弁当を捨てたが、教室内でも何人かの弁当を捨てていたというのは考えられない?」
意地悪な質問をした。
「それは、おかしいよ。弁当が捨てられた人物が他にもいるのに、廃棄物所で捨てられた人物だけが、事件として生徒の中で噂が広がっている。廃棄物に弁当を捨てられた生徒だけ、事件を騒ぎ立てなかったってことになるじゃない。それに、一つの推測が私の頭の中にあるの」
どうやら、涼香も気がついているらしい。
「明日、志村本人に聞いてみる?」
無意味な質問を涼香に投げた。
彼女の答えはそもそも決まっている。
「うん。本人に聞いてみたい!」
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