第23話 淀の方、大慌て!




「な、ななな、何をしているのですっ!

 は、ははは、早く、その汚いものを隠しなさいっ!」



 淀の方は声を上ずらせ、唾を飛ばしながら、俺に向かって怒鳴りつけてきた。


 彼女は、俺が気づいていないと思っているのだろうか。


 赤く染まった顔を背けつつ、前で着物の袖を持ち上げている。

 だが、それは顔の半分ほどを覆うだけで、目だけは興味津々に、俺の殿様に釘付けだ。



「えっ!? 汚いもの? どれですか?」



 俺は自ら見せつけたりはしない。


 でも、万が一見られたって、俺は別に平気だったりする。

 意外にうぶな淀の方の反応が可愛らしく思え、にこやかな笑みを浮かべながら、両手を広げてゆっくりと歩み寄った。



「ち、ちちち、近寄るな!」



 たちまち淀の方は後ずさった。

 俺が一歩進めば、一歩退く。


 それでも、その視線だけは俺の殿様から離れていない。


 その様子が、まさにあの人にそっくりだった。

 そう、俺の実家の隣に住む二歳年上の『姉ちゃん』に。


 姉ちゃんの姓は『浅井』であり、淀の方も『浅井家』の出身である。

 実際に会うまで、淀の方の出身を思い出せなかったが、法則『俺の顔見知りは脇役』は、今回も例外ではなかったらしい。


 ふと、俺ははっと気付いた。

 今の状況、まさにあの漫画で憧れた名シーンのひとつそのものだと。


 いつだったか、姉ちゃんにもした憧れを、今ここで再び。



「もしかして、これですか?

 いやいや、これを汚いと言っては、男の心が萎えますよ?

 そもそも、これは男にも女にもありがたーーーいものじゃありませんか?」



 俺はニヤリと笑い、親指で俺の殿様を指した。

 多少のアレンジは加えたが、達成感は最高だ。自然と笑みはニヤニヤと深まった。



「ひ、ひいぃっ!? ……きゃんっ!?」



 淀の方は後ずさり、足をもつれさせてそのまま尻もちをついた。


 俺と姉ちゃんが幼い頃、両親はどちらも仕事で帰りが遅かった。

 だから、互いの家の思惑が合い、俺と姉ちゃんはまるで本当の姉弟のように育った。


 それこそ、俺が小学校を卒業するまで、風呂を一緒に入っていたくらいだ。


 風呂が別々になってからも、今の俺と淀の方のような構図も、よくあった。


 父さんは熱々の風呂が好きで、上がると縁側の藤椅子に全裸で座り、火照った身体をくつろげるのが好きだった。

 俺も自然とそれを真似るようになり、姉ちゃんが大学進学で上京するまでは、見つかるたびによく怒鳴られたものだ。



「やや! お怪我はありませんか?」



 慌てて、紳士の俺は淀の方へ歩み寄った。

 尻もちをついた際、背後で両手を突いた淀の方の前には、何の障害物もなかった。



「く、来るな! ……こ、来ないで! こ、来ないでったら!」



 淀の方は顔を真っ赤に染め、左右に振りながら、尻もちをついたまま後ずさった。


 姉ちゃんは俺の初恋の相手だ。


 だからかもしれない。

 淀の方の仕草を見ていると、あの頃のように、ついからかいたくなってしまう。


 そんな姉ちゃんが結婚したのは、俺が二十歳の年のこと。

 純白のドレスに身を包むその姿は、あまりにも美しく、俺はその夜、ひとり涙を流した。


 しかし、姉ちゃんはたった三年で離婚した。

 母さんの話によると、元旦那の浮気が原因らしい。


 その後、姉ちゃんとはなかなか会えず、会えてもせいぜい挨拶を交わす程度だった。

 帰省しても、幼い男の子を育てる姉ちゃんは、忙しい日々を送っていた。


 ただ、姉ちゃんは教育ママに変わってしまい、どうやら今ではモンスターペアレントっぽいらしい。

 戦国時代に来る数日前、実家に電話したとき、母さんがため息混じりに教えてくれた。


 変なところで、無理に共通点を作らなくても良いと思う。


 残念ながら、姉ちゃんの息子の顔は、見た記憶こそあるものの、印象はぼんやりとしか残っていない。

 もしかすると、豊臣秀頼と同じ顔をしていたのかもしれない。



「あっ!?」



 淀の方は失敗した。

 尻もちをついたまま必死に後ずさったせいで、着物の裾が乱れて開き、艶やかな白とお姫様が見えてしまっていた。



「……えっ!?」



 俺も失敗した。

 気づけば、俺の殿様がむくむくと出陣の体制を整えてしまった。


 だって、仕方がない。初恋の人なのだから。

 青春時代、遠い記憶を頼りに幾度となく妄想した光景が、目の前にあるのだ。


 むしろ、これはごく自然な反応である。



「い、嫌あああああっ!?」

「あひんっ!?」



 だが、淀の方は許してくれなかった。

 右手を思いっきり振り払い、手の甲で俺の殿様をぶった。


 たまらず、俺は悲鳴をあげて、腰を勢いよく引いた。



「わ、私、帰るぅっ!

 こ、このっ……。好色っ! た、たわけっ! い、色狂いぃぃぃぃぃっ!」



 その隙を突き、淀の方は背を向けると、足をもつれさせながらも立ち上がり、罵詈雑言を撒き散らして駆け去った。




 ******




「はっはっ……。可愛いなぁ~」



 俺が知る歴史では、淀の方は戦国時代の三大悪女の一人として名高い。


 確かに、豊臣秀頼への教育方針には、眉をひそめてしまう。

 だが、今見せてくれた慌てぶりは、たまらなく『愛おしい』と感じてしまった。


 もちろん、俺が知っている『姉ちゃん』とは違うことは、重々承知している。

 だけど、胸は青春時代に戻ったかのようにときめき、俺は淀の方が消えた廊下の向こうを、ただ見つめ続けていた。



「凄ぉ~いっ!」

「……えっ!?」

「これ、どうやってやるんですか! 僕にも出来ますか!」



 ふと熱い視線を感じて顔を向けると、豊臣秀頼が俺の殿様を間近に見つめ、目をキラキラと輝かせていた。


 やっちまった。大失敗だ。

 淀の方があまりにも可愛かったせいで、豊臣秀頼の存在をすっかり忘れていた。


 これでは、淀の方の教育方針をとやかく言う資格などない。



「うーーーん……。もうちょっと大人にならないと駄目かな?」

「えーー……。あっ!? ちっちゃくなった!」



 たまらず救いを求めて、顔を左に向けると、三成は弾かれたように顔を背けた。

 さらに、顔を振り向けて背後を見れば、関ヶ原以来、苦楽を共にしてきた頼もしき仲間たちまでも、揃って視線を逸らしていた。


 豊久だけが、腹を両手で抱え、肩を震わせながら、必死に笑いを堪えていた。

 豊久の隣に、島津義弘が居るのを確認して、俺は決断した。


 こうなったら、自棄だ。嵐を呼んでやる。



「秀頼様」

「はい?」

「ほーら、ぐるんぐるん回るよー」

「わっはーっ!?」

「かっかっかっかっかっ! 秀秋、最高だ!

 どれ、島津の男として、儂も……。うごっ!? 伯父上、何するんさ!」



 目論見通り、豊久は吹き出して大爆笑した。

 調子に乗って、さらに悪ノリした豊久が島津義弘にゲンコツを喰らうのも計算済み。


 よし、狙いどおりだ。やったぜ。



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