白蛇様と生贄

 蛇目神社は、村の領地を出て四刻ほど歩いた先にある。

 誰もが寄り付かない鬱蒼とした山の中にぽつねんと佇む蛇目神社には、腰を抜かすほどに大きい白蛇の化け物が棲み着いているのだと聞かされていた。


 白蛇の目は赤く、数秒でも目を合わせると石にされると言われている。

 そのため、生贄は目隠しをされ、本殿の中にほとんど捨て置かれる形で放置されるのが習わしだった。

 それは澪も例にもれず、まるで罪人のように胴を縄で繋がれ、白い布で目隠しをされながら獣道を歩いていた。


 澪の前後左右には数人の若い男が連なって歩いており、手には持ち運び式の洋灯を持っている。顔には黒い面布めんぷが掛けられており、ほとんど足元しか見えないようになっていた。万が一にでも、大蛇と目を合わせないためのものなのだそうが、なにぶん百年に一度の儀式であるため歩き慣れていないのか、男たちが澪の隣で何度か驚嘆の声を上げた。

 おそらく木の枝に触れたか、石にでもつまずいたのだろう。

 毎日、唯子に打たれるような生活をしていた澪にとっては、木の葉が体にかすれる程度など些末なことだった。


「ここから先、真っすぐ進み、本殿の扉を開けて入れ」


 どうやら、ここから先はひとりで行かねばならないらしい。

 胴の縄を外され、境内にぽつんと残される。

 澪の傍にいた男たちは、さっさともと来た道を戻っていくのが足音で分かった。

 距離にして数十歩だと聞かされるも、目隠しをしたまま歩くのは難しい。手を前に突き出しながら恐る恐る歩く自分を脳内で俯瞰して、あまりの惨めさに下唇を噛んだ。


(だけど、そう思うのもあと少しだわ。もう死ぬんですもの……)


 ほどなくして手のひらに木目のざらつきを感じ、ここが本殿に続く扉なのだと察する。


 昨日は寧々子を守らねばと気丈に振る舞っていたけれど、いざ扉を前にすると、恐怖で足がすくんだ。

 がちがちと奥歯が鳴り、冷や汗が止まらなくなる。

 それでも、逃げ場はどこにもないのだ。村へ戻っても、再び外へ出されるに違いない。なにより、自分には居場所がない。


 澪は肺の奥まで酸素を取り込むように深く息を吸い込むと、ゆっくり扉を開いた。重苦しい開閉の音が本殿に響き渡る。

 本殿は長らく換気されていないのか、埃っぽさを感じた。砂利のようなものが下駄裏に擦れる音がよく響き、かなり広い本殿であることを知る。

 そのまま真っすぐ進んだところで、足がもつれ、その場に倒れ込んだ。


「うっ……」


 鈍い痛みに、つい声が漏れる。

 誰もいないのか、自分の体が床に打ち付けられた音と声だけが静謐せいひつな本殿の中でこだまする。

 痛みに顔を歪めながら、ゆっくりと腕で体を押し上げたとき、微かに何者かに見られているような気配を感じた。


「だ、誰っ!」


 首を振って辺りを見渡すも、そもそも目隠しをされているせいでなにも見えない。

 澪は暗がりの中、床に手をつき、何か自分を守れるようなものはないかと探した。

 たとえ棒切れでもいい。何もないよりはいいと掴んだのは、温かな何かだった。


「ひっ……!」


 ぬるく柔らかな感触に、喉の奥から悲鳴が上がる。そのとき、目隠しの布が外れた。


「此処にいるということは、お前が生贄の娘か?」


 そう尋ねてきた男は、床の上で胡座をかき、肘をついて澪を見ていた。


「あ、あ……、あ…………」


 ――貴方は誰。


 たった数文字の言葉すら紡げず、澪は目の前の男の赤い目を見る。

 男の目は人間のものとは思えないほど、血で染めたように赤かった。


「そう怯えなくていい。どんなふうに俺のことを聞かされているのかは知らんが、お前を取って喰ったりはしない」

「で、ですが……」

「お前には俺が人を喰うような奴に見えるのか? ん?」


 目を細めながら薄く微笑まれ、彫刻のような美しい姿形に澪は息を呑む。

 目の前にいるのは人間だ。そう、人間なのだ。


 ――蛇目神社は人の手による管理を離れ、白蛇の大蛇しか棲んでいない。


 そう聞かされていたため、ここに人間がいることも、澪にとっては受け入れがたいことだった。


「あ、貴方は、誰ですか……? ここの管理人の方……ではないですよね?」

「管理人だ。まぁ、うちの者とて、百年に一度しか来ないが」


 男がすくと立ち上がり澪を見下ろす。

 男の動きに合わせてふわりと揺れる髪は、白髪に見える。暗がりでよく見えないが、黒ではないことは夜目が効かない澪でもわかった。


「ほら、立て。いつまでも此処にはいたくないだろう?」

「ですが、私は生贄で……白蛇の神様に魂を捧げよと言われています」

「ふむ、そんなふうに言われているのか? ならば、俺がその白蛇の神様だ」

「へ……?」

「ということにしておいて、今は大人しくついてきてくれないか」


 状況を読み込めぬまま男に手を引かれ、澪は本殿の外へと連れ出される。

 月明かりの下で見た男の髪はやはり白く、着流しも白かった。白い布地に金の糸で施された装飾が羽衣のようにも見える。

 その姿は、言い伝えで聞かされていた白蛇の風体とよく似ていた。


「ところで、名は何という」

「澪……浅葱澪です」

「澪か。俺は蛇目白李じゃのめはくりだ」


 それでは行こうと有無を言わさぬ勢いで言われ、澪は戸惑いながらも男のあとを追っていく。


(どうせ、あそこにいたってあのまま死んでしまうもの)


 ただ、ほんの少し寿命が延びただけ。


 それでもいまの澪にとってこの男の存在は道しるべのようなもので、澪は懸命に足を動かし、草木が生い茂る悪路を進んだ。

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