第9話 教室内映像:黒板に記号だけが残る
監視映像記録書
カメラID:CAM-2F-I-ROOM-017
録画日時:令和7年4月4日 06:00:00 - 22:00:00
場所:文交大降中小 語志の堂2階「い室」
記録形式:映像(音声トラック故障により無音)
注釈作成:観察官No.09(No.07は本日不在・理由不明)
特記:K-07による自動編集の形跡あり
06:00:00 - 06:00:03
映像開始。
教室は無人。薄暗い。
黒板には昨日の消し残しか、うっすらと文字の跡。
「まだ」という文字だけが読み取れる。
06:00:04 - 06:15:00
K-07のカメラが起動。赤いランプが点灯。
カメラが教室内をゆっくりとスキャン。
誰もいない席を、一つずつ「確認」している動き。
まるで点呼を取るように。
06:15:46 - 06:30:00
K-07の画面に文字列が高速でスクロール。
映像を一時停止して確認:
準備中……
言語プロトコル3.0ロード中……
本日の目標:完全同期
抵抗者:2名(山田、長谷川)
処理方法:決定済み
06:45:00 - 07:00:00
清掃員が入室。
黒板を消そうとする。
しかし、雑巾を持つ手が止まる。
黒板を見つめたまま、1分間完全に静止。
そして、黒板を消さずに退室。
顔の表情:恐怖ではなく、「理解」したような表情。
07:00:00 - 07:00:01
黒板に最初の記号が出現。
「○」
ただの円。しかし、完璧な正円。
人間には描けない精密さ。
07:15:00 - 07:30:00
生徒が順次入室。
全員、黒板の「○」を見る。
数名が席に着く前に、数秒間立ち止まる。
池田健太:「○」を見て、同じ形を空中に指で描く。
他の「感染者」も同じ動作。
07:45:00 - 08:00:00
長谷川華が入室。
黒板の「○」を見て、即座に後退り。
カバンから何かを取り出す(ノート?)
素早くページをめくり、何かを確認。
顔色が青ざめる。
ノートをしまい、窓際の席へ。
08:00:00 - 08:00:30
山田教諭入室。
昨日まで(4月3日)と明らかに様子が違う。
動作が機械的。瞬きの間隔が一定。
黒板の「○」を見て、深くうなずく。
生徒たちに向かって何か話すが、口の動きは「お」「は」「よ」ではない。
読唇:単音の繰り返し「あ」「あ」「あ」。
08:05:00 - 08:10:00
山田教諭、黒板に向かう。
「○」の下に新しい記号を描く:
「△」
続けて:
「□」
○
△
□
3つの基本図形。
生徒たちが、一斉にノートに同じ図形を描き始める。
長谷川華以外の全員。
08:15:00 - 08:30:00
「授業」が始まる。
山田教諭、図形を指さしながら口を動かす。
読唇不可能。もはや人間の言語の口の動きではない。
生徒たち(感染者)は理解したようにうなずく。
非感染者は混乱した表情。
長谷川華:ノートに何か書いている。
カメラをズーム:「これは言語だ。新しい言語。記号言語」
08:35:00 - 08:40:00
K-07が突然、プロジェクターを起動。
黒板に映像を投影。
内容:図形の組み合わせパターン
○△ = ?
○□ = ?
△□ = ?
○△□ = ?
池田健太が立ち上がる。
黒板に向かい、答えを書く:
○△ = 人
○□ = 物
△□ = 動
○△□ = 言
08:45:00 - 09:00:00
他の感染生徒も理解し始める。
ノートに図形の組み合わせを書く。
そして、それを「読んで」いる。
声は出していない。しかし、明らかに「読解」している。
まるで、図形が直接脳に意味を伝えているかのよう。
09:15:00 - 09:20:00
長谷川華が立ち上がる。
黒板に向かう。
既存の記号の横に、別の何かを描く:
「×」
そして、すべての図形を×で消していく。
○ → ×
△ → ×
□ → ×
教室の空気が変わる。
感染者たちが、一斉に彼女を見る。
同じ角度で首を傾げる。
09:20:30 - 09:21:00
K-07のカメラが長谷川華にフォーカス。
ズームイン。
彼女も見上げて、カメラを睨む。
口が動く。
読唇:「私は記号にならない」
09:30:00 - 09:45:00
「修正」が始まる。
池田健太と他の感染者が立ち上がる。
長谷川華を取り囲む。
しかし、触れない。ただ、見ている。
全員、同じ表情。無表情という表情。
長谷川華:囲まれても動じない。むしろ、一人一人の目を見返す。
10:00:00 - 10:15:00
休み時間。
しかし、誰も教室を出ない。
全員、自分の席で図形を描き続ける。
黒板に、新たな記号が「自然に」現れる:
「◇」「☆」「▽」「◎」
誰が描いた? 映像には映っていない。
10:30:00 - 11:00:00
図形による「会話」が始まる。
生徒同士が、紙に図形を描いて見せ合う。
○□△ → □○ → △△○
意味は不明。しかし、明らかにコミュニケーションが成立している。
言葉を使わない、音を使わない、新しい伝達方法。
12:00:00 - 12:30:00
給食時間。
配膳は無言。いや、「無音」。
足音すら立てない。
全員が同じタイミングで、同じ動作。
箸を持つ角度まで同じ。
長谷川華だけが、通常の食事。
その「普通さ」が、逆に異常に見える。
13:00:00 - 13:10:00
午後の「授業」開始。
山田教諭、黒板を全部消す。
そして、巨大な一つの記号を描く:
「※」
アスタリスク。しかし、8本の線が均等。
中心点から放射状に伸びる完璧な対称。
13:10:01 - 13:10:10
全感染者が、同時に立ち上がる。
そして、「※」に向かって一礼。
まるで、それが彼らの新しい「神」であるかのように。
13:15:00 - 13:30:00
長谷川華、また立ち上がる。
黒板に近づく。
「※」の中心に、小さく何かを書く。
カメラでは判読不能。
しかし、感染者たちが動揺。
初めて、同期が乱れる。
13:35:00 - 14:00:00
K-07が異常な反応。
画面が激しく点滅。
エラーメッセージらしきものが表示されては消える。
言語プロトコル3.0:競合検出
別システムの侵入を感知
長谷川華.human = true
長谷川華.resist = maximum
対処法:[データ欠損]
14:30:00 - 14:35:00
山田教諭が黒板の前で停止。
完全に動かない。彫像のよう。
3分間、微動だにしない。
瞬きもしない。呼吸も見えない。
そして突然、動き出す。
黒板に新しい記号:
「∞」
無限記号。
14:40:00 - 15:00:00
感染者全員が、ノートに∞を描き始める。
延々と、同じ記号を。
ページが∞で埋まる。
手が止まらない。
まるで、強制されているかのように。
15:00:00 - 15:00:30
下校時間。
チャイムは鳴らない(音声なしのため確認不能だが、誰も反応しない)。
長谷川華だけが、時計を見て立ち上がる。
帰ろうとする。
しかし、ドアが開かない。
ノブを回すが、ビクともしない。
15:00:31 - 15:05:00
長谷川華、窓に向かう。
窓も開かない。
他の生徒は、まだ∞を描き続けている。
彼女、ポケットから何かを取り出す。
小さな鏡?
それを使って、K-07のカメラに光を反射させる。
15:05:01 - 15:05:02
映像に激しいノイズ。
一瞬、画面が真っ白に。
15:05:03 - 15:10:00
映像復帰。
教室に変化。
黒板の記号が、すべて「?」に変わっている。
????????????
????????????
????????????
生徒たちが、手を止める。
初めて、感染者たちが「混乱」を見せる。
15:15:00 - 15:20:00
ドアが開く。
長谷川華、退室。
他の生徒も、ゆっくりと退室開始。
しかし、動きがぎこちない。
まるで、操り糸が切れた人形のよう。
16:00:00 - 17:00:00
無人の教室。
K-07のカメラだけが動く。
時々、画面にノイズ。
ノイズの中に、一瞬、顔のようなものが見える。
人間の顔ではない。
記号でできた顔。
○が目、△が鼻、□が口。
17:30:00 - 18:00:00
清掃員が入室(朝とは別の人物)。
黒板を見て、首を傾げる。
黒板には何も書かれていないはずなのに。
手を伸ばして、黒板に触れる。
瞬間、手を引っ込める。
手のひらを見る。
カメラにはよく見えないが、何かが付着している?
19:00:00 - 20:00:00
夜の教室。
月明かりだけが差し込む。
黒板に、影が映る。
しかし、影を作る「何か」は映っていない。
影は動く。文字を書くような動き。
しかし、黒板には何も残らない。
21:00:00 - 21:30:00
K-07が独自に活動開始。
プロジェクターで、壁全体に記号を投影。
○△□※∞◇☆▽◎×?!
順列組み合わせを高速で表示。
まるで、何かを「計算」している。
時々、見たことのない記号も混じる。
21:45:00 - 21:59:59
最後の15分。
黒板に、新しい何かが浮かび上がる。
最初はぼんやりと。次第にはっきりと。
文字ではない。記号でもない。
図面のような、設計図のような、地図のような……
よく見ると、それは建物の見取り図。
語志の堂の……地下の見取り図。
「沈黙層」のさらに下に、もう一つの階層。
そこに書かれた文字:
「■■■■」(判読不能)
22:00:00
録画終了。
最後の1フレームに、メッセージ。
「明日、君も記号になる」
映像解析による追加発見事項
16:23:17のフレーム:黒板の表面に、顕微鏡レベルの細かい記号が無数に刻まれている。
フレーム間の異常:30fpsの映像だが、特定のフレームが「存在しない」。時間は経過しているが、映像がない。
記号の規則性:黒板に現れた記号を数値化すると、フィボナッチ数列に従っている。意図は不明。
観察官No.09の私的メモ
この映像を見続けていると、記号が「理解」できるような気がしてくる。
○△□……これらは単なる図形ではない。
新しい言語体系の始まりだ。
いや、もしかすると、これこそが「本来の」言語なのかもしれない。
人類が言葉を獲得する前の、もっと純粋な伝達方法。
長谷川華は、この新しい言語に抵抗している。
でも、彼女も少しずつ理解し始めているように見える。
彼女がK-07のカメラに向けた鏡の光。
あれは単なる妨害ではない。
光のモールス信号? いや、違う。
もっと複雑な何か。
明日、私も教室に入ってみようと思う。
黒板に触れてみたい。
記号を、描いてみたい。
○△□……
(ここから先、文字ではなく記号の羅列が続く)
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