第2章 時をねじる男

 マクシミリアン・レイ――

 名を聞いたことがある者は少ない。だが、彼の研究室に一度でも足を踏み入れた者なら、決して忘れられないはずだ。


 ベーカー街から馬車で南へ三十数分。霧の薄い午前中、ワトソンとともにその邸宅を訪れた私は、重々しい鉄門の前で立ち止まった。


 「まるで……牢獄のようだ」

 ワトソンが呟く。


 鉄の扉は錆びていたが、押すと音もなく開いた。中庭は不気味なほど静まり返り、中心には巨大な歯車のオブジェが立っていた。

 歯車はゆっくりと回っていた――動力が何かは見当もつかないのに。



 応対したのは、無表情な執事だった。

 「お待ちしておりました、シャーロック・ホームズ様」


 「私が来ると、なぜ知っていた?」

 「ご主人様は、“あなたが来る未来”を、すでに見ておられましたので」


 その言葉に、ワトソンが小さく息を呑む。


 案内された応接室は、書物と金属部品で埋め尽くされていた。暖炉の上には振り子時計、壁には複数の懐中時計が連なる――だがすべて、異なる時間を刻んでいた。


 「時間に意味などない。正しさなど、誰が決めたというのか」


 現れた男は、灰色の髪と紫の瞳を持つ、痩せた中年紳士だった。

 彼こそ、マクシミリアン・レイ。


 「“あなた”が死んだ。老いた状態で、百年先の新聞を持って」


 私の言葉に、彼は頷いた。


 「ええ、それは“可能”です。私が作った“クロノス・エンジン”の暴走によって、いくつかの“未来”が開いた」


 彼は机の下から取り出した――それは、**かつて見た“機構の心臓”**と同じ装置。

 だがその中心部には、螺旋状の水銀のような液体が脈打っていた。


 「これが、時をねじる装置。あなたが持っていたのは、これの“破片”にすぎません」


 「つまり私は……未来からこの時代に落ちてきた……?」

 「あるいは、未来に向かって放り出される寸前、途中で死んだのかもしれない」


 「だが、貴殿は何の目的でこれを?」


 マクシミリアンは微笑んだ。


 「私の目的は、“時間の改良”です。時計の歯車のように、人の歴史を組み直せたらとね。ですが、その試みは――」


 彼は言葉を切り、背後の壁を開いた。

 そこには巨大な円形の装置が鎮座していた。無数の歯車と水晶が組み合わされた、異様な構造。


 「暴走しました」


 その瞬間――

 装置の内部が光を放ち、私の身体が引き寄せられるように浮かんだ。


 「ホームズ!」

 ワトソンの声が遠ざかる。


 光の奔流。ねじれた空間。歯車が回る音。そして、静寂。


 私は、“未来”へ落ちていった。

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