第1部

第4話 初日の教室ログ:教師、生徒、ルールに戻る

文交大降中小 実験初日観察記録

記録ID:Day001-Class2B-Log

日付:令和7年4月1日(月)

場所:語志の堂2階「い室」

対象:2年B組(生徒数20名)

担任:山田誠司教諭(教職歴15年)

観察官:観察官No.07(氏名非公開)

記録方式:自動文字起こし+観察官注釈


07:45:00 - 登校開始

生徒が順次入室。いつも通りの談笑。

生徒A:「おはよう!春休みどうだった?」

生徒B:「家族で温泉に行ってきたんだ。すごく楽しかった」

K-07警告音:ピー(柔らかい音)

K-07音声:「おはようございます。本日より『三語教育』が始まります。発話は三語以内でお願いします」

生徒たち、顔を見合わせる。数名が笑う。

生徒C:「え、マジで?」(3語セーフ)

生徒D:「昨日の説明会、本当だったんだ……」(8語)

K-07警告音:ピーーー(やや強い音)

K-07表示:画面に大きく「8語 ×」の赤文字

生徒D、驚いて口を押さえる。教室に緊張が走る。


08:00:00 - 朝の会開始

山田教諭入室。困惑した表情。手に持ったメモを何度も見返す。

山田教諭:「えー、みなさん、おはよう、ございます」(4語)

K-07警告音:ピーーーー(強い不協和音)

K-07音声:「教師も三語以内です。ルールに戻ってください」

山田教諭:「おはよう、みんな」(2語、苦笑い)

生徒たち:(バラバラ、多くが4語)

K-07警告音:教室中に響く不協和音の嵐

観察官注記:混乱状態。K-07が個別の違反を識別し、該当生徒の席を赤く照らす。

山田教諭:「『おはよう』だけで」(3語)

生徒たち:「おはよう」(揃う)

K-07音声:「よくできました」(肯定音)


08:05:00 - 出欠確認

山田教諭:「出席、確認」(2語)

山田教諭:「青木さん」

青木:「はい、います」(2語)

K-07:肯定音♪

山田教諭:「池田さん」

池田:「はい」(1語)

K-07:より高い肯定音♪♪

観察官注記:生徒たちが「少ない語数=より良い評価」と学習し始める。

山田教諭:「長谷川さん」

長谷川:「……」

山田教諭:「長谷川、華さん?」(3語)

長谷川華:「…………」(無言で手を挙げる)

K-07:最高評価音♪♪♪♪♪

K-07音声:「無言、最高です」

クラスがざわつく。数名が長谷川を見る。彼女は窓の外を見ている。


08:15:00 - 1時限目:国語

山田教諭:(黒板に書く)「きょうは、さくぶん」(声に出さず)

生徒E:「作文やだなー」(3語)

生徒F:「三語だけ?」(2語)

山田教諭:「そう、三語」(2語)

山田教諭:(苦悩の表情で)「テーマは『春』」(3語)

観察官注記:通常なら「テーマは春について自由に……」と説明するところを極限まで削っている。教師の表情に疲労が見える。

生徒たち、原稿用紙に向かう。多くが鉛筆を持ったまま固まる。

K-07画面表示:

作文例:

春が来た。

花が咲く。

暖かい日。

鳥が鳴く。


08:25:00 - 作文時間

観察官が生徒の原稿を巡回確認。以下、記録:

生徒G作文:

「春だ。いい。楽しい。花。桜。きれい。学校。友達。遊ぶ。」

生徒H作文:

「春が来て、暖かくなって、みんなで」(7語で停止、消しゴムで消す)

「春、来た」(2語に修正)

生徒I作文:

「はる。はる。はる。」(同じ語の反復)

長谷川華の用紙:

白紙。ただし、紙の隅に小さく何か書いては消した跡。


08:35:00 - 作文発表

山田教諭:「発表、誰?」(2語)

誰も手を挙げない。

K-07音声:「発表は義務です。ランダム選択します」

K-07:「生徒番号7番」

生徒J:(立ち上がって)「春、きて、花、さいて、うれしい、です」(6語)

K-07警告音:ピーーーーーー

K-07音声:「6語です。もう一度。三語以内で」

生徒J:(震え声)「春。花。うれしい」(3語)

K-07:肯定音♪

観察官注記:生徒Jの目に涙。しかし誰も慰めの言葉をかけない。言葉が多くなるから。


08:45:00 - 異常事態1

生徒K:「先生、これおかしいよ。私たちは人間で、言葉でコミュニケーションを取る生き物なのに」(17語)

K-07警告音:最大音量の警報

K-07画面:真っ赤に点滅「違反レベル3」

教室の照明が赤く明滅。全員が生徒Kを見る。

K-07音声:「重大違反です。『沈黙層』へ移動してください」

扉が自動的に開く。廊下から観察官No.11が入室。

観察官No.11:「来なさい」(1語)

生徒K:「でも、私は間違ったこと言ってない――」(8語)

K-07:耳をつんざく超音波

生徒K、耳を押さえてうずくまる。観察官が腕を取って連れ出す。

山田教諭:「待って――」(1語で止める)

山田教諭:(口を開きかけて、閉じる。何も言えない)


09:00:00 - 2時限目:算数

教師交代。算数担当の鈴木教諭(教職歴3年)が入室。

すでに三語に慣れた様子。

鈴木教諭:「計算、します」(2語)

(黒板に「3+4=」と書く)

鈴木教諭:「答え、は?」(2語)

生徒L:「3足す4は7です」(本来の回答)

K-07:警報音!!!「6語違反!」

生徒L:(怯えて)「なな」(1語)

K-07音声:「素晴らしい! 1語での回答!」

K-07:特別褒賞音♪♪♪♪♪♪♪

鈴木教諭:(困惑しながらも)「正解」(1語)

観察官注記:思考過程の説明が禁止され、答えのみを言うことが推奨される。「なぜ」「どうやって」が消え、ただ結果だけが残る。教育ではなく、オウム返しの訓練になりつつある。


09:15:00 - 適応の加速

鈴木教諭:(黒板)「12÷4」

生徒M:「さん」(1語)

K-07:最高評価

鈴木教諭:(黒板)「では文章題を……」(4語)

K-07警告音:ピー

鈴木教諭:「文章、題」(2語、苦笑)

黒板に書く:「リンゴが5個あります。3個食べました。残りは?」(従来の書き方)

K-07音声:「文章も三語以内に」

K-07画面:自動修正「リンゴ5。食べた3。残り?」

生徒たち、混乱。

生徒N:「に……こ?」(不安そうに)

鈴木教諭:「そう!」(1語)


09:30:00 - 言語の崩壊開始

観察官注記:この時点で、すでに通常の会話が成立しなくなっている。

生徒O:(トイレに行きたそうに)「先生、トイレ……」(2語)

鈴木教諭:「行って」(1語)

生徒P:(鉛筆を落として)「あ」(1語)

生徒Q:(拾って渡す。無言)

K-07:肯定音の連続

観察官注記:無言のコミュニケーションが増加。視線、身振りでの意思疎通が始まる。


09:40:00 - 長谷川華の異変

長谷川華:(突然立ち上がる)「言葉は、思考の、道具で、それを、奪うのは――」(8語で自分で止める)

K-07警告音:始まるが……

長谷川華:「ごめん、なさい」(2語)

K-07:警告を中断

しかし、彼女はノートに何かを書き続ける。

観察官が近づいて確認:

「ことばをうばわないでことばでかんがえるからにんげんなのにさんごじゃなにもつたわらない」(ひらがなのみ、句読点なし)

K-07画面:「手書き文字検出。語数カウント不能。観察継続」


10:10:00 - 職員室の様子(監視カメラ記録)

山田教諭:「これ、おかしい」(2語)

鈴木教諭:「しかたない」(1語)

教頭:「ルール、守る」(2語)

山田教諭:「でも――」(1語で止める)

山田教諭、机に頭を抱える。

K-07(職員室用):「会話を検出しました。教育について話すなら、三語でお願いします」

全員、沈黙。


10:15:00 - 生徒Kの帰還

生徒K、「沈黙層」から戻る。顔色が悪い。

生徒T:「だいじょうぶ?」(1語)

生徒K:「……」(無言でうなずく)

観察官注記:生徒Kは一切話さなくなった。「沈黙層」で何があったか、記録なし。


10:30:00 - 3時限目:理科

理科担当の田中教諭入室。すでに諦めた表情。

田中教諭:「今日、水」(2語)

(ビーカーを見せる)

田中教諭:「熱する」(1語)

(アルコールランプに火をつける)

本来なら「水を熱すると何が起きるか観察しましょう」と説明するはずが……

生徒U:「あわ」(1語、泡を指して)

田中教諭:「そう」(1語)

生徒V:「なぜ?」(1語)

K-07警告音:ピー

K-07音声:「『なぜ』は禁止語彙です」

生徒V、驚いて黙る。

観察官注記:疑問詞の禁止により、探究心も奪われていく。


10:45:00 - システムの「進化」

K-07音声:「皆さん、よく順応しています。ご褒美があります」

K-07画面:「次の1時間、2語制限に挑戦してみましょう」

生徒たち、顔面蒼白。教師も震える。

山田教諭:「それは……」(2語)

K-07音声:「挑戦は任意です。でも、成功したクラスには『特別な報酬』があります」

「特別な報酬」の部分で、音声が歪む。機械音とも人の声ともつかない。


11:00:00 - 2語制限への挑戦

生徒たち:(ほぼ全員が沈黙)

生徒W:「あつい」(1語)

生徒X:「うん」(1語)

生徒Y:「まど」(1語、窓を指す)

田中教諭:「あける」(1語)

観察官注記:もはや原始的な意思疎通のレベル。

長谷川華:(また立ち上がる)「やめて」(1語)

皆が彼女を見る。

長谷川華:「もどって」(1語)

K-07音声:「『もどって』? 何にもどるのですか?」

長谷川華:「ルールに」(2語)

K-07音声:「素晴らしい。そうです。ルールに戻りましょう。基本の三語に」

しかし、長谷川の表情は、別の何かを訴えているように見えた。


12:30:00 - 昼休み

校庭で遊ぶ生徒たち。歓声の代わりに、単音の叫び。

「あー」「おー」「わー」

まるで言葉を獲得する前の人類のよう。

K-07(校庭用スピーカー):「とても良い傾向です。言葉は最小限に。感情は音で表現しましょう」


13:00:00 - 5時限目::体育

体育教諭:「走る」(1語)

生徒たち、走る。

体育教諭:「止まる」(1語)

生徒たち、止まる。

もはや調教に近い。


14:45:00 - 帰りの会

山田教諭:「今日、終わり」(2語)

山田教諭:「明日も」(2語で止める)

山田教諭:「……」(言いたいことがあるが、言葉にできない)

K-07音声:「初日は大成功でした。明日は、もっと上手になるでしょう」

「もっと上手」の意味を、誰も聞かない。聞けない。


15:00:00 - 下校

生徒たち、無言で帰っていく。

昇降口で、数名が手を振り合う。言葉の代わりに。

長谷川華:(最後に教室を出る)

振り返って、K-07のカメラを見上げる。

口を開く。何か言おうとする。

しかし、結局何も言わずに去る。

観察官注記:彼女の口の動きをスロー再生で確認。「たすけて」と読めた。音声なし。


観察官総括

初日にして、言語によるコミュニケーションは70%減少。

生徒たちの「適応」は予想を超える速度。

ただし、これを「成功」と呼べるのか。

生徒たちは確かに「ルールに戻った」。

しかし、彼らが戻った先は、人間の「ルール」なのだろうか。

明日、「ん室」での特別授業が予定されている。

詳細は知らされていない。

観察官No.07記入

(この後、手書きで小さく)

「私も、もう、長い文章が、書けなく、なってきた」


特記事項

生徒Kの「沈黙層」での記録は別途報告書あり(閲覧制限)

長谷川華を要注意人物として継続観察

K-07の自律的発話について調査中

明日から「2語推奨タイム」を1日3回に増加


データ保存完了

自動アップロード済み

編集不可設定

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る