第3話 姫とニート、同棲を始める

「え……日本語!? な、なんで!?!?」

 

「我が<セレスティア・コード>をもってすれば、造作もないこと。して、お主、名は?」

 

 リリィは淡々と再度問いかける。

 

「あ……結城学人です。えっと、アストリアって……? というか、セレなんとかって……?」

 

 頭が疑問符で埋め尽くされている学人だが、彼女の放つ威圧感にも似た雰囲気に気圧され、反射的に名乗っていた。

 

「マナトか。……まずは、このリリィに手を差し伸べてくれたこと、心より感謝する。」

 

 リリィは深く頭を下げてそう言ってから、彼女が秋葉原に降り立つまでの顛末を学人に語った。

 

「……そうして、言葉も分からないまま未知の場所に放り出されたリリィを、マナトが救ってくれたのじゃ」

 

「あ、言葉……」

 

 そう言いかけた学人を手で制しながら、リリィは続ける。

 

「<天の叡智セレスティア・コード>というのは、リリィの持つ特殊な能力じゃ。……100万年に一人の天才的な頭脳。一度インプットした知識は二度と忘れることはなく、自由に取り扱うことができる。」

 

 唐突な話の展開にいまだ頭の整理が追いついていない学人だが、ひとまず、リリィが突然流暢な日本語を話せるようになった経緯は、なんとなく理解した。

 数冊の日本語教本に軽く目を通しただけで、日本語という言語を完璧に理解する。

 それが、彼女の言う、<天の叡智セレスティア・コード>なのだろう。

 

「……すごいな、セレスティア・コード」

 

「……しかし、良いことばかりではない。魔界戦争は、この<天の叡智セレスティア・コード>を巡って起こったのじゃ」

 

 リリィは眉根を寄せ、唇をきゅっと噛みしめて俯く。

 しかし、すぐに顔を上げた。

 

「だが、それは裏を返せば、リリィがこちらの世界にいれば、争いの種が消えるということ。戦争は一時休戦となるであろう。……だからこそ、このアキハバラで、リリィは、魔力を完全に回復させ、万策整えてから元の世界に戻らねばならない」

 

 学人はリリィの境遇を思い胸が痛くなった。

 

 ――こんな小さい子が……いや、中身は小さくないのか。それにしたって、自分を巡って戦争だなんて、普通でいられるはずがない。それなのに、この子はなんでこんなにも凛としているんだろう。

 

 一方の自分はといえば、毎日酒と煙草に溺れる引きニートだ。

 ……比べるのも烏滸がましい。

 肩身の狭さに、胃のあたりがきゅっと落ち込むのを感じた。

 そんな学人の気持ちをよそに、リリィは飄々と話を続ける。

 

「……というわけで、じゃ、マナト。リリィが魔力を回復するまでの間、ここに住まわせてはもらえぬか」

 

「はい……って、え!?!?」

 

 客観的に見れば、彼女を家へ連れて行った時点で、予想された展開だっただろう。

 しかし、この日の学人の頭は、そこまで冷静に回転してはいなかった。

 

 ――この、エルフの姫、しかも天才美幼女と、俺が、ど、同棲……!?

 

「よろしく頼んだぞ、マナト!」

 

 そう言って微笑みかけるリリィの美しい瞳を見ると、学人はその提案を拒絶することはできなかった。

 

 ――か、可愛い。

 

 混乱、同情、庇護欲、尊敬、劣等感。

 学人の中には様々な感情が渦巻いていたが、彼女の笑顔を見て一番最初に浮かんだのは、あまりにも単純なその感想だった。


 こうして、エルフの姫とやさぐれニートの奇妙な共同生活が始まった。


 ◇


「ところで、魔力を回復するにはどうすればいいんだ?」

 

 思いがけぬ同棲の提案で頭から抜けかけていた大事な疑問を、学人は問いかける。

 

「元の世界では、“聖霊の泉”という泉で身を清め、祈りを捧げることで魔力を回復していた。……が、この世界では果たしてどうすれば良いのか、リリィも思案していたところじゃ」

 

 リリィは顎に手をやって首を傾ける。

 

「身を清める、と言えば……風呂か。まあ、ダメ元だけど、それっぽい入浴剤でも探して、試すだけ試してみるか?」

 

「“風呂”……お主ら人間の、身を清める方法だな。試してみるほかあるまい」


 二人は、“聖霊の泉っぽい入浴剤”を求めて、激安の殿堂を訪れた。

 リリィ曰く、“聖霊の泉”は、限りなく透き通った美しい水色の泉で、ほのかに花の良い香りが漂っているとのことである。

 

 ――となると、温泉系よりは、アロマ系か? この水色のやつなら、少しは近いのか……?

 

 真剣に選ぶ学人の背後から、リリィが大きな声で呼びかける。

 

「おい、マナト! 良いものがあった。これはどうじゃ??」

 

 リリィは瞳をきらきらさせてその手に持っていたものを学人に向けて高く掲げた。

 それは、「聖水」とピンクの文字ででかでかと記載された、いかにもいかがわしげな瓶だった。

 

「“聖霊の泉”の水は、“聖水”としても用いられるのじゃ。であれば、これを浴びれば――」

 

「……リリィ、それ、どこから持ってきたんだ?」

 

 嫌な予感しかしていない学人は、高揚しながら話すリリィを遮る。

 

「あそこの御簾の奥じゃ!」

 

 リリィが指さすのは、店内の隅っこに配置されたピンク色のカーテンで仕切られたエリアだった。

 

「…………リリィ。残念だが、これには多分聖なる力はない。俺が戻してくるから、リリィはここで待ってて。……それと、人間界では、ピンク色のカーテンの向こう側は入っちゃいけないことになってるから。二度と入らないように」

 

 リリィはどういうことじゃ、と不満げな様子を見せていたが、学人は頑なにそれ以上は語らなかった。


 結局二人は、学人のチョイスした水色の入浴剤をお買い上げした。

 善は急げと、帰宅してすぐに入浴を試したいと言うリリィのために、学人は久しぶりに湯舟を掃除し、お湯を張り、先ほどの入浴剤を投入した。

 リリィは学人に感謝を伝え、颯爽と入浴に赴いた。

 ……かと思いきや。

 

「きゃああぁぁぁぁ!!!」

 

 大きな悲鳴が響き渡った。

 

「リリィ!? どうしたんだ!?」

 

「水が……水が、熱いのじゃ!!!」

 

 どうやら、エルフの世界には“お湯”という概念がなかったらしい。

 思い返せば確かに、泉の“水”と言っていたな。

 

 ――けれど今は正直、それどころではない。

 

 リリィはタオル一枚でかろうじて体を隠している状態だったのだ。

 学人はそれをできるだけ視界に入れないようにと必死だった。


「り、リリィ、大丈夫だ。これは“お湯”と言って、ただの温かい水。ゆっくり浸かれば、体の疲れも取れるよ」

 

 目線は外したまま、学人はそう言う。

 

「……しかし、リリィは氷を司るエルフの一族なのじゃ。熱い水は……怖い……」

 

 リリィは学人の手をぎゅっと握りしめた。

 

 そう言われちゃあ、もう仕方ない。

 ニートにとって一回分の湯舟の水道代は馬鹿にならないもんだが……水を張り直すか。

 

 学人の表情を見てそんな心中を察したのか、リリィは、躊躇いながらも言葉を加えた。


「……た、ただ、マナトがリリィのためにせっかく準備してくれた湯を無碍にするのは……失礼というものじゃ。……よ、よし、入るとしよう」

 

 口ではそう言いながらも、リリィはまだ湯への恐怖心を払しょくできたわけではなさそうだった。

 

「でも……大丈夫なのか?」

 

「…………マナト。一緒に入ってはくれぬか? お主がいれば少しは安心して湯あみをすることができるかもしれぬ」

 

「……はああぁぁぁぁぁ!?!?」

 

 リリィは相変わらず美しい潤んだ瞳で学人を見つめている。

 

 ――方々の偉い人。美幼女エルフに懇願されて一緒にお風呂に入るのは、犯罪に当たりますか???


 二人の同棲生活は、早くも一つの波乱を迎えていた。

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