さくらいろ
あだちよしなが
第一部
出会い
春、桜が咲く頃になると、私はよく川に繰り出して、満開の桜の下を歩く。そこには多くの親子連れ、若い男女が幸せそうに歩いているのである。私は、女性というものを好きになる感情に目覚めたのが、あまりにも早すぎた。と感じていた。
中学生時代も、もう結構遠い前の出来事になってしまった。その頃の自分というのは今の自分と比べてもいくらか幼く、それゆえに色々と純粋な人間だった、と振り返った今になって思う。今となっては、その頃の出来事がもはや懐かしく、そして、その青臭い自分というものが、少しだけ恥ずかしく思えてくるのであった。とはいえ、人間というのは、案外そういうものであるのかもしれない。それが人間の成長というものであるのかもしれない、とも思うのであった。
私が心を灼くあの経験をした頃は、吹奏楽部の生活にもようやく慣れてきて、後輩を迎えるのも秒読みの時期であった。周囲の友人にもぽつぽつと恋人持ちが増え始めてはいたのであるが、なぜか自分にはそのような浮いた話というのが一切ない。このとこは、自分にとっても少し悔しくもあったのをよく覚えている。私と一番近しかった女友達は、彼氏ができたことを私に自慢してきたのもこの頃だったか。相手は確かサッカー部のMと言って、典型的な「脳筋」野郎だったのを覚えている。ちょうど同じ頃には、吹奏楽部の中で恋愛をし出すカップルが出てきて、クラリネットのNとユーフォニアムのWが付き合い始めたなどと言い出したのである。こうなってくると、同級生の間でもこういった恋愛の話でもちきりになり、結果として私のように「モテない」(当時の自分はまさかこちら側の人間になっているとは認識していなかったが)人間は半分爪弾きになってしまったのである。もっとも、これに関しては他人の人間関係にさして興味のなかった自分にも半分くらい原因があるのだが。さりとて、自分にも恋愛感情に似たようなものを抱いた出来事がなかったわけではない。むしろその思いは、人一倍であった。
中学校に入った年が明けて、中一の三学期が始まった時である。私は誰もやりたがる人のいない風紀委員に手を挙げた。そのころはクラスの半分が何らかの委員会に手を挙げていたのだが、風紀委員があまり埋まらなかったか何かという状況だったように思う。当時の私は、クラスなどの中で面倒な役割をついつい引き受けてしまう人間であったので、その時もそれに倣い、自ら手を挙げたのである。
風紀委員は一クラス二名で、それぞれ男子一人と女子一人で構成される。女子の方は「桃」と言って私と比較的仲の良かった女子である。彼女はどちらかというと快活な性格である。いつも部活ではグラウンドにいるので、肌は少々小麦色を帯びている。ちなみに彼女の趣味は野球とかで、恋愛対象も野球少年などのいわゆる古典的な「運動部系」の男子だという。無論私などは別に恋愛対象というわけでもなく、しかしながらなぜかクラスではそこそこ私と仲が良かったりするのである。あと、彼女と一番近しい友達に柚乃という子がいて、彼女は学年内でもかなりの優等生である。ちなみに彼女ものちに生徒会役員になるのだが、これはまた別の話になるだろう。このことについても後々話していきたいと思う。
初回の委員会が招集されたのは、始業から二週間後の、一月も終わりかけた頃である。委員会の行われる教室に入ると、すでに一年から三年までの各クラスの委員が集まって、会が始まるのを待っていた。中学校の一クラスであるから、普通は大体四十人分くらいの机と椅子が並んでいる。中学校は一学年五クラス、それが三学年で十五クラスである。各クラス二人ずつなので、教室には三十人が座っているわけで、それだけでも単純に考えれば教室の四分の三くらいが埋まるわけである。
委員長の席にいたのは、胸の辺りまである長髪をおさげにした、物静かそうないわゆる「メガネっ娘」であった。彼女の肌は絹織物のように白く透き通っており、メガネの茶色い縁がよく似合う少女であった。彼女は一見すると「お淑やかなお嬢様」という印象である。
やがて委員会が始まった。生徒会の選挙が去る年の秋に行われて、そこから生徒会の引き継ぎがちょうど終わったところであるから、今日が新しい委員長にとって初めての委員会となる。
「美原、奈桜です。」彼女は、高い声で自己紹介をした。彼女は続ける
「昨年末の生徒会選挙において、信任投票という形とはいえ、私を信任してくださった皆様、改めてありがとうございました。」
確かに、昨年の選挙においては複数の候補人が立ち上がったのが、生徒会長、副会長くらいのもので、あとはもっぱら信任選挙といった形である。公立中学校の生徒会選挙というのは得てしてそういうものであるから、まあほとんど形式的なものだろうというのはすぐにわかった。生徒会役員への立候補は、学級の信任並びに担任教師からの承認を経なければ認められないので、立候補できただけでも相当の上澄みと言える。そのため、仮に信任投票となったら、もうほとんど当選したと言っても過言ではないものである。もっとも、過去には信任を得られずに落選した人がいないというわけではないらしいが。
それはさておき、諸々の決定事項が片付いて、無事に初回の委員会は終わった。私はそのあと部活が控えているので、用事もそこそこに帰ろうとしたが、ふと見ると桃が委員長に話しかけている。隣の席であるので、すぐに委員長は私にも気づいたみたいである。
「奈桜ちゃん先輩ってお呼びしてもいいですか」すでに桃は委員長と打ち解けているみたいである。当然桃も隣で気がついている私を放っておくわけもなく、すぐに私のことも話し始めた。
「この人は千尋くんって言います。彼、勉強は結構できるんですよ。あと結構面白くって。」
私は桃の一方的なペースに巻き込まれる形になってしまった。
「彼の方もよろしくお願いします。」
桃は続ける。委員長も
「よろしくお願いします。」
と明るい声で私に挨拶してくるものであるから、私も少々どぎまぎしてしまった。私もすぐに挨拶を返したのだが、その時私には不思議な感覚が走った。心が少し疼くのである。なぜだろうか。
それが恋であることに気がつくのは、もう少し先の話になるのかもしれない。
第一回委員会から数日後、休み時間に外をふらついていると、後ろの方から声をかけられた。声の主はまさしくあの委員長である奈桜であった。彼女の声が、私には少しく眩しく聞こえた。委員長とはいえ、彼女のことを、かわいいな、と思ってしまう自分がそこにいた。中学に入ってすでに九、十ヶ月。小学生の頃に振られた反動かいまだに好きな人ができていなかっただけに、自分にとってはクラスメイトとは少し違う立場の女性に出会って心が浮ついているのかもしれない。しかし、中学に入った時にだって新たな出会いこそ多かったはずである。ここまで相手のことを考えてしまう出会いがあっただろうか?自分で問うてみては、少しどぎまぎしてしまう。
「あっ、こんにちは」
少し控えめな声になってしまいつつも、私は彼女に返事をする。少し返事が走ってしまっただろうか?と考えていると、彼女からさらに話が続く
「千尋君、だよね?改めて、委員会でこれからの三ヶ月間よろしくね。」
彼女の話し方は明るく、私の心も照らしてくれるようである。それにしても、さすが風紀委員長である。緑掛かった紺色のブレザーに灰色のスカートの制服は丁寧に着こなされ、本来可愛らしいという言葉が似合う本人において凛々しい雰囲気さえ漂っている。彼女のことを見れば見るほど惹かれていくものがある。それは不思議な感覚であった。
「奈桜〜」
ひょいと声がして、後ろから一人の女性が現れる。
「珠江〜」
副会長だろうか?この間桃がこの女性と話していたときに通りがかって、その時にこの人が副会長だと教えてもらった。
「紹介するね、この人が生徒会副会長の、上井珠江ちゃん」
なるほど、こうしてみると非常に仲が良さそうである。一緒に生徒会で仕事をしていると、お互いに顔馴染みになるというものだろう。まだ生徒会の新体制が発足してから間もないが、こうして仲が良さそうに仕事をしている奈桜を見ていると、心が暖かくなる。それは冬の風の冷たさを一時的に忘れさせてくれるものだ。
「この人が、千尋君。彼、面白いよ。」
珠江にも私のことを紹介したようで、彼女とも握手を交わした。
冬の風は寒いが、その中でも太陽だけは少し暖かい。生徒会の新体制、そして、であったばかりの風紀委員長の奈桜に、深い親しみを感じる一月の終わりであった。そして、このような出会いに繋げてくれた桃にもありがたいと感じる私であった。
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