第3話 模試とライバル

 放課後の教室に、妙な緊張感が漂っていた。

 全国模試の成績が返却される日――つまり、クラス内ランキングが露骨にわかってしまう日だ。


「はー……やだやだ。俺、また赤点だろうな」

 数学と英語の答案を思い出して頭を抱える。特に英語の長文は睡魔との戦いに完敗して、後半白紙だった。


 でもそれ以上に期待していないのは世界史だ。

 年号や人名の暗記がどうにも頭に入らない。地図でならイメージできるんだが……試験問題はそんな甘くない。


 封筒を開ける。

 ……結果は、D判定。ギリギリ底辺をさまよっている。


「……終わった」


 机に突っ伏した俺の隣から、聞き慣れた声が弾む。

「悠真さん! わたくし、信長公の設問を見事に正解いたしましたの!」


 朝比奈琴音が、目を輝かせて答案用紙を振っている。

「問:織田信長が行った政策を一つ答えよ。――もちろん、楽市楽座ですわ!尊い!」


「それ一問だけじゃねーか……」

「ええ、それ以外は……七割ほど……」


 七割できてれば普通に良い方じゃね?と一瞬思ったが、琴音にとっては「推しに答えられるかどうか」が基準らしい。


 そんな中、もう一人の声が教室を支配した。


「俺は全国模試、A判定だった」


 振り返れば、眼鏡の奥から冷徹な視線を光らせる男――森山知紀だ。

 机に答案を積み上げながら、淡々と告げる。

「数学は九割、英語も安定して八割。国語は古文で少し落としたが、世界史は満点だ」


 教室がざわめく。

 さすが、と誰かが小さくつぶやいた。


 森山は立ち上がり、わざわざ俺たちの机に歩み寄ってきた。

「お前たち。歴史を“遊び半分”でやっているその態度、理解できない」


 冷水を浴びせるような言葉に、琴音が反応した。

「遊び半分ではありませんわ! 尊いから学んでいるのです!」

「尊い? 馬鹿げている。試験で点になるのは、政策名と年代。感情は不要だ」


「森山、お前なぁ……」

 俺は思わず口を挟んだ。

「歴史は好きで学ぶもんだろ。年号暗記ばっかじゃつまんねーだろ」

「つまらないかどうかは関係ない。俺は東大に受かるために学んでいる」


 淡々と告げられる言葉。

 それが、妙に重たく響いた。


 クラスの数人が「東大!?」と小声で盛り上がる。

 そりゃそうだ。俺みたいな凡人からすれば、彼は別次元だ。


「けれど森山さん」

 琴音が毅然と顔を上げる。

「歴史は人間の営み。尊い思いに触れてこそ心に残りますの。点数だけで測れるものではありませんわ」

「心に残す必要などない」森山は切り捨てる。

「点を取れなければ大学に入れず、未来も変えられない。それだけだ」


 ピシャリとした声に、周囲がシンと静まり返る。


 だが、俺は思わず口を開いていた。

「……でもな。地図で考えると、意外に覚えやすいんだ」

「地図?」森山が眉をひそめる。


「たとえば三十年戦争。ドイツの内陸で戦乱が広がったって言うけど、地図で見ると四方八方に隣国が入り込んでて、混乱必至なんだよ。そしたら自然と“ああ、こうなるよな”って覚えられる」


 一瞬、森山の目がわずかに見開かれた。

 けれど、すぐに冷徹な光を取り戻す。

「……そんな曖昧な理解で点は取れない」

「そうか? 俺、この前の小テストで地図から答え導けたけどな」

「な……っ」


 クラスからどっと笑いが起きる。

 森山は赤くなりかけた顔をぐっと引き締め、吐き捨てるように言った。

「いいだろう。なら次の模試で、実力を見せてもらう」


 そう言い残して去っていく背中を見ながら、俺は息を吐いた。

(なんだって俺は……この二人と張り合わなきゃならないんだ)


 だが心のどこかで、奇妙な高揚感があった。

 勉強ってのは、退屈な暗記だけじゃない。

 琴音みたいにロマンで笑えるし、森山みたいに未来を背負う覚悟もある。

 そして俺は――地図で考えれば、意外といけるかもしれない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る