時々、君と見つめ合う

借屍還魂

第1話

 待ち合わせをしている、同じ歳の彼。二人で出掛けるのも3回目だ。そろそろ婚約の話を出してもいいかな、とミリアは足取り軽く、スキップしていた。


 が、しかし。顔を合わせた途端、気合の入ったミリアの服に、彼が苦しげな表情を浮かべたのを見て。


 ああ、またか、と。ミリアは眉を下げた。彼も、ミリアの変化に気付いたらしい。それでも、直接伝えようとするのは、彼の生真面目な性分ゆえだろう。


「すまない、ミリア。君のことは好きだが、妹のように思っていて」


 そうだとしても、もっと、やんわり断ってほしかった。期待をもたせないでほしかった。


 でもミリアは、真面目で、素直で、誤魔化さずに伝えてくれる彼が好きだったのだから、仕方ない。


「…………結婚は、考えられない」


 ここで無理に、『これからも友人でいてほしい』、と言わないところが、好きだった。


「…………はい。迷惑を掛けて、ごめんなさい」


「いや、僕も、悪かった。僕が言ってもいいのか、わからないが。君の幸せを、願っている」


「ありがとうございます。私も、貴方の幸せを、祈っています」


 そうして、ミリアは、十六年の人生で何度目かもわからない失恋をしたのであった。


「ミリア。お前は暫く静養しなさい」


 意気消沈したまま、屋敷に帰ると。玄関ホールで待ち構えていたお父様が、開口一番そう言った。


「ミリアちゃん、この世の終わりみたいな顔してるわよ」


「……だって」


 本当に、ミリアにとっては、世界が終わってしまうほどの衝撃だってのだ。やっと仲良くなれだと思っていたのに。


「今回の彼は長かったものねぇ。半年くらいかしら?」


 お母様には、全部お見通しらしい。昨日はしゃいでいた割に、予定より大幅に早く帰ってきたので察したのだろう。


「二人で出掛けるようになってからは二ヶ月だけどね……」


 答えた声は、自分でも驚くほど暗かった。


「今回は、ミリアと彼の関係は噂になっている。ほとぼりが冷めるまで、ゆっくりしてきなさい」


「はい……、ごめんなさい、お父様」


 確かに、出掛けている時に何度か知り合いと顔を合わせた。特に彼との関係は明言していない、というか、できる関係ではなかったが。


 ミリアが惚れっぽいこと、感情が顔に出やすいことは、関わりのある相手には知られていることだ。ミリアの気持ちを察している人も多いだろう。


 一人娘ということもあって、ミリアは注目されやすい。だというのに、人目を気にせず、このようになってしまって、申し訳なかった。


 家に迷惑を掛けた。そう思うと気持ちはさらに沈んだが、お父様は首を横に振った。


「迷惑とは思っていないさ。ただ、王都にいても辛い思いをするだけだろう。お祖父様の屋敷で羽を伸ばしなさい」


 お祖父様の屋敷は、王都から距離がある。あまり人が通る場所でもないし、嫌な噂を聞かずに済むだろう。


 でも、逃げることになるのでは。ちらり、とお母様を見る。


「あちらは、お義父様が亡くなってから静かみたいだし、ミリアがいる方が活気が出て喜ばれるわ」


 その間に、お母様が社交で噂を消してみせますからね、と握り拳を見せられ。


「ありがとう、お母様」


 ミリアは、数時間ぶりに心の底から笑顔を浮かべた。



 あれから一週間。


 ミリアは、屋敷に到着していた。幼少期の殆どを過ごした屋敷は、記憶の中と寸分違わず。違うのは、屋敷に、音がないことだけだった。


 ドサリ、と雑に置いた鞄の音以外、耳に聞こえる音は無い。


 昔、屋敷は音で溢れていた。


 執務室で忙しなくペンを動かしながら指示を出すお祖父様。


 隣で書類と睨めっこしつつ、ミリアが顔を出せば声をかけてくれるお父様。


 テラスでお茶をし、コロコロとした笑い声を響かせているお祖母様とお母様。


 廊下ですれ違えば、柔らかく微笑み挨拶をしてくれる使用人。外から聞こえる鳥の声。


 玄関ホールに響く、秒針の音。カチコチ、カチコチ。規則正しく響くその音は、今は聞こえてこなかった。


「壊れてしまったのね……」


 いつからだろうか。お祖父様が気に入っていた柱時計は、変な時間で針を止めたままだった。


「このヒビ、私がぶつかったんだっけ……」


 小さな頃。階段を駆け降りた勢いそのまま、柱時計にぶつかったのだ。お祖父様が言っていた。


 石頭なのだろう。ミリアは全く怪我をしなかった。しかし、柱時計の振り子を守るガラスに横一文字のヒビが入った。


「上から板を当てて固定してるんだっけ」


 また衝突すると危険だ、とヒビを覆うように、周りと同じ色の木を当てたのだ。


 そのせいで、少しだけ振り子が見えにくくなっている。しかし、あの後もミリアは、何度か時計にぶつかっているので、お祖父様は正しかった。


 その後も、時計は変わらず動いていたはずだけど。手入れをしていたお祖父様がいなくなったからか、今は少しも動かない。


「お祖父様、お父様には厳しいけど、私にも、お母様にも、お祖母様にも甘かったから……」


 そこまで言って、言葉を切った。


 お祖父様も、お祖母様も、もういない。お父様とお母様は王都にいるし、使用人は優しいけれど、ミリアに声を掛けることはなく、すれ違えば静かに頭を下げている。


 傷心のミリアに気を遣っているのだろう。それがわかっているから、ミリアは何も言えなかった。


 鳥の囀りも、分厚いガラスに阻まれているのか、ミリアには聞こえなくて。


 昔、あれだけ楽しかった屋敷は、ただの古く暗いだけの屋敷に変わり果てていて。ミリアは、自室から出ることをやめた。



「……お嬢様。本日は、庭の薔薇が綺麗に咲いております。よければ、ご覧になってください」


 屋敷に来てから、一ヶ月。相変わらず、使用人との会話は必要最低限だったが、今日は違った。


「そう、ありがとう」


 この屋敷は、庭が自慢だった。お祖父様が、花好きのお祖母様の為に、四季それぞれ、様々な花が咲くよう整えた庭園。


 お祖母様は、テラスから庭を眺めるのが好きだった。


「……後で、行ってみるわね」


「はい」


 お祖母様が一番好きだったのは、白い薔薇。ミリアは、ピンクのスミレが好きだった。誰かが、ミリアにピッタリだと言ってくれたのだ。でも、誰だったか思い出せない。


 時期が良ければ、一緒に咲いているかもしれない。ホールを抜けて庭に降りると、言われた通り、白い薔薇が咲き誇っていた。


「綺麗……」


 ほぅ、と息を吐けば、微かに甘い香りが鼻を抜けた。確か、薔薇は上から見ても美しく整備されていたはず。


 テラスから見るのもいいが、今のミリアは、階段を登り直すのも億劫に感じて。


 羽を伸ばしてもいい、というお父様の言葉と、人目がない開放感もあり。ミリアは近くにある木に登る、という選択をした。


「……ちょっと、懐かしいかも」


 10歳頃から、淑女として木登りはやめたのだが。小さい頃、ミリアは好奇心旺盛なお転婆で、木にも時計にもお祖父様の腕にも、よく登っていたのを覚えている。


 高いところ、好きなのよね。なんだか、風になれた気がして。


 よし、と小さく頷き、手頃な枝に手を伸ばした時。呆れたような、笑いを堪えるような声が、背後からした。


「また木に登って落ちるつもりですか、お転婆姫様」


 枝を掴んだまま振り返ると、立っていたのは、ひょろりと背の高い茶髪の青年。調子の変わらぬ、独特な声には聞き覚えがある気がするが、わからない。


「…………誰?」


 ほとんどの使用人は、初日に挨拶したはずだ。青年はその中にはいなかった。


 歳はミリアと同じくらい。なら、まだ使用人としては下級で、直接挨拶しなかったのかもしれない。


 だが、昔のミリアを知っている。なら、見習いとして、会ったことがあるのかも。名前を聞くが、青年は真鍮色の瞳を細めて笑った。


「忘れたのなら、そのままでいいですよ」


「でも」


「それより、木に登りたいなら手伝いますよ。流石に、怪我されるとまずいので」


 ミリアは、少しの間考えた。


 このまま、木に登ってもいいものか。一人ならともかく、既に青年に見つかっている。でも、今を逃せば、もう木に登ることなんて無いかもしれない。


 駄目だとわかっていても、最後の機会という誘惑と、目の前の青年は告げ口はしないという不思議な確信があって。


「……お願いできる?」


 ミリアは、誘惑に負けた。


「勿論です」


 青年は身軽な動きで木を登り、上から手を差し出した。ミリアが先に登ると、ワンピースの中が見えるから気を遣ったのだろう。


 提案と気遣いがチグハグな気がして、ミリアは笑いながらその手を取った。


「如何です?」


「…………綺麗ね」


「ご主人様の自慢の庭ですからね」


 薔薇を背に青年は、誇らしそうに笑って見せた。庭は薔薇だけでなく、全体にバランス良く季節の花が植えられており、緑と色彩のコントラストが美しかった。


「……いつから屋敷に仕えているの?」


「お嬢様が産まれる前、お祖父様の代からずっと、仕えております」


「そうなのね」


 お祖父様が生まれた頃に、使用人の殆どが入れ替えられたはず。なら、青年の家は、今の使用人の中では古参なのだろう。


 それなら、幼少期から屋敷に出入りしているはず。そう考えると、ミリアを知っているのは事実だろう。


「……お嬢様は、昔から、失恋をすると庭に来ていましたね」


 思いっきり噎せた。


「そう、だけど……!!」


 今迄、誰も言わなかったのに。だから挨拶の場におらず、顔を合わせていなかったのだろう。


「見られないよう、いつも木の上で隠れていました」


 皆を心配させないように、と言われ、頭が殴られたような衝撃と共に、思い出す。


 いつも、泣いてる時に話を聞いてくれた、木の幹と同じ色をした、同年代にしては背の高い、少年のことを。


「貴方……、私が木から落ちた時、助けてくれた……」


「正しくは、下敷きになっただけですけどね」


 初めて、その少年と会った時も、ミリアは失恋によって泣いていた。あの時、好きだったのは近くの村の羊飼いの息子だった。


 相手から距離を取られないよう、身分を隠して遊んでいたのだが。遊びに夢中になって、帰りが遅くなった日。お祖父様が迎えに来て、バレてしまったのだ。


『もうあそばない!!』


 と、当時好きだった子に言われ、ミリアは迎えのお礼も言わず、走って庭まで逃げたのだった。


 木に登って、ひとしきり泣いて。降りようと思った時には、すっかり日が暮れていて。登る時に手を掛けた枝が見えずに、落ちてしまったのだ。


 その時、助けてくれた、正しくは下敷きになったのが、のっぽの少年。今、目の前に座る青年だった。


「木から落ちたのは、あの日だけでしたが。あれ以降、お嬢様はいつも木に登るようになりましたね」


 登る木は、程よく葉が付いていて、隠れられるものを選んでいたので、まちまちだった。


「貴方も、毎回気付けば隣にいたわね」


 出入りの商人の息子を好きになった時も。図書館で出会った少年を好きになった時も。


 直接、妹みたいだとか、拒絶の言葉を掛けられることもあったし、別の事情で会えなくなる時もあった。


 その度、木の上で泣くミリアに、目の前の青年は律儀に付き合ったのだ。


「殆ど、思い出されたようですね」


 こくん、と頷く。何故か、屋敷に戻るまでは、全く思い出せなかったが。この青年と顔を合わせたのは、一度や二度のことではない。


 その分、失恋をしていることになるが。ミリアは昔から、すぐに人を好きになるのだ。相手と想いが通じ合うことは、残念ながら無かったが。


 横並びに座ったまま、落ち着いた声で、青年が言う。


「なら、次に何が続くか、ご存知ですね」


「……私の良いところは、人の長所を見つけて、好きになれるところ」


 だから、今度は。


「『そんなお嬢様を好きになってくれる方を、待ってみませんか?』」


 今迄は、待っていたところで王子様なんて来ないから、と次々好きな人を探していた。


 でも、そうして、振られ続けた今は。青年の言葉を素直に聞こうと、思えたのだった。


「…………うん」


「こういう『運命のお相手』は、意外と身近にいらっしゃるものですよ」


 貴方のお祖父様とお祖母様が、そうだったように。


「え?」


 思わず、青年の方を見ると。ざぁ、と風が薔薇の香りを運んで来ただけで、そこには、誰もいなかった。


「どこに……」


 きょろきょろと視線を彷徨わせるが、青年の姿はどこにもない。落ちたわけでも、走り去ったわけでもなく。忽然と消えてしまったようだ。


 降りて、探しに行こう。話をして、気が楽になったお礼を言わないと。そう思って、一つ下の枝に足を掛けた時。


「相変わらず木の上が好きだな、ミリアは」


「……アシェル?」


 顔を上げると、庭の入り口に、少し背の低い青年が立っていた。幼馴染のアシェルだ。幼馴染といっても、屋敷が近くで、年に二、三回、会うだけなのだが。


「お前の親に頼まれて、様子を見に来たんだけど。思ってたより、元気そうだな」


「……そうね」


 ほら、と差し出された手を取り、するすると木から降りる。意外と、体が覚えているのか、危なげなく地に足がついた。


 改めてアシェルと向き合うと、アシェルは気まずそうに頬を掻きながら、しかし、視線はミリアから逸らさず、口を開いた。


「その、今回は、なんというか……」


「……いいの」


 続くであろう、慰めの言葉を遮り、ミリアは笑った。


「今度は、私の事を好きになってくれる人を待つから」


 だから、それまでは。屋敷の中で、色々勉強してみよう。花のこと、お茶のこと、時計や、お父様の仕事のことだって。


 何に対しても興味いっぱいのミリアを、そのまま好きになってくれる人を、この屋敷で待つのだ。


「よくわかんないけど、ミリアが元気になったなら良かった」


「心配してくれてありがとう。取り敢えず、お茶でも入れるね」


「ありがとう。着いてすぐこっちに来たから、喉乾いたんだ」


 アシェルを2階の客間に案内しようと、玄関ホールを通ると。いつの間にか動き出した時計が、カチコチ、カチコチと、ミリアの足取りと同じ速度で、動いていて。


 真鍮色に輝く文字盤を見て、ミリアは微笑みを浮かべた。

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