第二章 ふしぎなビールと忘年会

暖房で温められたリビングに入ると、寒さと緊張で凍りついていた体がじんわりと溶けていった。僕たちはほっとしながら上着を脱いだ。

僕の家のリビングは、最低限の家具しか置いていない。こたつにソファにテレビ。いつも出してある四人がけの食事用テーブルは、年越しには邪魔だから部屋の隅によけてある。

僕と母さんしか暮らさないこの家は、いつもはがらんと広く感じる。しかしここに人間四人とトロルが入ると、一気に狭くなり、コートを脱ぐ音や歩く音だけでも、誰も話していないのに、なんだかうるさくなったなと感じた。

みんなの身支度が終わると、母さんはパンパンと手を鳴らし、声をあげた。

「はい、みなさん。うちは貧乏ですのでコーヒーの一杯も出せません。しかし今日は大みそか。日本では新年を祝うイベント目白押しよ。まずはこたつに入り、テレビでも見て打ち解けて、気分を盛り上げてください」

母さんは、こたつの上のリモコンをとり、スイッチを押した。そして年越しに定番の、ある歌番組にチャンネルを回した。

テレビ画面いっぱいに、色とりどりの着物やドレス、スーツを着た芸能人が映り、ぱあっと部屋が明るくなった。伸びやかな歌声、心地良い楽器の伴奏。華やかに飾り付けをされた歌の舞台。新年を迎えるにあたり、気合を入れて準備されたステージがまぶしい。

やがてテレビはCMに切り替わった。年越しのテレビは、なんだかCMまでもが見ていて楽しい。ハッピを着た店員が、正月セールや初売りの呼び込みを元気にしていて、活気がある。そうしてCMが終わると歌番組に切り替わり、色とりどりの衣装とステージがまた映り出す。

テレビから流れる映像と音は、静かな冬の夜とは対照的で、見る人の気持ちを一気に明るくさせるパワーがある。いつもの正月なら、それをまったり見て、明るい気持ちのおすそ分けをいただきながら、静かにこたつに潜り込むのだ。

しかし今ここにいるのは、初対面の外国人のおじさんと、トロルと、金村と僕と母さんだ。金村と僕だけならまだしも、もう母さんと話し込む年齢でもないし、ましてや初対面の外国人と謎の生き物と、どうやって打ち解けて明るく過ごすのだろう。

画家のおじさんをちらりと見ると、テレビの画面とテレビの後ろ側を交互に見て、ふしぎそうな顔をしていた。

「この薄型の箱の中に、こんなにたくさん、小人が歌っておどっているのですか?」

それを聞いて、僕は少し笑いそうになった。子供の頃、僕もテレビの仕組みがふしぎで、中に人が入っておどっていると思ったことがある。

「違いますよ。これはテレビと言って、違う場所で撮った映像を映しているものです」

トロルが説明をしてあげた。画家のおじさんはまだふしぎそうだったが、テレビから離れて、今度はこたつに近づいた。

「これは何ですか。椅子はどこにあるのでしょう。どうしてテーブルにブランケットが挟まっているのでしょうか。もしかして、これ、ベッド?」

僕は吹き出しそうになるのをぐっとこらえた。先ほどのテレビに引き続き、新鮮な反応が面白い。外国人にはこたつがベッドに見えるんだ、と知って、その発見が少し面白かったのだ。金村のほうを見ると、金村も笑ってはいけないと頑張って笑いをこらえながらている。しかし、今にも笑い出しそうな引きつった変な顔をしている。

金村は僕の視線に気づいて、ニヤリと笑った。数秒の沈黙ののち、僕らは顔を見合わせ、爆笑してしまった。

「ははは!これはね、ベッドじゃなくて、こたつっていうものなんですよ。ほら、こうやって足を入れるの。あったかいんだから」

僕と金村は、お手本を見せてこたつに足を入れた。

画家のおじさんは、ちょっと嫌そうな顔をしたが、しぶしぶ腰を下ろし、こたつに足を入れた。その瞬間、骨太の脚が僕達の脚にぶつかった。そうか、外国人だから脚が長いんだ、と気づいた僕と金村は、邪魔にならないように一度こたつから出た。

なんとおじさんの足はこたつの中にとどまらず、反対がわの布団からニョキっと出てきた。

「すげー!脚なげー!」

僕と金村は、テンションが上がって驚いた。

「いいなあ、脚長いの。日本人にはうらやましいよね」

「うん、うらやましい」

おじさんは気まずそうな顔をして、何も言わなかった。異文化に戸惑っているのだろうか。いや、うるさいガキに絡まれて困るな、とか思っているのかな。僕たちは、相手をほめて居心地良くなってもらおうと思って、大げさにほめたんだけどな。ちょっとだけ盛り上がった僕と金村はまた静かになって、遠慮がちにこたつに入り、相手の脚に当たらないように気を遣いながらこたつの隅を陣取った。

気まずい沈黙が流れた。テレビから流れる明るい声が救いだった。


「遥斗ー!手伝って!」

いつの間にかキッチンに行っていた母さんが、僕を呼んだ。僕は助かったと思い、「はーい!」と元気に立ち上がった。

「待って!俺も行く!」

いやいや、と僕は立ち上がる金村を抑えてニヤニヤした。

「いいや、お前はここにいろ。お客様をもてなすんだ。ふははは」

「頼む一緒に行かせてくれ。あと悪魔みたいな笑い声やめろ」

まあ気まずいよね、と思い、僕は金村も連れて行くことにした。画家のおじさんとトロルが熱心にテレビを見つめているのを横目に、僕たちは母さんのいるキッチンへ向かった。


母さんはエプロンを付け、黒い大鍋を取り出していた。

「良い機会だわ。飴づくりを見てもらいながら、この家に伝わる秘密を教えましょう」

 そう言って母さんは、黒い大鍋に水をザアッと入れて、砂糖をたっぷりかけた。やけに分量が多いことを除けば、母さんが作る、いつもの飴の作り方と同じようだ。

 母さんは、鍋に入った水が温まるのを見つめながら言った。

「遥斗のひいおばあちゃん、つまり私のおばあちゃんはね、立派な魔女だったの。そして人間が大好きだった。薬草と魔法を使っていろんな薬を作って、町の薬屋さんとして、人々を助け、慕われる存在だったらしいわ。そして、人間のひいお爺さんと出会い、結婚をした。二人から生まれたあなたのおばあちゃんはーーつまり私のお母さんはーー魔女と人間の子供だから、半分魔女の血が流れている。そしておばあちゃんも人間と結婚したから、二人から生まれた私は、魔女の血が四分の一流れている。そして、私も人間であるお父さんと結婚した。

遥斗。つまりはあなたには、八分の一、魔女の血が流れているのよ」

「え!?僕にも魔女の血が流れているの?」

突然出てきた話に、僕はぽかんとした。

「お前すげーじゃん!そして俺は、魔女の子孫と友達ってこと?」

金村は目を見開いて、僕の肩を叩いた。

「そうよー。だいぶ魔法使いの血は薄まっているけどね」

僕と金村は、一気に興奮して肩を叩き合いながら、すげー!まじかよ!と言い合った。

 正直、突然そんなことを言われたところで、魔法使いの血が流れている感覚なんて分からない。妙に力が湧くこともないし、何かを浮かせたり、飛ばしたり、そんな絵本の中の魔法使いみたいな事ができる気はこれっぽっちもしない。しかし、突然出てきたトロルとおじさんの存在や、母さんのこれまでのふしぎな飴や思い出の数々を思い出すと、魔法じゃないと説明できないことがたくさんある。本当にそうかな?と疑いながらも、もう半分心は認めていて、この衝撃の事実が嬉しいような、現実味がなくてむずがゆいような、そんな気持ちになっていた。

「ねえ、よく聞いて。あなたに魔法の力がどれほどあるのか、その力がいつどのように発揮されるかはわからないわ。ずっと発揮されずに、何も起こらないかもしれない。でもね、もしあなたに魔法の力があって、いつか力を使う時が来たら、人を助けるために使いなさい。これは魔法使いの家系に伝わる、大切なお願いよ。力のある者は、その強さを自分のためではなく人のために使いなさい。どうか、強くて優しい人になってね。これ、絶対に守ってね」

興奮する僕らをたしなめるように、母さんは真剣な調子で言った。僕も母さんに向き直って、真剣な表情で頷いた。

力のあるものは、人のためにその力を使う。そういう考え、僕は嫌いじゃない。あんまり裕福じゃなくて、どちらかといえば弱い方の立場にいた自分が、ともすれば力のある強い存在になれるとしたら、それは嬉しいことだ。そして、今まで傷ついた分、自分に力があるなら人を助けたい。そう思った。


  鍋の水は、いつの間にかふつふつと沸いていた。母さんは透明の液体の入った小瓶を取り、中身を黒鍋に入れた。なにやら呪文のような、変わった言葉をぶつぶつと唱えている。

瞬く間にポコポコと大きめの泡が大量に出てきて、急速に沸騰してきた。べっこう飴、という家で作れる簡単な飴を作ったことのある人なら、この瞬間が分かるだろう。飴づくりは、焦がしすぎても、煮立たずに固まらないまま火を消してもダメだ。ちょうどいい色、ちょうどいい匂いで、手早く鍋を火からおろす。

 そして母さんは、大きな白い楕円の陶器を出して、鍋を傾けて飴の液体を入れた。とろとろとろ……と、息を呑むほど美しい黄金色の液体が、白い器に滑らかに流れ込んできた。黒い鍋だったからつい先程まで飴の色は分からなかったが、その黄金色は美しく、母さんの目利きは正確なようだ。

「きれい……」

 僕は思わず呟いた。

「ねえ、そうでしょう?ひとまず下地は完了。ここから忙しいわよー!」

 母さんは、飴の入った白の器を持って、小走りにこたつの方へ向かった。そして飴の入った器を、テレビの見える位置に丁寧に置いた。

「飴に、テレビを観せている……?」

僕は、そのシュールな光景に圧倒されながら、遠慮がちに聞いた。

「そうよ。日本の年越しの始まりは、年越しのテレビ番組を観ることから。もちろんね、年代によって番組の人気のかたよりはあるでしょうけれど。でも現代日本の伝統的な正月に則るとしたら、この歌番組でしょう。初日の出の力を最大化するには、伝統的なやりかたで、みんなで明るく年越しを迎えることよ」

さも当然、といった風に母さんが説明した。

「つまりはね、初日の出を浴びる、とびきり縁起のいい「初日の出のドロップス」を作るには、楽しい雰囲気が必要よ。今から、わが家のルールは「年越しを全力で楽しむこと」とします」

「ええ?わ、わかりました……」

僕と金村、画家のおじさんとトロルは、戸惑ったように頷いた。このメンバーで、どうやって打ち解けて盛り上がれるのか。全っ然わからない。でもそうじゃないと初日の出のドロップスとかいうやつを作れないし、そうなると画家のおじさんも帰れないらしい。それは困る。

困りながらも、とりあえずみんなこたつに入ってテレビを観ることにした。


「さて。初対面の人と打ち解けるには、まずは相手のことを知り、自分のことも知ってもらわないと。そのためには自己紹介が一番よ」

「ええ?」

僕は嫌そうに母さんを見たが、母さんは「まあ、そんな反応しないで」とピシャリとはねのけた。

「私から自己紹介するわね。鈴浦まひるです。遥斗の母です。私は魔女と人間のクオーターで、あんまり魔法の力は強くないけれど、薬づくりの能力が少し遺伝しているようで、不思議な力を持つお菓子や、薬の調合もできます。普段はパートの薬剤師として働いているわ。今日は、みなさんに会えて嬉しい。なんのお構いできないけど、ゆっくりくつろいでね」

パチパチパチ、とおもむろに僕たちは拍手した。

「はい、次、遥斗」

母に言われて、俺?と嫌そうにしながら、僕は仕方なく口を開いた。

「鈴浦 遥斗です。十四歳、中二です……。よろしくお願いします」

「短いぞー。それだけかよ」

早速、金村が突っ込んだ。

「だって、特に話すことないし」

「じゃあ趣味は?」

「特にない」

「好きな食べ物とか……」

「ねえよ、別に」

金村と僕のやりとりを見て、しびれを切らした母さんが怒った。

「あなた、いい加減にしなさい。初対面の人と仲良くなるためにこれをやっているの。楽しい年越しにして、初日の出を浴びて、希望にあふれた正月を迎えて......そうして、初日の出のドロップスを作るためにやっているの。飴を作れなければ画家のおじ様を元の世界に戻せないのよ。少しは協力して」

「だって。趣味を作るほど金も無いし、食事も、いっつも似たようなスーパーのセール品じゃねえか。そんなんで好きな食べ物とかできるわけねえだろ」

一同は、シーンとした。テレビから聞こえてくる高らかな笑い声が、虚しくリビングにこだました。

「ごめんなさい。そっか。そうよね。趣味も、食べ物も、我慢させる生活だったわね」

母さんは呟いた。目に涙がにじんでいるのを見て、僕は、言い過ぎたと後悔した。気まずい沈黙が、重たく感じた。

物おじせず沈黙をやぶったのは、トロルだった。

「このおうち、立派ですよね。飛行船まであって。貧乏だなんて到底見えませんよ。飛行船を持っている家なんて、聞いたことがありません。本当に貧乏なら、売って手放せばいい」

「そうだ、売ってお金になるじゃないか。食べ物も、やりたいことも多少はできるだろう」

画家のおじさんも頷いた。

「それは……それは、できないの。あの飛行船は、私の夫が、大事に大事につくったものだから。夫は、遥斗が四歳の時に事故で亡くなったの。とても素敵な人だったわ」

母さんは、どこか遠くを見つめて、懐かしそうに微笑んでいった。

「ずっと一緒に暮らそうと決めて、結婚して、この家に住み始めた。そして遥斗が生まれてきてくれた。赤ちゃんの頃の遥斗は本当に可愛らしくてね、私も、夫もたくさんの愛情を注いだわ。とても幸せだった。

ある日、夫が趣味で作っていた飛行船が完成した。実際に飛ぶかどうかを確認するため、あの人は飛行船に乗って、この庭から飛び立ったわ。よく晴れた、風の少ない夏の日だった。夏の青い空に飛行船が飛び立って、高く高く上がっていく様子を、私は、じっと見ていた。飛行船は、青い空に吸い込まれるようにあっという間に小さくなっていった。

私は、遥斗の世話をしながら、夫の帰りを待ったわ。

だけど夫は、日が暮れても帰ってこなかった。

私は嫌な予感がして、すぐに、私のおばあちゃん、つまり遥斗のひいおばあちゃんに連絡したわ。私は魔女の血が薄すぎて、飛ぶこともできない。魔女のおばあちゃんなら、人間が一生懸命さがすよりも、早くに見つけられる。そう思ったの。

魔女のおばあちゃんは、ほうきに乗って飛び立って、探しに行ってくれたわ。そしてすぐ、飛行船が見つかった。ここからそんなに遠くない山に墜落していたの。

魔女のおばあちゃんは、飛行船ごと魔法の力で持ち上げて、この家に帰してくれたわ。

私は、おばあちゃんと一緒に飛行船を開けて、運転席で眠ったように動かない夫の肩を叩いた。「起きて。ついたわよ。起きて」そう何度も声をかけたわ。それでも夫は目を覚まさなかった。もう見つかった時点で亡くなっていたの。

どうして、と思った。私に魔法の力があれば、飛行船を落とさないように助けることができたかもしれない。どうして私にはそんな力もないのって、たくさん自分を責めた。

それでもね、時間は止まってくれない。私には遥斗という大切な息子がいる。母親として、子供を育て、食べさせていかなくてはならない。その日の夜も、夜ご飯をしたくして、食べさせて、お風呂に入れて、寝かしつけた。そしてまた朝が来た。こうやって、一日一日、必死で生きて、今日がある。

私達はたくさんの日々を乗り越えてきた。年月が経って、忘れてしまう思い出もたくさんある。忘れたくない夫の顔さえも、ぼんやりとしてしまっているわ。それでもこの家と、この飛行船は、ずっと変わらない。家と飛行船は、どんなに年月が経とうと、たしかに夫が、遥斗のお父さんがいたという証明なの」

母さんは、静かに言った。そして、急に笑顔を浮かべて、無理やりに明るい声を出して言った。

「ごめんなさいね、暗い話になってしまって。打ち解けるために自己紹介を提案したのは私なのに、まったく、嫌になっちゃうわ」

「いいや、そんなことはない。これは、大切な話だ。私も大切な家族を失ったからわかるよ。家族の死は、多かれ少なかれ人生に影響が出る。自分を知ってもらう上で、避けて通れない」

画家のおじさんが、母さんをなだめるように優しい声をかけた。そして僕の僕を向いて言った。

「君、遥斗くん。小さい時に、お父さんを亡くして辛かったね。おじさんも、小さい時に大切な家族を亡くしたんだ。すごく辛かったから、よくわかるよ」

おじさんは、僕の目をまっすぐ見ていた。思えば、ちゃんと目を合わせて言葉をかわしたのは初めてだ。

「いや、僕は......。小さいころの話だから、正直、覚えていることも少ないし。たぶん、そんなにダメージを受けていないほうだよ。母さんに比べれば平気なほうだ。ただ、覚えていないということがつらい。写真をみれば抱きしめてくれていることも、愛情をかけて育ててくれたこともわかるんだけど、実際は、顔も、体つきも、声も、全然覚えていないんだ。会って、顔を見て、声を聞いてみたいんだ。ずっとずっと、会いたいんだよ」

気づけば涙が涙が流れていた。中二にもなって人前で泣くのは恥ずかしいと思って、すぐに涙をこらえようとした。しかしその瞬間、母さんが僕を抱きしめ、「会いたいね、そうだよね。母さんも、会いたい」と泣きながら言った。母さんの細い腕に包まれて、もう僕はこらえられず、わんわん泣いてしまった。涙を止めることはできなかった。

金村も、画家のおじさんも、トロルも、こたつ越しに、僕と母さんの肩を叩いた。変な組み合わせの僕たちは、まるで絆を深め合うかのように、抱き合った。

「ありがとう」

僕は、ぽつりとつぶやくようにお礼を言った。

すると、画家のおじさんが話し始めた。

「正直に言うと、僕は、君たちに出会ってから戸惑ってばかりだった。遠いアジアの国の子供たちに初めて出会ったものだから、どう接すればいいのかわからなかったんだ。しかし、お父さんが亡くなった話は、とても悲しい話だけど、私には親近感がわいたし、励ましたいと思ったんだ」

僕は、涙をぬぐってうなずいた。

「人生は、悲しいこともたくさんある。私は君たちよりずっと年上だけど、いまだに悩むこともあるくらいだ。なにより、これまでずっと人生に絶望して生きてきて、この年になって、やっと希望が見えてきたところだから......。私の話も、聞いてくれないかい?」

画家のおじさんは僕たちを見回して問いかけた。僕たちは、無言で頷いた。

「私は、幼い頃に母を亡くし、姉も病に倒れた。死というのは、小さい頃からとても身近だった。死は、不気味な影のように、自分について回ってくる気がしたんだ。

やがて私は絵を描くようになった。自分の見てきた世界を、想いを、一生懸命込めてたくさんの絵を描いてきた。

人々は、私の絵を見て『暗い』とか『病んでいる』とか言ってきた。それが、私の目に映っていた世界だったんだ。他人から見て暗くて病んでいる世界が、私の世界だった。

病気の治療を頑張ったり、いろいろな人との出会ったり、長い人生を経て、私の目に、だんだん光が入ってくるようになった。人生の暗い部分しか見えなかったこの目が、懸命に日々を生きる人々や、いつの時代も照らしてくれる太陽を、追うようになったんだ。なんだか、これまで描いてきた絵と違う絵を描ける気がする。そんな気がしている。そうして太陽の絵を描き始めたとき、時空にとらわれ、あなた達と出会った。

時代も国も違うけれど、こうして語り合うと、分かりあえることも出てくるね。とても不思議な体験だ。これが、どう絵に生きるのか、人生に生きるのかわからない。なにより、この時空を超えた旅は、終われば、記憶がなくなってしまうんだろう?」

おじさんはトロルの方へ聞いた。

「ええ、そうです。すべての記憶はなくなります」

トロルはそう答えた。

「私トロルは、時空を超えたこの旅の見張り役です。歴史が変わらないように、今回の旅は、なるべく人に知られないようにしなくてはなりません。画家のおじさまと私トロルの存在も、このできごともすべて、秘密にしなくてはいけません。ですから、旅の途中で誰か他の人に話したりしないように私が見張り、旅が終われば皆さまの記憶を消します」

トロルはそう説明した。すると母さんは「なるほどね」とうなずいた。

「記憶が消されてしまうのは寂しいけれど、初対面で、しかも、どうせ記憶がなくなってしまうからこそ、辛かったことも正直に話せるってものね。少なくとも私は、話を聞いてもらえて、気持ちがスッキリしたわ。亡くなった夫の話なんて、なかなか人に話せないから」

母さんは、

「金村くんはどう?何か、話してみたいことはある?無理に話すことはないけど」

金村は、ためらい、うつむいた。

その瞬間、ピンポーン、と、インターホンが鳴った。

インターホンには金村の母さんが映っていた。

「げ、母さんだ」

金村は、うげえ、と嫌そうな顔をした。僕の母さんは急いで立ち上がり、一階の玄関に降りていった。

僕は、存在を知られてはいけない画家のおじさんとトロルを、とにかく見られないようにしなければ、と緊張した。そして玄関を映すインターホンの映像をドキドキしながら見守った。


「すみません。年越しに息子がお邪魔して。ご迷惑をおかけします」

金村の母さんは、見たこともない派手な毛皮のコートを着て、大昔の女優のようなつばの広い帽子をかぶっていた。

「これ、もしよろしかったら、お召し上がりください。息子に出す予定だった、年越しそばと、おせちです。一人前しかありませんが、息子が独り占めせず、皆さんへも分け合うように言ってくださいね。貧しい人へ分け与えるのも、教育と考えていますから」

金村の母さんは、そう言って木の箱を二箱、差し出した。手にはギラギラする指輪をたくさんつけているのが、映像越しにもよくわかった。

「まあ、わざわざすみません」

母さんは、ペコペコ頭を下げて受け取った。


そうして金村の母さんと少し立ち話をして、母さんはまた、二階に上がってきた。

「年越しそばとおせちをいただいちゃったわ。金村くん、独り占めしないでみんなでわけてって。お母様、いつもお綺麗にしているから、こんなボサボサで出て恥ずかしくなっちゃったわ」

「そんなことないっすよ。やばい母親ですよ、あいつ」

金村は口をとがらせて言った。

「さっきだって、「貧しい人に分け与える」って、かなり失礼なことですよね。すみません、貧乏、なんて他人に言うものじゃないのに。きっと、どれだけ豪華なそばとおせちを食べているか、見せつけに来たんだと思う。服も帽子も、あんな派手なの身につけて。うちの家族は全員、プライドが高くて性格が悪いんです。もう、家にいると疲れるんだ」

金村は、金村の母さんが持ってきた木箱にデコピンした。

「俺は、お金のある家に生まれてよかったと思うこともある。お金があることは両親のおかげだし、育ててくれて感謝もしている。それは本当だ。だけど、金があることがすべてじゃない。両親はとにかくプライドが高くて、人を見下すことしかしないんだ。

父さんは有名な会社で働いているけど、他の職業の人をとことん見下す最低なやつだよ。今朝だって、マンションの掃除のおばさんを見ながら、「お前はあんな仕事をするなよ」と僕に言ってきた。誰のおかげでマンションがきれいに保たれているか、少しも考えないんだ。母さんだってそうだ。道ですれ違う人の服装をみながら、「なんてみすぼらしいの。あれでよく平気ね」とか普通に言う。やばいやつだろ?

それに二人とも、「今まで子供に投資してきたお金を無駄にするな」って俺にしょっちゅう言うんだ。たしかに、お金をかけて育ててもらったよ。小さい頃からたくさん習い事をさせてもらったし、中学受験をするときの塾代も、今通っている私立の中学の学費も、かなりの金額だって知っている。でもそれは、俺が頼んだものじゃない。俺は、本当は、鈴浦とか他の奴と同じ、公立に行きたかったんだ。投資って言われたって、勝手に金かけて期待して、何がしたいんだよ」

金村はそう言って、こたつにつっぷした。

「でもさ、父さんが必死に働いてくれていることも知っている。良い給料をもらうために、信じられないくらいプレッシャーがかかること、知っているよ。それに、母さんだって、仕事ばかりで帰ってこない父さんを待ちながら、一人で俺を育ててくれたことも知っている。だからさ、嫌いになれないんだよ。いつもめちゃくちゃウザいし、人を見下している親なんて心の底から嫌いなんだけど、完全には嫌いになれないんだ。はやく自立して親から離れたいのに、親の金がなきゃ、生きていけないことも知っている」

金村は、「はあー、嫌になるよ」と深いため息をついた

「話してくれてありがとう」

母さんは、つっぷしたまま話す金村に優しく声をかけた。

「親の嫌なところが見えても、嫌いになれない。自立して離れたいのに、今もお世話になっている。それは、少なからず、みんなが持つ悩みよ。育ててくれた恩があるからね。みんな、そこに感謝している。それでも、許せないところがある。その気持ちは、正しいものよ。感謝と軽べつは、両立する。人は、百パーセント正しい人なんていないから。そして、百パーセント悪い人もいないからね。

人間は、とても多面的な生き物なの。良いところも悪いところも、少しずついろんなものを持ち合わせているのが人間なの。どんなに素晴らしい人にも、人を傷つけた過去があったり。どんなに悪く見える犯罪者も、子どもの頃は良い行いをしていたり。貧しくて、犯罪を犯さなくては食べていけないくらい追い詰められてしまう人もいるわよね。

その人を「良い人か悪い人か」なんて、なかなか決められるものじゃない。その人のことを「好きか嫌いか」なんて決めなくてもいい。その人の「その行動が」良いと思うか、悪いと思うかに注目すればいいのよ。例えば、ご両親の、「人を見下す」という行動を、悪いと思う。でも、「自分を育ててくれた」という行動には、感謝する。それでいいの。その人の行動だけに注目すればいい。感謝と軽べつを、両立させたままでいい」

母さんは、時々、名言めいたものを言う。僕も聞きながら、なるほどな、と思った。僕も昔、金村がうちのことを貧乏と言ってきた過去はなんとなく許せないままだ。それでも、何でも言い合えるようになった、今の金村は友達として大好きだ。許せない思い出と、許せるどころかむしろ好きな現在、どちらも両立していていいんだ。

金村は、顔を上げて、「ありがとうございます。なんとなく、納得しました」と答えた。そして、僕の肩を叩いて言った。

「鈴浦、俺はお前がうらやましかったよ。うちの親の考えでいえば、お前の家は、貧乏で恵まれない可哀想な家かもしれないけれど、お前のお母さんが笑顔で話しかけてくれることや、お父さんとの思い出を大切に持っていること、そういうところがすごくうらやましかった。でも、そんなうらやましく見えるお前の家も、いろいろ乗り越えてきたんだな」

へえ、と僕は思った。金村にそう思われているのは意外だった。

金村はしょっちゅう家族で旅行に行くし、この話を聞くまで、家族仲が良いと思っていた。金があって自由でいいな、なんて思っていた。僕から言わせれば金村のほうがうらやましかったんだ。たしかに、金村の父さんと母さんは、なんか近寄りがたい親だなとは思っていたけれど、言っていることを聞くと、一緒に暮らすのはストレスが溜まりそうだと思った。

「俺は、金があるお前がうらやましかったけど、お互い色々あるんだな」

僕はそう言って、金村の肩を叩いた。金村も、「おう、そうだよな。お互い色々あるよな」とうなずいた。

「あー。俺が成人していたら、酒でも飲んで酔っ払いてー!」

金村は、こたつに足を入れたまま、ゆかにゴロンと転がってダダをこねた。

「じゃあ、私の魔法で子供でも飲めるお酒を作ってあげる」

母さんはいたずらっぽく笑って言った。

「酔っぱらったみたいに楽しくなっちゃうお酒風ドリンク、「ふしぎなビール」は、いかが?」

「飲みたい!お願いします!」

「母さん最高!」

僕と金村は喜んでバンザイをし、画家のおじさんとトロルもにこにこ微笑んだ。


しばらくしてやってきたドリンクは、ビールのような見た目をしていた。金色の液体は炭酸のようにふつふつとした細かい泡が上に上がっていて、ジョッキから溢れそうになるくらい、フカフカの白い泡がのっかっている。

「じゃあ、かんぱーい!」

みんなでジョッキをがちゃんと鳴らして、一気に飲んだ。

そのドリンクは、苦いとも甘いとも言える、不思議な味をしていた。ゴクリとのどを通ると、のどが温かくなり、温かな液体が、胃に落ちていく様子が感じられた。バターのようなコクがある。しかしレモンのような酸味もある。塩のようなしょっぱさも、砂糖のような甘さもある。まさしく「ふしぎなビール」だ。

あっという間に体全体ぽかぽかと温かくなった。そしてだんだん、目が覚めてきて、楽しい気分になってきた。

「はあー!うまい!」

「うまいなあ。最高!」

うまいうまいとドリンクを楽しむ僕たちを見て、母さんは大笑いした。

「あなたたち、サラリーマンみたいね。これは忘年会だわ」

「忘年会ってなんですか」

トロルが聞いた。

「年末に、その年にあったことを振り返っておしゃべりして、愚痴を吐き出したら、嫌なことを全部忘れて楽しむ会よ。嫌なことは新年に持ち越さない。それが日本の年越しの決まりごとみたいなものね。忘年会も、初日の出を迎えるために必要な、日本の伝統だったわね。これも、初日の出のドロップスを作るのに必要な工程よ」

母さんは、飴を入れた白の器を優しくなでた。そして、飴の前と、父さんの写真を飾っている仏壇の前に、それぞれそのふしぎなビールをおそなえした。


金色に輝くそのべっこう飴、いや、初日の出のドロップスの元は、こたつに立てかけられて静かにテレビを観ている。その隣には、トロルと画家のおじさん、母さん座って、一緒にテレビを観て笑っている。

 やけにシュールなその空間に、僕はおかしくなって笑ってしまった。

「何笑ってんだよ」

酔っぱらって顔を赤くした金村は、すでにもう眠たいらしく薄目を開けて聞いてきた。

「だってほら、このメンツで、みんなでテレビ見て、シュールすぎる」 

僕は笑いながら言うと、ゲラゲラと金村も笑いだし、母さんも、画家のおじさんも、トロルも、みんなで大笑いした。


母さんは、金村のお母さんが持ってきた年越しそばをゆでて、みんなに出してくれた。一人前をみんなで分けて、しかも、飴にも仏壇にもおそなえしたから、一人分は味見程度しかない。

お腹が空いていた僕はさっそくいただいた。

そばは、つるりと口にすべり込んだ。口の中でもぐもぐかむと、ほどよく固く、かみごたえが十分だった。ゴクリと飲み込む瞬間まで、そばには存在感がある。こんなに美味しいそばを食べたことがなかった僕は、とても感動した。

「うんめえ!お前、こんな良いもの普段から食ってるのか」

僕は心底うらやましくなって金村に声をかけた。

「まあなー。最高級らしいよ。知らんけど」

金村はぶっきらぼうに答えた。

「これは食べ物なんですか?毛糸みたい」

画家のおじさんは、食べるのを嫌そうに、そばを観察していた。

「食べないならもらってもいいですか」

僕はとにかくお腹が空いていたので思わずそう言ってしまった。すると画家のおじさんはふふと笑った。

「はじめてこんな食べ物を見たから、びっくりしていただけだよ。正直、灰色の毛糸みたいな見た目で、とても美味しそうには見えなかったけれど。そんなに美味しいものなら、いただこうか」

おじさんは、つるりと口に入れてそばを完食し、「おお、面白い」と満足気に言った。

「あー!欲しいと言っている子供の前で、ずるい!」

「まあまあ。仏壇におそなえしたそばも、飴におそなえしたそばも、湯気が消えたら食べていいわ。それに、他にも買ってきたものあるから」

母さんは、あらかじめ買ってきてくれたスーパーの安い惣菜も足してテーブルに並べてくれた。そしてみんなで夕食をはじめた。

「いただきます!」

トロルも画家のおじさんも、僕たちを真似してぎこちなく手を合わせて食事をする。おなかが空いていた僕たちは、待ち望んでいた食事を夢中でかきこんだ。


テレビに映る歌番組は、終盤にさしかかり、今年流行ったというアイドルのパフォーマンスを映しだした。

「ほう、可愛らしいですね」

 トロルは、テレビのステージに出てきた男性アイドルグループを見てそう言った。

「元気な子供たちだ」

画家のおじさんもそう言って頷いている。

「子供っていっても、この子たちもう三十歳前後よ」

 母さんが笑って突っ込むと、トロルはただでさえ大きい目をさらに見開いて口を開けた。

「信じられない。日本人は、いい大人さえも子供っぽく見える。ここにいる少年二人のほうが老けて見える」

「うるさいな」

 僕と金村は同時にツッコんだ。母さんは大笑いし、またみんなでゲラゲラ笑った。

くだらないことでみんなで大笑いしてテレビを見る。こんなにぎやかな年越しは、僕の記憶には無い。

 色とりどりの豪華な着物とステージ。こたつの心地よい温かさと、みんなで囲む安心感。心のわだかまりを話したあとのスッキリした気持ち。これらがまざりあって、僕はとても居心地がいいと思った。心にポジティブなエネルギーを流し込まれたようだった。


「さて。除夜の鐘を聞きに、神社に行きましょうか」

夜も深まった頃、母さんは、みんなに声をかけた。すっかりリラックスしてこたつでゴロゴロしていた僕たちは、「ええ、外は寒いからここで過ごそうよ」と言ったが、母さんは首を横に振った。

「初日の出のドロップスを作るために、神社に行き、外の年越しの空気を味わうことは欠かせないわ。さあ、みんなで行きましょう。ただし、トロルと、画家のおじさまは、正体がバレないように気をつけなくては。金村くん、遥斗、ミッションよ。トロルと画家のおじさまの変装道具を探してきて」

ミッション、と言われると、なんだか楽しそうな気がしてしまう。バレないようにどうやって変装させようか。僕と金村は目を見合わせてニヤッとして、僕の部屋へ、変装に使えるものを探しに出かけた。

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