第2話「部活動見学」

 喧しく飛び交う勧誘の声がイヤでも耳に届く。


「──新人さん歓迎でーす! みんなで楽しくやりましょー!」

「──一緒に全国目指そう! マネージャーも同時募集!」


 廊下に出るなり、どこから聞こえるのかもわからない大合唱。

 ここは歓楽街か。その溢れる熱気なのか、妙なエネルギーにあてられ、目の奥がネオン管のようにチカチカする。

 それぞれが掲げた手製の看板も、夜に輝く煌びやかな物に見えてくる。健全な学生だからなんか行ったこともないが、きっとこんな感じかもしれない。そんな風に思うほど高校の部活勧誘は熱烈で、ギラついていた。


 よもや、ここまで気合いが入っていようとは。中学の頃の部活動とは、また勝手が違うもんなんだろうか。

 これなら本当に印南いんなみの言うように部活でも始めたらいいのかもしれない。見限っていたが、思い直させるほどにエネルギッシュだった。

 

 くらりと目眩に似たものを抱えながら、件の先輩とやらのいる部室へ向かう。


 一年の教室を抜け三階へ上がると、ようやっと勧誘の声も遠くなる。ちなみに、教室の配置は一年が二階、二年は三階と順ぐりに上がっていく。


 この『はまなす高等学校』の校舎は四階建て。渡り廊下でもって教室のある棟と、理科で使う実験室なんかがある特別教室棟を繋いでいる。

 体育館はあり、プールはない。そう取り立てて変わったことはなく、周りには何もない。その広い校庭と、自転車で十分ほどいけば海が見られることが特徴といった、ありふれた自称進学校だ。

 少し玄関のところが迫り出しており、上空から見ると漢字の『立』に近い形をしている。渡り廊下がそれぞれ二本も走っているのが楽でいい。


 渡り廊下に差し掛かる。その窓から、校庭にランニング中の運動部が見えた。……あの中に混ざって汗を流す自分は、とても想像できないな。

 ミステリー文芸部はこの渡り廊下の先、三階特別教室の並びにあるらしい。


 なんでも技術室に隣接していて、もし廃部になれば技術準備室と成り果てることが内定しているとか。これもその先輩がボヤいていたとのこと。

 だからと言って、俺たちが入るかは別問題なんだが。自己犠牲やってまで存続させるほど判官贔屓ほうがんびいきでもない。


「なぁ真琴。その先輩ってのはどんな人なんだ?」


 廊下を渡りきり、右へ曲がる。いよいよ部室へとなったところで、ふと俺たちを先導する真琴まことに訊ねてみた。


天野あまのりょうって人だな。んー……悪い人だけど、優しい人だよ」


 その大きな背中から返ってきたのはそんな答えだった。

 なんだそりゃ。余計な苦痛を与えずに、楽にしてくれるんだろうか?

 人を紹介する文面にしてはおっかない。

 ……会わずに帰るべきか? 


「えぇ? それはぜんっぜん、わかんないかも。怖くないお化けみたいな人?」


 印南いんなみが小走りで駆け寄り、真琴を覗き込みながら訊く。


「あ、それだ。なんか幽霊っぽいな。人っぽくないというか、温度を感じないって意味で」


 印南の言葉にハッとしたような真琴。

 いや、どんな人物だ。俺の中では天野先輩とやらは、悪い幽霊になってるぞ。悪霊じゃないか。


「ん、ついたぜ。『ミステリー文芸会』だ」


 当たり前だが、外観は普通の教室だ。少しくすんだクリーム色のドア。教室の前後にある物と同じで、何の変哲もない。

 そんな普通のドアも、先ほどの人物評を聞いてからだと少し不気味に見える。悪霊が中にいる開かずの間とまではいかずとも、躊躇してしま──


「失礼しまーす。天野さーん、真琴っす。見学者がなんと二名もいるっすけどー」


 真琴がそんなことを言いながら、スライド式のドアを開けてしまった。


 西陽を背負った部室は暗い。そんな薄暗いのを厭わず、先陣を切って部屋の中へと向かう真琴。

 電気を点けようと入ってすぐの壁を見れば、胸の辺りまである本棚があった。二つあり、ぎっしりと本が詰め込まれている。文芸部というだけはあるらしいな。

 

「ミステリー文芸部へようこそ。真琴──と、そのお友達かな?」


 その声を聞いたのは、電源パネルのスイッチを入れたのと同時だった。


 声のした方を向くと、、一人の男子生徒がいた。パイプ椅子に腰掛け、長机の上で文庫本を開いている。

 彼は本を閉じ、ゆっくりと立ち上がる。


「僕は天野あまのりょう。君らの一年上の先輩になる」


 真琴の言うことをアテになんかしちゃいなかったが、思わず頷いてしまった。

 。こうして目の前に立っているのに、存在感がない。陽の光のせいか少し茶髪がかって見える長髪に、半袖のカッターシャツ。俺たちと変わらない服装なのに儚げで、目立たないというか異様に気配が薄い。

 切れ長の一重瞼に、薄い唇。鼻筋の通った色白の肌。線の細い美男子がそこにいた。


「さ、どうぞ掛けちゃって。こんな寂しい部室だけど、椅子だけは用意があるんだ」


 天野先輩はそう促すと、先ほどまでかけていた席に座り直す。俺たち三人も促されるまま、それぞれ席につく。天野先輩と長机を挟んで向かい合う形だ。

 まるで面接みたいだな。受験時期に数度だけ練習したのをうっすら覚えている。今思い返せば、あの練習はあまり役に立たなかったな。推薦なら別だろうが、一般受験枠なら結局はテストの出来次第だ。


「話すのは苦手でね。君らの質問に答えてく形でもいいかな?」


 天野先輩は優しい声音でそう言うと、ジッと真琴を見つめる。


「……なんすか? このプレッシャーは」


 天野先輩の目力に真琴。当然だろう。お前が共通の知り合いなんだから、会話を繋いでもらわないと困るぞ。

 うんうんと唸って、ようやっと真琴がその口を開く。


「あーと。じゃ部費と活動日はどうなんすか? 活動内容から考えっと、そう高くないと思うんすけど」


 悩んだ挙句てんで的外れな質問をしやがった。

 お前は知ってるのかもしれないが、俺たちはその活動内容すら知らないんだぞ。俺が抗議の視線を向けるも、真琴は何のことかわかっていない様子だった。


「取り立てて部費はないね。昔は文学フリマみたいなのに参加してたらしいけど、今はしないし。もしあっても一年の負担は軽くするよ。入学したばかりで、なにかと入り用だろうし」


 天野先輩は用意してたように答える。

 実際用意してたのかもしれない。曲がりなりにも部活動として構えてるんだから、見学者に対する回答は持ち合わせているだろう。


「あ、活動日は一応水曜と金曜。ただ、ある程度は自由かな」


 天野先輩はそう付け加えた。ミステリー文芸部の拘束はゆるいらしい。

 よかった。さっきまで見てきた連中のような『熱血!』だったらどうしようかと。いや、熱血なミステリーというのも意味不明か。熱血ミステリー、被害者が無双ゲーのように次々と薙ぎ倒されでもするのだろうか。

 少なくとも、俺が忌避する類いの空気ではないようだ。ほっと胸を撫で下ろす。


「あの、他の部員っています? それとも天野先輩だけなんですか?」


 部室に入ってから黙り込んでいた印南がおずおずと手を挙げて訊ねる。


「あぁもう一人いるよ。部長にもも──っと、長瀬ながせってヤツがいてね。この時期に三年生が抜けて、このザマさ」


 この部活は天野涼先輩と、長瀬桃ナントカさんの二人だけらしい。まぁきっと桃華ももかとか桃子ももことかそんなとこだろう。

 二人きりならそりゃあ廃部の危機か。同好会なら三人、部活動なら五人くらいが最低ラインだ。奇しくも、俺たち三人で何とかなってしまうな。


 そう考えていると、視線が俺に注がれていることに気づく。

 ……そうか、順番的に俺なのか。

 俺も質問がないわけでもない。そもそも、当初の疑問が解決されてないから。本当に、こいつらはなんで少しズレたような質問ばかりなんだ。

 さて、どうしたものか。

 まだこの部活に深入りしてもいいものか、俺は考えあぐねていた。このまま流れに身を任せて自分の中にある好奇心を刺激していいのか?

 変化を望んでおきながら誠に勝手だが、持て余すのは本意ではない。制御できない変化なんて、それはもう災害だ。飛び込んでいくのと巻き込まれるのは違う。

 このミステリー文芸部は、本当に俺がいていい場所なのか? この時点では何も言えないが、指針くらいは決めなければならない。


宗次郎そうじろう? 大丈夫か?」

伊澄いすみは質問とかあるの?」


 真琴も印南も喧しい。俺の心の向きすら、まだまとまってないんだ。あれこれ言うのは待ってくれ。怖いもの見たさに従っていいのか、対岸まで逃げて野次馬に徹するべきかも判別ついてないってのに。


──あぁもう知らん。なるようになれ。


「すみません、俺からも一ついいですか?」


 ようやく口を利いた俺に、天野先輩は頷く。待たせてしまった申し訳なさが、小骨のようにチクリと刺さった。


「この部活って、結局何をするところなんですか?」


 二人揃ってあぁ、と声をあげる。こいつらは何を考えていたんだ。真琴は知っておきながら俺たちに説明しないし、印南はそもそも気にしてすらなかったみたいだ。


「やっぱこんな部活名だと、いまいちピンと来ないか──じゃあ実例として一つやってみようか」


 天野先輩がそう言うと、矢庭に立ち上がる。


 これは……いらぬ薮を突いてしまったか? 後悔というのは、どうして先立って来てくれないんだろう。

 こうして俺たちは、ミステリー文芸部の洗礼を受けることとなった。

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