1-2
ベルが控えの間に
「
さっそく声をかけてきたのは、
「サタンお兄様。ちょうど今、イライラしそうな
「いらん!」
サタンはベルを
「ベルばっかり、ずるい。僕が入室した時は
レヴィを
それは、生き物のようにドクドクと脈打っている。
「レヴィお兄様、珍味でも食べて元気を出して」
「ひっ、珍味!? いらないよ、そんなの」
レヴィはズザザーッと
「もう。逃げることないじゃない」
ベルは飴玉のような珍味をひょいと口へ放り込み、
「ベルフェゴール、
「いらない」
「いっぱい食べないと大きくなれないわよ?」
「ボクはいいから、姉さんが食べて」
「ベルフェゴール……!
あなたが良い子に育って、私は
差し出された珍味を押しやるベルフェゴールに、ベルは目を
ベルの目には姉のために我慢するけなげな弟に見えているが、ベルフェゴールは心の底から珍味を
「今日の装い、ちょっと
そう言って
「
「来たか、ベル。ここに座ると良い」
そう言って
老魔族はルシフェルを見るたび、魔王の若い頃そっくりだと
彼の
ベルが隣に座ると、ルシフェルは満足そうに頷き、視線をちらりと背後に流した。音もなく立っていたマモンに、ルシフェルはまるでそれを待っていたかのように口を開く。
「時間
「勝手に困っていればいいさ、ルシフェル。何度言われたって、やめられねぇ。なにせ俺の悪癖は強欲だからな。なんでも
そう言ってマモンがこれみよがしに見せてきたのは、ルシフェルのカフスボタン。手癖の悪いマモンは、を見ては盗みを働くのである。
しかしルシフェルは
「そんなものがほしかったのか。いいぞ、くれてやる」
奪うことが好きだが
ルシフェルとマモンの
(調理台の
ベルが考え事をしている間に、きょうだいたちの話題は魔王のことへと移っていった。
「父上はなぜ、勇者にとどめを
「ルシフェル。お父様の考えなんて、わたくしが知るわけないでしょ」
きれいに整えた
アスモの素っ気ない答えに、ルシフェルは不満げだ。
「ではなぜ、父上はおまえを呼んだのだ」
「ルシフェルには関係ないでしょ」
晩餐会の準備に追われる厨房を思い出していたベルは、ぺろりと舌なめずりした。
調理台の上にあった大きな肉の
「ああ、待ちきれないわ……!」
「ベル、おまえはどう思う?」
話題を振られて、ベルはきょとんとする。きょうだいたちの会話など、もちろん聞いていない。厨房の話だと思ったベルは、うっとりと表情を
「あのお肉は、じっくりコトコト煮込むのがおすすめですわ」
「肉?」
「ここへ来る前に厨房へ寄ってきたのですが、晩餐会のメイン料理は期待していいと思いますよ」
やれやれと
「プッ……マジかよ。おまえ、それ本気で言ってんの?」
「どうして笑うの? マモンお兄様」
「
わざとらしく腹を
ベルに嫌がらせをすることは兄として当然の行いであるとし、ことあるごとにちょっかいをかけてくるマモン。晩餐会の時は特に注意が必要で、ベルの皿に手を出してくる可能性が非常に高い。
ベルはすかさず、
「
「いらねぇよ。俺はおまえと違って、一人分で十分だ」
「……私からごはんを奪わないなんて、おかしいわ。なにを
「なんも」
おどけて肩を竦めるマモンはいつも通りのように見えるが、信用はできない。ベルは疑いの目を向けながら、絶対に奪わせない!
と胸に
定刻になり、ダイニングルームへ通された。
月に一度、魔王主催の晩餐会でのみ使用されるダイニングルームは、魔王のこだわりが
並べられたカトラリーを見ていると、だんだんと気持ちが
だが、魔王が入場し、あいさつをしてからでないと食事が始まらないので、ベルはソワソワと出入り口を見つめることしかできない。
(お父様はまだなの!? 早く食べたいのに!)
ベルは、とめどなくあふれ出る期待を制するように唇を
「
それと同時に、空気を圧縮したような
同族すら
「皆、よく集まってくれた。それでは、はじめるとしよう」
上座に座った魔王が
はじめはオードブル。角切り野菜のスモークサーモン包み。
魔王は最近、人の国の食べ物に興味を持っているようで、晩餐会で人の国産と
興味はあるが自力で用意できず泣く泣く諦めていたベルにとっては実に好都合で、これ幸いと
(人の国の食材は、地の国のものより
香辛料を使った料理はおいしい。それは認める。だが、人の国の食材に合う味付けは他にあるように思えてならない。それを探求してこそ真の料理人では、とベルは思う。
それを料理人に伝えたところ、
でも、まだ完全に満足できていない。いったい、なにが足りないのだろう。
(地の国の食材と比べて、どうしてこんなに味が違うのかしら。地の国にはなくて人の国にあるものといったら、日光? 逆に、人の国にはなくて地の国にあるものといったら、瘴気よね。もしかして、日光には瘴気を
ドレッシングで
(ああ、もうなくなっちゃった……。次のお料理はまだかしら)
料理はないのにカトラリーを手放さず、だんだん目が
ベルの不満を察したのか、メイドたちの間にピリッとした空気が流れる。
久しぶりに開催された晩餐会でいつもより気を張っているのは、メイドばかりではない。一部のきょうだいたちが物言いたげな空気を出している中、ルシフェルは食事の手を止め、魔王を見た。
「父上、質問してもよろしいでしょうか?」
「なんだ、ルシフェル」
「なぜ父上は、勇者にとどめを刺さなかったのでしょうか?」
「またその話か。おまえには関係ないと言ったはずだぞ」
晩餐会の開催に間が空いてしまったのは、人の国から勇者と名乗る青年が地の国へ乗り込んできたのが理由だ。
大昔から人は、地の国を――とりわけ魔王を、目の
それは、世界の最上層に住まう神々が人へ
神託が下されて以来、人々は「魔族め」「
そうなると、地の国の平和が
であっても、その
どうして神々はそんな神託を下したのだろうか。
でもそれ以上に、疑うことなく神託に従う人々の気持ちがベルには理解できない。
(本当に厄介だわ。勇者のせいで、晩餐会が延期されたんだもの)
人の国の食材を手に入れることができるのは、魔王ただ一人。彼が晩餐会を開催してくれなければ、ベルは食べることができない。
まるで
(空腹は最高の調味料と言うものね)
料理を楽しむための準備だったと思えば悪くない。もう二度と経験したくはないけれど。
「勇者と言えば! 聞いてくれよ、親父。さっきベルが
話のネタに挙げられて、ベルの
「勇者について聞かれてるっていうのに、じっくりコトコト煮込むのがおすすめだって言ったんだぜ。実にベルらしい答えだよな!」
マモンの笑い声がやけに響いて聞こえるのは、ルシフェルの質問にちゃんと答えられなかったことを、どこかで気にしているからだろう。
ベルの情けないエピソードを聞いた魔王がどんな反応をするのか、気になって仕方がない。関心のないふりで食事をしながら、ついつい魔王のほうに注意が向いてしまう。
「考えるだけなら誰でもできる。何事も実現させねば意味がない。悪癖を
「お父様から
魔王の言葉は激励だとアスモは言うが、ベルには激励に聞こえない。むしろおまえは我のようになれないと、言われているような気さえする。
(たしかにお父様はアスモお姉様のことは褒めるけど、私のことは褒めてくださらない……)
落ち込む気持ちは、料理をまずくするだけだ。ベルは
空っぽになったスープ皿の代わりに出されたのは、魚料理。サーモンのムニエルだ。
「チッ」
思わずベルは舌打ちした。
(フルコースで何度も同じ食材が出るなんて……高揚感が
ハッとなったベルは、グラスに口をつけ気持ちを落ち着かせようと努めた。
(食べ物のことになると、気分が変わりやすくていけないわ)
暴食の悪癖を持って生まれたのだから当然の欲求だといえばその通りなのだが、それでも魔王の娘として生まれた以上、
それに、この晩餐会は親子の対話をする時間である他に、立ち居振る舞いを訓練する場でもあるのだ。悪癖に振り回され、無様な姿をさらすことは
魔族はそれぞれ、悪癖を持っている。
傲慢、強欲、嫉妬、憤怒、色欲、暴食、怠惰。
生まれ持ったその悪癖を制するか、極めるか。
「相変わらず食い意地はってんなぁ、ベル」
皿を
安い
「まっ、いいけどよ」
そこでベルは、おや?と首をかしげた。
(いつものマモンお兄様なら、余計なことを二、三言追加して言ってくるはずだし、やっぱりおかしい。なにかおかしなものでも食べちゃったのかしら)
「あとで食あたりに効果がある薬をあげるわ」
「は?」
なんのことだと
そんなことをしている間に、ベルの皿にあったサーモンのムニエルが姿を消した。
(ああ、無意識に食べちゃった……。前菜と同じ食材とはいえ、貴重な珍味だったのに)
口に残る
もっと味わいたかったとむくれるベルの
(見ただけで分かる……口に入れた瞬間、ホロホロとほどけるのが!)
期待に胸を
にわかに扉の外が
「ご報告いたします!」
「何事だ!」
兵士は、荒い息を吐きながら知らせた。
「勇者が、姿を、消しました!」
ざわついていた空気が水を打ったように静まりかえる。
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