第3話 眉唾物の教え
車窓から流れる景色がどんどん知らないものに変わっていく。後部座席で、スマホもいじらずにただじっとしている私を、タクシーの運転手はどう扱ったものかわかりかねたらしい。
「その着物、素敵ですね」とか、「遠くまで行かれるんですね」とか、そんな話題を振ってはいてくれたけど、話を広げる余地がない。
「今から会ったこともない人と結婚を前提とした同棲をするんです」「私には目的地を知らされていないんですけど、どこまで行くんですか」などと返したら最後、ドン引き案件だ。
もし正直に話したら、警察に繋いでくれるのかもしれない。
ただ、まったくもって不本意なことに、斎藤家が旧家というのはあながち間違いではないようで、警察やら自治体やらの権力を持つ団体には顔が利いた。電子機器が労働現場に定着する前は、親類縁者、それなりのポストを用意してもらっていたらしいほどに。
私が何を訴えようと、きっと握りつぶされる。
しんとした車内の時間が、あと何時間続くのかわからない。
「あの」
「はい、どうされました?」
勇気を出して声をかけると、運転手は前方を見据えたまま返事をしてくれる。
「到着するまで、なにかかけてもらうことはできますか?ラジオとか、音楽とか……」
「お客様のご要望であれば、大丈夫です。ご希望のチャンネルとかありますか?」
「いえ、特に。できれば、音楽が多めに流れているものがいいです」
「かしこまりました。うるさくなったらすぐにお声がけくださいね、切りますので」
運転手は信号待ちの間に左手で操作し、すぐにラジオを流してくれた。
「他になにかありましたら、いつでもおっしゃってください。先は長いので」
「……では、郵便ポストがあれば、そこで一旦止まってほしいです。出したい郵便物がありますので」
「かしこまりました。ただ、見かけてもうまく駐車できるスペースがなければ一旦見逃しますので、そこはご了承ください」
私は小さく返事をして、流れてくる音楽に耳を傾けた。
父いわく、斎藤家は、特別な能力を引き継いできた家系であるという。
正確には、本家筋である鶴見家が退魔の家系として今も活動しているらしい。
分家の分家である斎藤家も、本家を手助けするために、存在価値があるのだと言った。
「――意味わかんないんだけど」
吐き捨てるように言ったのは、飛鶴だ。
無理もないと思う。十歳の誕生日。二人して父に呼ばれ、ついにスマホが解禁かとわくわくしていたら、そんな突拍子もないことを言われているのだから。
「百歩譲ってその話が真実だとしても、うち、神社でもなんでもないじゃん。っていうか、スマホかネット解禁の話だったんじゃないの?」
「敬語を使いなさい、飛鶴」
飛鶴はぐっと気おされていた。正座をしていて、足が痛いのもあるかもしれない。
「――にわかには、信じられません。あと、スマートフォンやインターネットが許されない理由も説明してください」
「私も、飛鶴と同じ意見です」
従順な姿勢の私まで懐疑的な態度をとったからか、父はため息をついた。
「……無理もない。科学がここまで発達した今、神秘的なものだったものの多くは解明され、説明がつく事象になっている」
「雷とかそうよね、きっと」
口を挟まれたことに機嫌を損ねたのか、父はじろりと飛鶴をにらんだ。
「……だが、今でも科学で説明できないことは存在する。祟り、呪い、あやかし。そんな類のものを取り扱い、家業としている一族の一つが我々だ」
口を挟ませる気はないらしく、父は話を続ける。
「未知のものをおそれる気持ちが薄れ、我々のような力を持つ人間の居場所は少しずつ表舞台からは消えていった。時代が変わって忍者や侍が消えたように。だが目立つ場所にこそ現れないものの、今もって封印されている強力なあやかし、呪いなどは多く残っている。我々をはじめ、対処できる力を持った一族は、それらの管理を、かつてやんごとなき方々から任された。連綿と受け継がれてきた伝統だ。いくら末端とはいえ、責任の放棄はできない」
「――昔話は結構ですけど、単刀直入に説明してください。お母様はネットが許されているのに、私たちが駄目な理由は!?」
「電子機器、特にインターネットが、退魔の力に影響を及ぼすからだ」
私たちはきょとんとした。
「我々のような一族は、その特殊な力を血をわけた子供に受け継いでいる。だが、世代を経るたびに力は弱くなっていった。研究熱心な家が、科学技術の発達に影響を受けていると仮説をたて、その説は実証された。
――私の力はお前たちに間違いなく引き継がれた。だが、次の代に弱まった力を引き継ぐことは務めの不履行につながりかねない。強くはできなくとも、現状維持をするしかない。だから斎藤の血を継ぐお前たちは、電子機器に触れない生活をする必要がある」
完全に電子機器を排した生活なんて、今日日できっこない。
絵の依頼も、電話で受けることはまれにあるようだけど、新規の問い合わせは母が開設させたホームページだ。
学校からの連絡だって、友達との約束だって、母の持つ端末を介してやりとりを行っている。
他にも、難しい書類作成や、調べ物やら、手軽に、迅速に、結果がほしいとき。
私たちも父も、母に一切を頼んでいる。母がそのあたりの采配をしてくれているから、私たちはかろうじて社会で生活ができている。
「名前の鶴は、我々が約束を忘れておらず、違えないということを示している」
父が古ぼけた家系図を見せる。少なくとも私が確認できた範囲では、鶴の一文字が名前に入っている人たちであふれていた。
「は?そんな理由でネット禁止されてんの?頭おかしいんじゃないの?」
私が言葉を失う中、隣で飛鶴が口汚く吐き捨てる。その気持ちはとても分かる。
まだ幼いから、とか保護者の管理が必要だから、であるならば、中学入学と同時に使える目はあった。
動画漬けになってほしくないから、なら、動画サイトは見ないからせめて友達との連絡は自分でできるようにしてほしいというお願いが通る公算はあった。
けれど父のいう理由が根底にあるのなら、私たちは大きくなっても電子の海に船を出せる機会がない。
「……で、こんな名前までつけられてるってわけ?」
飛鶴のあきれには、内心同意した。
画数が多いこともあるけれど、少し特徴的。気に入っている・いないであれば、物申したい気持ちがある。
「おまえたちは双子だから、念のためどちらにも鶴の文字を入れた。今後のことは、追々」
「ふざけないで。こんな古臭い家に縛られるなんてまっぴらだから」
飛鶴は立ち上がる。
「特別な能力?信じられるわけないじゃない。お父様がやっていることと言えば、一日中家にこもって絵を描いていることだけ!たまに依頼があっても二束三文で引き受けて、お母様は口を開けば『お金がない』!伝統?旧家?聞いてあきれる。実態は昔のプライド引きずって維持が精いっぱいの時代遅れの家でしょう」
バチン。
身体ごと吹っ飛ぶ勢いで、父は飛鶴の頬を打った。
「大嫌いよ!!出て行ってやる!!」
どたどたと部屋を出た姉は、しかしその後も家にいた。
十歳である時点で、誰かを頼らなければ生きていけない。
赤くなった頬を証拠に、飛鶴は学校に相談した。
けれど「厳しい家だろうから」という理由で、問題にはされなかった。
諦めず、飛鶴は母を巻き込んで家を出ようと画策した。けれど、母はそれを拒否した。
少なくとも母は父の独裁体制に不満を持っていたけれど、母には生活能力がなかった。
学校を卒業した後は家庭に入り、一度も働いたことがない。
『だから大人になるまでは、ここにいなさい。あなたには絵の才能があるからゆくゆくはそれで身を立てなさい。父親を超えなさい。だからそれまではここにいて』
母の要望を、飛鶴は飲んだ。
少なくとも、飛鶴がいずれ飛び立てるように、母はできる限りのお膳立てをした。
絵だけは父から大人しく習うように諭され、自由時間には母にべったりとついてスマホやインターネットの使い方を学んだ。
そして父の反対を押し切り、いろいろなものを買い与えられて、高校一年生にして絵の業界での期待の星となった。
飛鶴は自分で羽ばたいていける。
私と違って。
タクシーはどんどん知らない道を走る。
この縁談が、まともなものであるとは思わない。
ただ、縛られる家が、変わっただけ。
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