第135話 声の誕生 ― 夜宵アリア、初配信前夜

 部屋の明かりを少し落とす。

 モニターに照らされる机の上には、マイク、インターフェース、そして彼女のヘッドセット。

 半年間、何度も調整を重ねてきた環境。

 でも今夜の空気は、どこか違っていた。


(……いよいよ、だ)


 心臓の鼓動が、呼吸の音よりも大きく響く。

 何百回と練習した発声。

 何十回と繰り返したセリフ。

 それでも、初めて「自分の声で始まる」夜は、特別だった。


準備


 チェックリストの最後に指を滑らせる。


BGM音量:✔


モデル同期:✔


コメント反映:✔


 画面の隅で、ステラリウムメンバーのアイコンが光る。


白峰ユリ:「緊張してる?」

天音レナ:「配信前、深呼吸3回ね!」

柚咲メア:「初回で声震えたら、逆にかわいいからOK!」


 ふっと笑みがこぼれる。

 半年間の準備が、ようやく“ここ”につながった。


ステータスボード(内部更新)


 ほんの数秒だけ、意識の奥に浮かぶ透明なボード。

 数字が小さく揺れて、どこかが変わる。


(……言葉を、届けるために)


 指先がマイクのポップガードを撫でた。

 その動きは自然で、静かな自信に満ちていた。


SNS:#夜宵アリア初配信待機


リスナーA:ついにこの時が来た……

リスナーB:Noctiaの声が、Vとして帰ってくる

リスナーC:絶対泣くやつ

リスナーD:30分前から心臓がもたない

リスナーE:#沈黙から声へ トレンド入りしてるの熱すぎ


 世界中で“待機”が始まっていた。

 まるで、画面の向こうにひとつの夜空が広がるように。


開始5分前


(緊張してるのに、不思議と怖くない)


 机の上のメトロノームが、静かに刻む。

 アリアは目を閉じて、ゆっくり息を吸い込んだ。


 言葉にする代わりに、指先で軽く机を叩く。

 ――これは、音のリズムを“言葉の代わり”にしていた頃の癖。


(もう、沈黙じゃない。

 これからは、私の声で)


 配信ソフトの「開始」ボタンにカーソルが重なる。

 指先が震えたが、迷いはなかった。


《LIVE START》


 軽いクリック音。

 BGMが流れ、マイクに息を吹き込む。

「――こん……ばん……わ、っ」


一瞬、言葉が絡まった。

ほんの少し噛んだだけなのに、

コメント欄が一斉に爆発する。


【コメント欄】

リスナーA:初手かんだwww

リスナーB:緊張してるのかわいい

リスナーC:Noctia時代から推しててよかった(涙)

リスナーD:沈黙の歌姫、かわいい声で噛むの反則だろ


 アリアは少し息を整えて、もう一度微笑んだ。

「……改めて。こんばんは、夜宵アリアです」


 その瞬間、空気が変わる。

 画面の向こうの何万人が、一斉に息を呑んだ。

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