青い石
おーへや
友人からの忠告
「ねえ、なんでそれ、いつもつけてんの?」
大学の学食で向かい合って座っていた友人の
奉献は自分の胸元で鈍く光る青い石を見下ろした。楕円形の石は、光を当てる角度によって深い青から薄い水色まで、さまざまな表情を見せる。物心ついた時、いや、それよりもずっと前から肌身離さず身につけていたものだ。
幼い頃に亡くなった母親がお守りだと言っていたような気がする。朧げな記憶の中で、母の手が、奉献の手を優しく包み込みながら、「これがあなたを守ってくれるから」と。
「わからん。でもなんか、外すの怖くて」
奉献はそう答えながら、無意識に石を握りしめた。冷たいはずの石が、なぜか温かく感じられる。
「ふぅん」
天津の表情が、一瞬だけ陰りを見せた。何かを考え込むように眉をひそめ、それからいつもの明るい表情に戻る。
天津啓一は奉献にとって、大学で初めてできた友人だ。入学して間もない頃、一人でいることが多かった奉献に真っ先に声をかけてくれたのが天津だった。
背が高く、整った顔立ちで、いつも周りに人が集まっている。女子からの人気も高く、まさに大学のスター的存在。そんな天津が、まさか自分のような人間と友達になってくれるとは思いもしなかった。
故郷の田舎町では、奉献は「呪われた子」として知られていた。
五歳の時、両親を交通事故で亡くした。祖父母のもとで育てられることになったが、その後も奉献の周りでは不幸が続いた。仲良くしてくれていた隣の家の女の子は階段から落ちて大怪我を負い、小学校時代のクラスメイトの家は火事で全焼。中学の時には、よく一緒に遊んでいた友人が原因不明の熱病で一ヶ月も入院した。
「奉献くんと関わると良くないことが起こる」
そんな噂が町中に広まり、いつしか奉献は一人でいることが当たり前になった。祖父母は優しかったが、やはりどこか心配そうな目で奉献を見つめることが多かった。
だからこそ、天津の存在は奉献にとって救いだった。天津は奉献の過去を知らない。偏見もなく、普通に接してくれる。二人でいると、奉献は初めて「普通の人間」になれたような気がした。
「なあ、奉献」
天津が急に真剣な表情になった。周りの学生たちの雑談が遠くに聞こえる。
「その石のこと、詳しく調べたことあるか?」
「え? なに急に?」
「実は……」
天津は奉献の向かいに身を乗り出すと、声を潜めて話し始めた。
「図書館で郷土史を調べてたら、お前の実家があった地域の古い記録を見つけたんだ」
「郷土史? なんでそんなものを?」
「レポートの参考にと思って。でも偶然、お前の出身地の資料に目が留まったんだ」
天津は一呼吸置いて、言葉を続ける。
「その石に酷似したものの記述があった。『青の呪石』って呼ばれてたらしい」
「呪石?」
奉献の脳裏に嫌な予感がよぎる。胸元の石が、急に重く感じられた。
「昔、その地では奇妙な死が相次いでいた。調べてみると、皆が同じような青い石を身につけていたんだと。石を身につけた者の周りでは不幸が続き、やがて持ち主本人も命を落とす、と記録にあった」
天津の声は徐々に低くなっていく。学食の喧騒が急に遠のいたような感覚に奉献は襲われた。
「まさか、そんな……」
奉献は首を振った。そんな話、一度も聞いたことがない。迷信に決まっている、と断言したいのに、言葉は喉の奥に引っかかった。
自分の身の回りで起こった数々の不幸が、脳裏を駆け巡る。両親の事故死、友人たちの災難、そして自分を避けるようになった人々の視線。
「でも、母さんは守ってくれるって……」
「お前のお母さんは、本当に石の正体を知っていたのか? もしかしたら、お母さん自身も知らなかったんじゃないか?」
奉献は返答に詰まった。母親の記憶は曖昧で、五歳の子供が覚えていることなど限られている。本当に母が「お守り」と言ったのか、それとも自分の願望が作り出した記憶なのか、もはや判然としなかった。
「考えてみろよ。お前の周りで起こった不幸を。全部、石のせいだったとしたら?」
天津の言葉が、奉献の心に深く突き刺さった。
――
その夜、奉献は一人で自分のアパートにいた。天津の言葉が頭から離れない。
机の上に置いたノートパソコンの画面には、天津から送られてきた資料のコピーが映し出されている。確かに「青の呪石」についての記述があった。江戸時代後期から明治時代にかけて、奉献の出身地で起こった不可解な出来事の記録。
『青き石を帯びし者、その周辺にて変事頻発せり。石を所持する者は最後に命を失い、石は行方知れずとなる』
古い文体で書かれた記録を読むうち、奉献の手は震え始めた。
ふと、幼い頃の記憶が蘇る。祖母が時折見せていた、困ったような、それでいて諦めにも似た表情。祖父が石を見つめる時の、何か言いたげな沈黙。
二人とも何かを知っていたのではないか。
何か自分に言いたかったのではないか。
奉献は携帯電話を手に取り、祖父の番号を探した。しかし、指が画面に触れる直前で止まる。もし本当に石が呪いのものだったとしたら、祖父母はなぜそれを自分に身につけさせ続けたのか。
不安に駆られた奉献は、天津に電話をかけた。
「もしもし、奉献? どうした?」
天津の声は普段通り明るく、それだけで奉献は少し安心した。
「あの資料のこと、もう少し詳しく教えてくれないか」
「ああ、気になってるのか。実は俺も図書館で調べてたら、司書の人に声をかけられたんだ。お前と同じ地域の出身らしくて、昔からそういう話があるって教えてくれた」
天津の説明は具体的で詳細だった。あまりにもリアルで、嘘をついているようには思えない。
「でも、信じられないよ。だって俺、今まで普通に生きてこられたし」
「普通に、か」
天津の声に、微かに皮肉めいたものが混じったような気がした。
「お前が普通だと思っているなら、それでもいいけど……でも奉献、本当のところはどうなんだ? 石のせいで、もっとたくさん友達ができたはずなのに、一人でいることが多かったんじゃないか?」
天津の指摘は的確だった。確かに奉献は、人と深く関わることを避けてきた。相手に迷惑をかけてしまうかもしれないという恐怖から。
「お前とは友達になれたじゃないか」
「それは俺が特別だからかもしれないぞ」
天津は笑いながら言った。
彼の笑い声は普段通り親しみが込められている。
翌日、二人は大学の図書館で待ち合わせた。天津は分厚い郷土史の本を何冊も積み上げ、熱心にページをめくっている。
「おはよう、奉献。昨夜はよく眠れたか?」
「まあまあ、かな」
実際には、奉献はほとんど眠れていなかった。石の夢を見続けていた。青い光に包まれながら、誰かに名前を呼ばれ続ける夢。声の主は見えないが、とても懐かしい感じがした。
「見てくれ、これ」
天津が指差したページには、奉献の知っている土地の古い地図が載っていた。
「お前の実家があったのは、ここだろ?」
天津の指が地図上の一点を示す。確かにその場所は、奉献が育った祖父母の家があった場所だった。
「この一帯で、江戸時代から昭和初期まで、定期的に不可解な死亡事故が起こってる。間隔は大体二十年から三十年。そして必ず、青い石の目撃情報がある」
天津の説明を聞きながら、奉献は自分の生年月日を計算した。最後に記録された事件から、ちょうど二十年ほど経っている。
「偶然だ」
奉献は呟いた。しかし、心の奥では、これが偶然ではないことを悟り始めていた。
「奉献、俺はお前のことが心配なんだ」
天津が突然真剣な表情で言った。
「お前は俺の大切な友人だ。このまま石を身につけ続けて、何か取り返しのつかないことが起こったら……俺は自分を許せない」
奉献は天津の真摯な瞳を見つめた。この男は本気で自分を心配してくれている。生まれて初めて、誰かがこれほど真剣に自分のことを思ってくれていると感じた。
「でも、もし石を外したら……」
「何が起こるって言うんだ? 悪いことが起こらなくなるなら、それは良いことじゃないか」
天津の言葉に、奉献は反論できなかった。
「考えてみてくれ。この一年間、俺たちが友達になってから、お前の周りで何か悪いことが起こったか?」
言われてみれば、確かにそうだ。天津と知り合ってから、奉献の生活は劇的に変わった。他の学生たちとも普通に会話ができるようになったし、サークル活動にも参加した。まるで石の呪いが弱くなったかのように。
「もしかしたら、石の力が弱くなってるのかもしれない。今なら、安全に外せるんじゃないか?」
天津の提案に、奉献の心は揺れた。
――
週末、二人は市街地から離れた山道を歩いていた。天津が提案した場所だった。
「人里から離れた場所の方がいい。もし何か起こっても、誰にも迷惑をかけずに済む」
山道は思った以上に険しく、奉献は息を切らしながら歩き続けた。鳥の不気味な鳴き声と木々の葉擦れの音が、奉献の心をざわつかせる。空は厚い雲に覆われ、今にも雨が降り出しそうだ。
「なあ、天津」
「なんだ?」
「どうして俺なんかと友達になってくれたんだ?」
歩きながら、奉献は以前から疑問に思っていたことを口にした。
「お前はモテるし、頭もいいし、みんなから好かれてる。俺みたいな奴と一緒にいても、得することなんてないだろ?」
天津は足を止め、振り返った。憐憫、あるいは友愛を含んだ、何とも言えない表情で奉献を見つめる。
「お前は自分のことを対したことないって言うけど、俺からしたら、とても魅力的だと思う」
「魅力的?」
「そう。お前には他の人にはない、特別なものがある。最初に出会った時から、強く惹かれていたんだ」
天津の言葉に、奉献はむず痒くなった。
こんなにも自分のことを気にかけてくれる相手がいるなんて、一年前までは想像もできなかった。
「……ありがとう、天津」
口から絞り出された言葉は単純なものだったが、それでも天津はいつもの笑顔で頷いてくれる。天津の優しさと気遣いに、奉献は改めて感謝の気持ちを抱いた。
「もし俺が石を外したら、お前が言う特別さもなくなるかもしれないけど」
「馬鹿なことを言うな。お前の価値は、石なんかで決まるものじゃない。お前自身にあるんだよ」
二人はさらに山奥へと進んだ。やがて、小さな池のほとりに辿り着いた。池は驚くほど透明で、底まではっきりと見える。周りは深い森に囲まれ、人の気配は全くなかった。
「ここでいいのか?」
奉献が小さな声で尋ねると、天津が頷く。
「ああ。もし本当に呪いがあるなら、この池の水が浄化してくれるはずだ」
奉献は震える手でペンダントのチェーンに触れた。二十年間、一度も外したことがない。外し方すら忘れてしまっているほどだった。
チェーンの留め金に手をかけた瞬間、急に風が強くなった。まるで石が抵抗しているかのように。
「大丈夫、俺がついてる」
天津の励ましの声に背中を押され、奉献はついにペンダントを外した。手のひらに載せられた石は、これまで以上に青く、妖しく光っている。
「――ごめん」
奉献は石に向かって小さく呟いた。母の形見だったかもしれない石に、最後の想いを込めて。
そして、思い切って池に向かって投げた。石は弧を描いて飛び、水面に小さな波紋を作って沈んでいく。
と同時に、激しい耳鳴りが奉献を襲った。
全身を貫くような耳鳴りの中、かろうじて崩れ落ちるのを堪え、石が水の底へと沈んでいくのを見つめる。不思議なことに、水底に沈んだ石は、姿が見えなくなるまで微かに光り続けていた。
耳鳴りが収まりかけた時、ポケットに入れていたスマートフォンが震えた。祖父からだ。奉献は慌てて電話に出る。
「もしもし、じいちゃん?」
「奉献」
スマホを耳に当てると、普段は穏やかな祖父の声が、怒っているような、どこか焦りに満ちた低い声で聞こえてきた。
「石を外したな」
深刻な声で断定する祖父に、奉献は戸惑いを隠せない。なぜ分かるのか。まるで一部始終を見ていたかのようだ。
「じいちゃん、どうして……」
「今すぐそこから逃げろ。一緒にいる奴から離れるんだ」
「え?」
奉献は天津の方に視線を向けた。天津は池を見つめたまま、奉献の電話を気にする様子もない。
「何を言って……」
「いいか、奉献。石はお前を守っていたんだ。呪いなんかじゃない。お前を狙う――あの方から守る結界だったんだ」
祖父の説明に、奉献の頭は混乱した。
「あの方って?」
「長い間、お前のことを狙っている奴がいる。石があるうちは手を出せなかった。だが、石を外した今……」
ノイズが走ったように祖父の声が途切れ途切れになり、ぷつりと通話が切れた。
「じいちゃん? じいちゃん!」
何度かけ直しても繋がらない。
奉献はスマホの画面を見つめた。圏外の表示が出ている。山奥だから電波が悪いのだろうか。
逃げろって何だ?狙っている奴って何だ?
一緒にいる奴から離れろって、まさか天津のことか?
さまざまな疑問が頭を飛び交う最中、いきなり強い力で腕を掴まれた。
「天津?」
振り返ると、天津が奉献の腕を掴んでいた。その力は異常に強く、まるで万力で締め付けられているようだった。
「やっと」
天津は俯いており、表情がよく見えない。声も、普段の明るいものではなく、どこか低く、冷たい響きを持っていた。
「やっと、お前に触れられる」
言い表せない不安が背筋を伝う。奉献は天津の手を振り払おうとしたが、びくともしない。
「天津、痛いよ。離してくれ」
「天津?」
天津はゆっくりと顔を上げた。
その顔は、確かに天津の顔だった。しかし、何かが決定的に違っていた。瞳の奥に宿っているものが、人間のそれではない。まるで深い闇の底から、何かが覗いているかのような。
「ありがとう、奉献」
天津は、今まで見たことがないくらい嬉しそうな顔で笑っていた。
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