第四章 風雲、大阪城

第22話 裸の付き合い




「むーーーんっ! むーーーんっ! むーーーんっ!」

「どうした、どうした!」



 冬の澄み渡った青空の下、贅を尽くした大阪城の庭に、思わず微笑んでしまうような唸り声が何度も響く。

 その声の主は、顔を真っ赤にし、鼻の穴を大きく開いて力む『豊臣秀頼』である。


 街の住人たちが沿道に出てお祭り騒ぎになっている中、俺たちは大阪城へと凱旋した。

 戦勝報告の場には、広々とした大評定の間が選ばれ、百を超える西軍の諸将が、口々に己の武功を誇った。


 厳かさはありながらも、そのまま宴会に移行してもおかしくないほどの盛り上がりだった。

 

 だが、俺にはどうしても口元を緩められない光景が一つあった。

 西軍の総大将である毛利輝元を左隣に従え、一段高い上座に座る豊臣秀頼の様子である。


 背筋をピンと伸ばし、両手を膝の上に置いたまま胡座をかく。

 終始、穏やかな微笑みを浮かべ、受け答えもしっかりしている。


 その姿は、まさに君主に相応しいものだった。


 もし豊臣秀頼が10歳を超えているなら、素直に感心しただろう。

 小学生高学年であれば、頑張っているな、と感じられる年齢だ。


 しかし、秀頼はまだ7歳であり、小学一年生にじっとしていることを強いるのは、なかなか辛いはずだ。


 そのため、俺の目には礼儀正しく映らなかった。

 日頃から豊臣家当主として厳しく躾けられ、大人ばかりの中で無理をしている様子がはっきりと見て取れた。



「ここを……。こう持ってっ!」

「そうはイカの金ちゃんだ! どすこーい!」

「むきゃっ!?」



 それに、俺は見逃さなかった。


 一時間を超える戦勝報告が終わると、豊臣秀頼は短く溜息を漏らし、胸をホッと撫で下ろした。

 大評定の間を出てゆく足取りも、歩き出しは堂々としていたが、すぐに足早になった。



『みんなで相撲をとりませんか?』



 だから、やっと終わったと言わんばかりの豊臣秀頼の前に立ちふさがり、俺は笑顔で彼を止めた。


 当然、想定外の提案に豊臣秀頼は戸惑った。

 その背後に付き従っていた毛利輝元も、『お前、いきなり何言い出すんだ?』という顔で戸惑った。

 関ヶ原の戦い以来、俺を知る者たちは『また突飛なことを始めるつもりだよ』と苦笑し、三成は深いため息をつきながら『相撲をとるなら庭に場所を変えましょう』とぼやいた。


 大評定の間に面する庭は、即席の相撲大会の会場となった。



「フハハっ! 俺の勝ちですな!」

「もう一回! もう一回!」

「よっしゃ、こーい!」



 武士にとって、相撲は鍛錬であり、遊びの定番でもある。


 まずは俺と豊久が相撲を取り、激しい戦いを繰り広げた。

 次に、意外にも三成が名乗りを挙げ、家臣の島左近と相撲を取った。


 すると、名乗り声が次々と挙がった。

 今や、普段は人々をかしずかせている者たちが褌一丁になり、大盛り上がりしていた。



「今度こそ、負けないぞーっ!」

「フハハっ! 十年早いですな!」



 最初こそ、豊臣秀頼は居心地悪そうに相撲をぎこちなく眺めていた。


 だが、やっぱり男の子だ。次第に目が輝き、そわそわし始めた。

 その瞬間、誘うと、彼はすぐに応じた。


 今ではこの通り、豊臣秀頼も褌一丁で、俺と相撲を取っている。

 子どもらしい負けず嫌いを発揮し、三勝負目に挑むところだ。


 二度も俺に転がされ、顔は土まみれ。整えられていた髪も乱れ、髷が解けかかっている。


 これには、勝負前は厳つい顔をしていた毛利輝元も、にっこり。

 周囲からは負け続けの豊臣秀頼に声援が飛ぶ。暦はすでに11月後半を数えるが、心温まる光景が広がっていた。



「見合って、見合って……。はっけよい!」



 そして、俺と豊臣秀頼は間を取り、腰を落として両拳を地に置き、相撲の立ち合いの姿勢を取った。

 行司役の三成が軍配を持ち上げ、三勝負目が今まさに始まろうとした、その瞬間だった。



「秀頼っ!」

「あっ……。」



 凄まじい金切り声が響き渡った。

 豊臣秀頼は身体をビクッと震わせると、すぐさま直立不動の体勢を取った。



「いつまでも帰ってこないと思って来てみれば……。

 何をしているのですか! 何を!

 豊臣の棟梁たる者が、人前で肌を晒すなど! 恥を知りなさい、恥を!」



 俺は『やっぱりな……。』と心の中で呟き、そっと溜息を漏らした。


 幼いとはいえ、豊臣家の現当主を人前でこれほどまでに怒鳴ることが出来る人物は、ただ一人しかいない。

 数多くの浮世を流した豊臣秀吉の子を、唯一産んだのが豊臣秀頼の生母『淀の方』である。


 豊臣秀頼が大評定の間で窮屈そうにしていたのは、淀の方の躾によるものに他ならない。

 今、豊臣秀頼が見せた態度も、それを如実に物語っていた。


 淀の方の波乱に満ちた半生も理解できるし、豊臣秀頼ありきの自分の立場ゆえの必死さも分かる。

 それでも、淀の方の教育は、あまりにもスパルタな管理主義すぎやしないだろうか。


 しかも、それをはっきり否定できる人間がいないのも、たちが悪い。

 その証拠に、淀の方が現れるまではノリノリだったはずの皆も、今ではバツの悪い顔をして、嵐が過ぎ去るのを静かに待っていた。



「ここにいる者たちも、なぜ止めないのです!

 三成、あなたまで行司の悪ふざけをして……。秀頼が怪我をしたら、どうするのです!」

「い、いや……。そ、その…。」



 槍玉に上げられた三成が、俺に救いを求め、縋るような眼差しを向けてきた。

 俺は肩を竦め、面倒くさそうに、これ見よがしな溜息を深々と漏らした。



「平気、平気。子どもにとって、擦り傷の一つや二つくらいは武勲ですよ」

「なっ!? お、お前……。」



 淀の方は、信じられないと言わんばかりに目を大きく見開いた。


 なんとなく推測が出来る。

 以前、それとなく周囲に聞いて調べた小早川秀秋の性格から察するに、彼は淀の方に絶対服従のイエスマンだったのだろう。


 皆から突き刺さる『お前、凄えよ……。』という視線に、俺は気分が良くなる。つい調子に乗ってしまう。



「それに、相撲は褌一丁が当たり前。

 昔からの習わしですよ? 知らないんですか? ……はっはっはっはっはっ!」



 ニヤニヤと笑っただけでは飽き足らず、両手を腰に当て、喉の奥が見えるほど大笑いした。



「なっ、なっ、なっ!?」



 淀の方は一歩、二歩、三歩と後ずさり、唇を震わせながら絶句した。



「……ということで、仕切り直しだ。三成」

「あっ、はい……。」

「ほら、秀頼様も」

「えっ!? で、でも……。」



 いつの間にか、豊臣秀頼は俺の背後に隠れていた。

 その肩をポンポンと優しく叩き、俺はにこりと笑って、勇気づけた。



「秀頼っ!」

「ひっ!?」



 だが、再び淀の方の金切り声が一閃した。

 豊臣秀頼の肩が、大きくビクッと揺れた。



「……おろ?」



 どうやら、幾つもの名勝負を重ねた結果、褌の結びが緩んでいたらしい。

 豊臣秀頼が俺の褌の腰紐を強く掴んでいたため、その身を竦めた拍子に、褌がはらりと落ちて、俺の殿様が丸出しになってしまった。



「キャァァァァァーーーーーっ!」



 その直後、強烈な悲鳴が響き渡り、さすがの俺も、今度ばかりは身体をビクッと震わせた。



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