クレープ三枚の事情
一畳一間
第1話「伊澄宗次郎の変化」
高校は世界が変わる。
小学校、中学校までは学区で区切られていた。見慣れた通学路を行き、見知った顔ぶれに声を掛け、見飽きた帰り道。
そこに発見なんてものはなく、多少の成長はあれど大きな変化はなかった。
もう一度言おう、高校は世界が変わる。
受験を経て入学した高校は、それまでの校区も関係ない。目新しいホームの光景、初見の面々に出会い、見覚えのない帰路につく。
なんと新たな知見に満ちていることだろう。
機に臨み変に応ずる。その時勢に応じて事にあたる。それこそ俺の座右の銘である。
そう、新しい門出。淡く色づいた青春が送れるはずだった。
「なのに、どうしてお前が居るんだよ」
入学式を終えて一週間ほど経つ。教室は放課後だというのに未だに興奮も冷めやらぬ有様で、まるで小学校のように騒ついている。
本来ならば、とっとと家に帰る。それか、この浮き足だった隙間を使って同級生と親睦を深め、級友へとクラスチェンジさせる時間だが──
どうにも、そうさせてくれないらしい。
「なんだよ
前の席の
行儀悪く、椅子の背もたれを足で挟むようにして座っている。やめろ。まだ俺の
「ダチって……。お前な、高校生にもなってそういうノリはどうなんだ?」
「あ? いいだろうが。愛すべき変わらぬ日常って感じしねぇ?」
……あの日々をそう表現できるのは、こいつの美徳かもしれないな。
だが、俺は過去に楽しみを見出せるほど達観していない。そんなに簡単に大人になどなってたまるか。
「……愛すべき日常ってよりは"喉元過ぎれば熱さ忘れる"って言うべきじゃないのか?」
「熱さ? あぁ『満点の星屑事件』か、それとも『空席替え事件』か? いやーたしかに熱かったなァ、ありゃ」
真琴はその目を細める。どちらも彼の助力──というよりは武力? がなければ解決しなかった事件だ。
荒事に発展した時点で、学生がどうこうするべきではなかった事件。今こうして振り返っても、手をつけるべきじゃなかった。
「その事件名を口に出さないでくれ。若気の至りだったんだ」
言って、目を覆う。いくら覆っても、過去の出来事は瞼の裏に焼きついて離れない。
かつて飲み下した熱はもうない。ただ、あの頃はのぼせていたんだ。つけ上がっていたと言い換えてもいい。
「あ? ちょっと待てよ、事件を望んでるんじゃなかったのかよ?」
真琴が、さながら名探偵のようにこちらを指差す。一瞬、
こいつに問いただされるほど落ちぶれたつもりはない。手で払いのける。
「指を指すな、指を。──いいや違う、望んでるのは変化だ。周りを取り巻く人間関係から変えていきたいんだよ、俺は」
だから構うな、と真琴に対し犬を追い払うよう、しっしっと手で払う。
「えぇ? そりゃないぜ。ひとりぼっちだから喋ってやってんのによ。そういう素振りも見えなかったぞ?」
真っ直ぐな視線を投げてくる真琴。思わずたじろいでしまうくらいの迫力がある。
事実、俺は席についたまま、教室で咲いたささやかな話題に入ろうともしない。輪に入ろうと立ち上がりもしてなかった。心のどこかで尻込みしているのを見透かされている。
「それは、今から話すんだよ。それに声をかけられるかもしれないだろう。今はお前が話しかけてるから、難しいだけで……」
我ながら苦しい言い訳だった。
まっすぐな真琴の目を見るのが辛く、横目にそらせば、教室に残る人数も疎らになっていた。
心のどこかでは『話しかけられていたから話せなかった』と、一切を真琴のせいにして胸を撫で下ろしたいのかもしれない。
こうも実直な真琴を目の当たりにすると、誰かに暗い安堵を咎められているようで、どうにも据わりが悪い。
「どうせ話さないでしょ?
知った風な口を叩きながら、一人の女子が近づいてくる。そのポニーテールを揺らし、ちょうど俺と真琴の間くらいで立ち止まる。
こちらが見飽きた顔その二である
こいつも小学校──いや幼稚園からの腐れ縁だ。腐り切って中学頃には切れると思っていたが、なんだかんだでまだ付き合いがある。
「んだよ、女子は女子でつるんでろよ。男同士の会話だぞ。シッシッ!」
真琴が俺にやられたよう、印南を追い払う。
いや、お前も同じ犬だからな。まとめて俺に構うなって。
邪険に扱われた印南は口を覆い、真琴へ蔑みの眼差しを向ける。
「うわ、高校生にもなってそんなガキっぽいこと言ってんの? どうかと思うわ〜」
「それは、まぁそうだな。俺もどうかと思うぞ」
別に、女子だから男子だからこうだと
「な、なんだよ。来るやつみんな追い払いたいんじゃねぇのかよ!」
真琴がうろたえた大声をあげて拗ねる。騒がしいのか、しょげているのか。器用なヤツだ。
意見が割れたら二人の多数派が勝つ。一人になったのが印南だろうが俺だろうが、それは変わらない。決断の可否にかかわらず、全ては数だ。
やはり三人でつるむのが心地よい。絶対に票が割れるから、悲惨であろうと決着は着く。
──居心地がいいからこそ、脱却しないといけないんだよな。俺は席を立つ。
「あ? どったの宗次郎?」
「どうしたも何もない。帰るんだよ。やることもないしな」
スクールバッグを肩に掛ける。印南と真琴は二人で顔を見合わせている。そんな呆れ顔を突き合わせて何が楽しいのか。
「そんなに暇なら、部活でも始めたら? 今って、たしか部活勧誘期間じゃなかった?」
「興が乗らん。柄じゃない」
部活は俺の言う"変化"とは少し違う。
別に部活動に勤しむ連中を軽んじるわけでないが、どうにもしっくりこないのだ。
それは
そして、そのどれもが見慣れてしまった。予想外なんてことは起こらないだろう。
さらば、理想の高校生活。
新たな発見を諦めて帰ろうという時に、真琴が妙なことを口にした。
「あー、そんならよ。知り合いの先輩が入ってるとこがあっけど、行くか? ミステリー文芸会」
なんだそのトンチキな研究会は。その名こそが一つのミステリーだろう。ミステリー研究会なのか、文芸部なのか。そのどちらもなのか?
……悔しいが、少し気になる。
「なに? その妙な名前〜……。ちょっと気になるじゃん」
印南も同じ感想だったらしい。
「俺も詳しくねぇけど、どの部活も部員不足らしくてなぁ。過疎った結果『ミステリー研究会』と『文芸部』が合併したらしい」
「それは、どうなんだ? 余計に人が寄りつかなそうでもあるが」
単に門戸が広い文芸部ならともかく、ことミステリーまで限られると、見学会で覗きにきた生徒も入りづらかろう。
逆にミス研は文芸に取っつきにくさを感じるだろう。優れた読み手は優れた書き手ではない。
それは俺がよぅくわかってる。
「今年の新入部員も厳しいらしいぜ? わざわざ俺に頼むくらいには」
「あんたが? それは手遅れ一歩手前の重篤ね」
なんだその、手の位置がクルクル変わるような変な表現は。
それはそれとして、その先輩とやらの眼が心配になる。どこから見れば、この荒くれ者にミステリーの素養を見つけられるのだろう。
真琴を主役に据えるならば、ミステリーというよりハードボイルドな探偵物、いやそれも難しいか。クライムノベル、もしくはロマン・ノワールあたりが関の山だ。
ミステリー文芸会、ひいてはその"先輩"に俄然興味が湧いてきた。
「まぁ、面白そうでいいじゃないか」
俺はその選択にほのかな変化を望みつつ、真琴の提案に賛成した。
機に臨み変に応ずる。新たな環境に自らを置き、自分がどう対応するか。それが変化だ。
「おお。意外と食いついたな。んじゃ、行くか。どうせ他の見学者なんていないだろうし、空いてるはずだぜ」
真琴はそう言って、手を挙げる。俺たちの中で決まった動作で、多数決を募る際の合図だ。
「賛成。見るだけタダでしょ? 他に興味ある部活もないし」
「俺も賛成だ。その先輩に少しだけ興味が湧いた。ほんの少しだけ」
満場一致。俺たちは『ミステリー文芸会』なる、
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