第5章 静寂なる観測者たち

 音のない世界だった。

 瓦礫の中から意識を取り戻した私は、音という音が完全に消失した空間にいた。耳を澄ませても、自分の心音さえ聞こえない。だが、感覚ははっきりとしていた。私は――生きていた。


 そして、その空間には白く輝く球体が無数に浮かんでいた。

 それらは鼓動のように脈動し、淡く光を放っている。まるで生きているかのように。


 私は気づいた。あの球体は、すべて“人間の記憶”だった。

 記憶が、形を持って漂っている。

 そしてそのひとつが私の目の前まで滑ってきた。


 中を覗き込むと、そこには――私とワトソンが並んで歩く光景があった。

 ベーカー街、煙るロンドン、いつものあの午後の一幕。

 懐かしさが胸を締め付ける。


 「探偵とは、“記録者”であるべきだったのに」

 背後から、静かな声がした。


 振り返ると、漆黒の法衣を纏った存在が佇んでいた。

 顔は影に隠れ、唯一見えるのは、その胸元にぶら下げられた壊れた懐中時計。


 「お前は、誰だ?」


 「“観測者”のひとり。時の流れを記録し、干渉せぬことが我々の掟だった」

 「だが、お前は干渉した。マクシミリアンの装置により、未来を覗き、改変の可能性を帯びてしまった」


 私は問う。

 「未来を変えることがなぜ、罪なのか? それが破滅を回避する手段であるなら?」


 「破滅を“知った”時点で、それはもはや“自然”ではない。お前が選んだ時点で、すでに未来は“お前の意思”に歪められている」


 観測者はそう言うと、手を掲げた。

 光の球体が無数に共鳴し、渦を巻くように空間を埋め尽くす。


 「いま、お前を“この時間軸”から完全に切り離す。さようなら、探偵」


 私の意識が、再び遠のきかけた瞬間――

 ひとつの球体が強く明滅した。

 それは、ワトソンの記憶だった。


 「ホームズ、あんたは探偵だろう? だったら、“謎”の前では、立ち止まるなよ」


 幻聴のように、その声が響いた。


 私は叫んだ。

 「私は、真実のためにこの時を選んだ! 未来の奴隷にはならん!」


 球体が弾け、観測者の姿がかき消え、私は新たな場所へと“飛ばされた”。

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