1-2

 ベルが控えの間にとうちゃくした時、すでに五人の招待客が思い思いに過ごしていた。


おせぇぞ、ベル!」

 

 さっそく声をかけてきたのは、ふんの悪癖を持つ兄のサタンだ。キッとつり上がったじりとこめかみにかぶ青筋が、いかり顔を引き立てている。


「サタンお兄様。ちょうど今、イライラしそうなちんを持っているの。いかが?」

「いらん!」

 

 サタンはベルをりつけると、ドスドスと足音を立てながら去って行った。


「ベルばっかり、ずるい。僕が入室した時はだれも声をかけてくれなかったのに……!」

 

 ねんちゃくしつな声を聞いてベルが周りを見回すと、柱のかげたたずむ兄のレヴィを見つけた。  

 しっの悪癖を持つ彼は「ずるい」がくちぐせで、いつも誰かをうらやんでいる。

 レヴィをなぐさめようと、ベルはかくしポケットから珍味を取り出した。あめだまのように見える

それは、生き物のようにドクドクと脈打っている。


「レヴィお兄様、珍味でも食べて元気を出して」

「ひっ、珍味!? いらないよ、そんなの」

 

 レヴィはズザザーッとあと退ずさりをすると、ヒィヒィ言いながら逃げて行った。


「もう。逃げることないじゃない」

 

 ベルは飴玉のような珍味をひょいと口へ放り込み、しゃくしながら三人の男女が集まっている部屋の中央へ向かう。

 

 ながころがっているのは、たいの悪癖を持つ弟のベルフェゴール。彼の辞書にはやる気という言葉がなく、いつもねむそうにしているか寝ているかのどちらかだ。めんどうだからという理由で食事をく困った子だが、ゆいいつの弟なのでベルなりに大事にしている


「ベルフェゴール、いっしょに珍味を食べましょう?」

「いらない」

「いっぱい食べないと大きくなれないわよ?」

「ボクはいいから、姉さんが食べて」

「ベルフェゴール……!

 

 あなたが良い子に育って、私はうれしいわ」

 

 差し出された珍味を押しやるベルフェゴールに、ベルは目をうるませる。

 ベルの目には姉のために我慢するけなげな弟に見えているが、ベルフェゴールは心の底から珍味をけんしており、全力でお断りしているだけ。誤解を解くのも面倒くさいと、ベルフェゴールは長椅子にす。


「今日の装い、ちょっとようなのではない?」

 

そう言ってあきがおかれた息は、高貴な花の香りのよう。彼女が一言

つかれた」と言えば椅子になりたがる者が押し寄せ、ウインクしようものなら失神者が続出する。体のラインに沿ったようえんなドレスを着こなす美女は、色欲の悪癖を持つ姉のアスモだ。


「来たか、ベル。ここに座ると良い」

 

 そう言ってとなりの席を示すのは、ごうまんの悪癖を持つ兄のルシフェル。ベルと同じ紫紺色の髪を持つ、美青年だ。

 老魔族はルシフェルを見るたび、魔王の若い頃そっくりだとおそれおののき、若い世代は

彼のしゅわんれ、いつか側近になることを夢見てせったくしている。

 ベルが隣に座ると、ルシフェルは満足そうに頷き、視線をちらりと背後に流した。音もなく立っていたマモンに、ルシフェルはまるでそれを待っていたかのように口を開く。


「時間どろぼうたいがいにしろと教えてやったばかりなのに、おまえはまた遅れてきたのか、マモン。何度言っても分からないのは困ったものだな」


「勝手に困っていればいいさ、ルシフェル。何度言われたって、やめられねぇ。なにせ俺の悪癖は強欲だからな。なんでもうばわずにいられねーんだわ」

 

 そう言ってマモンがこれみよがしに見せてきたのは、ルシフェルのカフスボタン。手癖の悪いマモンは、􄼱を見ては盗みを働くのである。

 しかしルシフェルはどうようすることなく、えらそうに足を組み鼻で笑った。


「そんなものがほしかったのか。いいぞ、くれてやる」

 

 奪うことが好きだがほどこされることがきらいなマモンは、ルシフェルの言葉にギリギリと歯を食いしばる。

 ルシフェルとマモンの不毛な応酬じゃれあいは、いつものこと。ベルは聞ききたとばかりに顔をらし、厨房の様子を思い出しながら晩餐会の料理に思いをせる。


(調理台のはしにあったのは、人の国でれるというオレンジね。デザート用かしら? もしも皮を捨てるようであれば、引き取って砂糖けにしたいわ)


 ベルが考え事をしている間に、きょうだいたちの話題は魔王のことへと移っていった。

 あごを撫でながら思案していたルシフェルは、尊大な表情できょうだいたちをわたす。


「父上はなぜ、勇者にとどめをさなかったのだろう。アスモ、呼び出されたおまえならなにか知っているのではないか?」

「ルシフェル。お父様の考えなんて、わたくしが知るわけないでしょ」

 

 きれいに整えたつめながめるアスモは、勇者の話題に興味がないらしい。

 アスモの素っ気ない答えに、ルシフェルは不満げだ。


「ではなぜ、父上はおまえを呼んだのだ」

「ルシフェルには関係ないでしょ」

 

 晩餐会の準備に追われる厨房を思い出していたベルは、ぺろりと舌なめずりした。

 調理台の上にあった大きな肉のかたまりは、煮込み料理にするのがいいだろう。


「ああ、待ちきれないわ……!」

「ベル、おまえはどう思う?」

 

 話題を振られて、ベルはきょとんとする。きょうだいたちの会話など、もちろん聞いていない。厨房の話だと思ったベルは、うっとりと表情をゆるめて語った。


「あのお肉は、じっくりコトコト煮込むのがおすすめですわ」

「肉?」

「ここへ来る前に厨房へ寄ってきたのですが、晩餐会のメイン料理は期待していいと思いますよ」

 

 やれやれとかたすくめるルシフェルの隣で、ベルは自信ありげににっこりと笑う。


「プッ……マジかよ。おまえ、それ本気で言ってんの?」

「どうして笑うの? マモンお兄様」

おやが勇者にとどめを刺さなかった理由を聞かれてるっていうのに、食いもんの話をするんだぜ? 笑わずにいられねぇよ。さすが、暴食姫だ」

 

 わざとらしく腹をかかえて笑うマモンに、ベルは腹を立ててムッとくちびるを引き結んだ。

 ベルに嫌がらせをすることは兄として当然の行いであるとし、ことあるごとにちょっかいをかけてくるマモン。晩餐会の時は特に注意が必要で、ベルの皿に手を出してくる可能性が非常に高い。

 ベルはすかさず、かくする。


めてくれてありがとう。でも、晩餐会の料理は奪わせてあげないわよ」

「いらねぇよ。俺はおまえと違って、一人分で十分だ」

「……私からごはんを奪わないなんて、おかしいわ。なにをたくらんでいるの?」

「なんも」

 

 おどけて肩を竦めるマモンはいつも通りのように見えるが、信用はできない。ベルは疑いの目を向けながら、絶対に奪わせない!

 と胸にちかった。

 定刻になり、ダイニングルームへ通された。

 月に一度、魔王主催の晩餐会でのみ使用されるダイニングルームは、魔王のこだわりがずいしょにちりばめられ、入るたびにしょうが異なる。目を奪われる独特なそうしょくに視線を泳がせるきょうだいたちとちがい、料理のことしか頭にないベルは、わきも振らずに自席へ着く。

 並べられたカトラリーを見ていると、だんだんと気持ちがこうようしてくる。

 だが、魔王が入場し、あいさつをしてからでないと食事が始まらないので、ベルはソワソワと出入り口を見つめることしかできない。


(お父様はまだなの!? 早く食べたいのに!)

 

 ベルは、とめどなくあふれ出る期待を制するように唇をめた。と、その時である。


みなさま、ご起立ください。魔王陛下のご入場でございます」

 

 しつの声を合図に、きょうだいたちがいっせいに立ち上がる。ろうで待機をしていた兵士たちがとびらを押し開くと、ルシフェルがとしを重ねたようなおもちをした男性が入ってきた。

 それと同時に、空気を圧縮したようなきんちょう感がダイニングルームをおそう。

 

 同族すらしょくするきょうぼうな悪癖を持ち、きょうによって魔族を支配する、暴食を極めし魔族。彼こそは――魔王。ベルたちの父にして、地の国を統治するせいしゃだ。


「皆、よく集まってくれた。それでは、はじめるとしよう」

 

 上座に座った魔王がおごそかに宣言すると、メイドたちが静々と料理をはいぜんし始める。

 はじめはオードブル。角切り野菜のスモークサーモン包み。

 魔王は最近、人の国の食べ物に興味を持っているようで、晩餐会で人の国産とおぼしき食材が使われるようになった。

 興味はあるが自力で用意できず泣く泣く諦めていたベルにとっては実に好都合で、これ幸いとまんきつする。


(人の国の食材は、地の国のものよりんだ味がするのよね)

 

 しょうにさらされながら育つ地の国の食材は、雑味があって食べにくい。おいしく食べるためにふうらした結果、地の国ではこうしんりょうを多用するようになった。

 香辛料を使った料理はおいしい。それは認める。だが、人の国の食材に合う味付けは他にあるように思えてならない。それを探求してこそ真の料理人では、とベルは思う。

 それを料理人に伝えたところ、こうさくを重ね、最近の晩餐会では人の国の食材をよりおいしく食べられるようになった。

 でも、まだ完全に満足できていない。いったい、なにが足りないのだろう。


(地の国の食材と比べて、どうしてこんなに味が違うのかしら。地の国にはなくて人の国にあるものといったら、日光? 逆に、人の国にはなくて地の国にあるものといったら、瘴気よね。もしかして、日光には瘴気をじょうさせる効果がある? だとしたら、地の国に必要なのは日光なのかもしれないわね)

 

 ドレッシングでえた野菜はみずみずしく、上にせたディルというハーブが良いアクセントになっている。オードブルは、あっという間にベルのおなかの中へ消えていった。


(ああ、もうなくなっちゃった……。次のお料理はまだかしら) 


 料理はないのにカトラリーを手放さず、だんだん目がわってくる。

 ベルの不満を察したのか、メイドたちの間にピリッとした空気が流れる。

 久しぶりに開催された晩餐会でいつもより気を張っているのは、メイドばかりではない。一部のきょうだいたちが物言いたげな空気を出している中、ルシフェルは食事の手を止め、魔王を見た。


「父上、質問してもよろしいでしょうか?」

「なんだ、ルシフェル」

「なぜ父上は、勇者にとどめを刺さなかったのでしょうか?」

「またその話か。おまえには関係ないと言ったはずだぞ」

 

 晩餐会の開催に間が空いてしまったのは、人の国から勇者と名乗る青年が地の国へ乗り込んできたのが理由だ。

 大昔から人は、地の国を――とりわけ魔王を、目のかたきにしている。

それは、世界の最上層に住まう神々が人へしんたくを下したから。

 しんなみ、火山のふんなど人の国で起きる天変地異はすべて地の国の仕業であり、魔王が諸悪の根源である――らしい。

 神託が下されて以来、人々は「魔族め」「じゅうめ」「魔王め」と怒りをあらわにしながら、定期的に勇者とかいうやっかいな存在を地の国へ送りつけてくるようになった。

 そうなると、地の国の平和がおびやかされるため、外出禁止令が発令される。たとえ数日間

であっても、そのえいきょうは魔族たちの暮らしのあちこちに広がり、混乱をもたらすことになるので、大変めいわくしている。

 どうして神々はそんな神託を下したのだろうか。

 でもそれ以上に、疑うことなく神託に従う人々の気持ちがベルには理解できない。


(本当に厄介だわ。勇者のせいで、晩餐会が延期されたんだもの)


 人の国の食材を手に入れることができるのは、魔王ただ一人。彼が晩餐会を開催してくれなければ、ベルは食べることができない。

 まるでごうもんのような日々だったが、我慢したぶんだけ喜びは増すというもの。


(空腹は最高の調味料と言うものね)

 

 料理を楽しむための準備だったと思えば悪くない。もう二度と経験したくはないけれど。


「勇者と言えば! 聞いてくれよ、親父。さっきベルがおもしろいことを言ってたんだ」


 とつぜん、マモンが声を上げた。

 話のネタに挙げられて、ベルのまゆがぴくっとする。


「勇者について聞かれてるっていうのに、じっくりコトコト煮込むのがおすすめだって言ったんだぜ。実にベルらしい答えだよな!」


 マモンの笑い声がやけに響いて聞こえるのは、ルシフェルの質問にちゃんと答えられなかったことを、どこかで気にしているからだろう。

 ベルの情けないエピソードを聞いた魔王がどんな反応をするのか、気になって仕方がない。関心のないふりで食事をしながら、ついつい魔王のほうに注意が向いてしまう。


「考えるだけなら誰でもできる。何事も実現させねば意味がない。悪癖をきわめると決めたのなら、突き進むべきだ。我のように」

「お父様からげきれいたまわるなんて羨ましいわ、ベル。だってお父様ったら、わたくしのことは褒めるばかりですもの」


 魔王の言葉は激励だとアスモは言うが、ベルには激励に聞こえない。むしろおまえは我のようになれないと、言われているような気さえする。


(たしかにお父様はアスモお姉様のことは褒めるけど、私のことは褒めてくださらない……)

 

 落ち込む気持ちは、料理をまずくするだけだ。ベルはしずむ心を立て直そうと、目の前の料理に集中した。

 空っぽになったスープ皿の代わりに出されたのは、魚料理。サーモンのムニエルだ。


「チッ」

 

 思わずベルは舌打ちした。


(フルコースで何度も同じ食材が出るなんて……高揚感がうすれるじゃない!)


 あらぶるベルからただよいだした不満の空気に、メイドたちから小さな悲鳴が上がる。

 ハッとなったベルは、グラスに口をつけ気持ちを落ち着かせようと努めた。


(食べ物のことになると、気分が変わりやすくていけないわ)


 暴食の悪癖を持って生まれたのだから当然の欲求だといえばその通りなのだが、それでも魔王の娘として生まれた以上、じょうきょうに応じた適切な反応を求められることもある。

 それに、この晩餐会は親子の対話をする時間である他に、立ち居振る舞いを訓練する場でもあるのだ。悪癖に振り回され、無様な姿をさらすことはけなければいけない。

 魔族はそれぞれ、悪癖を持っている。

 傲慢、強欲、嫉妬、憤怒、色欲、暴食、怠惰。

 生まれ持ったその悪癖を制するか、極めるか。

 おだやかな生活を求めて多くの魔族がせいぎょするほうへかじを切る中、ベルは極める方向でがんっている。


「相変わらず食い意地はってんなぁ、ベル」


 皿をにらんでいたベルが視線を上げると、ニタニタと笑うマモンと目が合う。

 安いちょうはつについ乗りたくなるが、ベルはしゅくじょである。わざわざ言い返すのもおとなげないと、プイッと顔をそむけた。


「まっ、いいけどよ」

 

 そこでベルは、おや?と首をかしげた。


(いつものマモンお兄様なら、余計なことを二、三言追加して言ってくるはずだし、やっぱりおかしい。なにかおかしなものでも食べちゃったのかしら)

「あとで食あたりに効果がある薬をあげるわ」

「は?」

 

 なんのことだといぶかしむマモンに、ベルは訳知り顔で頷く。

 そんなことをしている間に、ベルの皿にあったサーモンのムニエルが姿を消した。


(ああ、無意識に食べちゃった……。前菜と同じ食材とはいえ、貴重な珍味だったのに)


 口に残るさわやかなかんきつの香りが、犯人はベルだと告げている。

 もっと味わいたかったとむくれるベルのげんを取るかのように出されたのは、じっくりコトコト煮込まれた肉入りのシチュー。


(見ただけで分かる……口に入れた瞬間、ホロホロとほどけるのが!)


 期待に胸をふくらませ、ベルがスプーンを手にしたその時だった。

 にわかに扉の外がさわがしくなり、一人の兵士が扉をばす勢いで入ってくる。


「ご報告いたします!」

「何事だ!」

 

 兵士は、荒い息を吐きながら知らせた。


「勇者が、姿を、消しました!」

 

 ざわついていた空気が水を打ったように静まりかえる。


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