8話 幸せの仮止め
混沌とした深夜のクラブ。薄氷達は、「パワーストーン」という店内でひっそりと佇んでいた。無数のスポットライトが交差し、人々が踊り狂っている。ワイングラスの触れる音、男性の甲高い声。七彩は、全員の視線を吸収している天井のアーティストとして、吊るされていた。彼は、お客様に聴覚や視覚の衝撃をもたらし、舞台照明のような雰囲気を作る仕事をしている。そんな七彩を薄氷は下から眺める。変わった職業もあるということに驚き、とてもダンスをする気になれなかった。
「釦君、アイス食べる?」
蓮根がはにかんだ笑顔で、アイスを渡してきた。
「ありがとう。また、アイスを塗ってくれる?」
「もちろん」
蓮根はアイスを傘全体に塗っていた。傘には口がないため、傘全体に塗りつけることで、食べ物を吸収して味わっている。こうやって蓮根が何の抵抗もなく、傘に食べ物を渡すのは、普段の兄との付き合いで慣れているからである。
「釦君は、凄いよね。貴方が、傘専門の認定試験を受けたいとか言ってた時、びっくりしちゃった。人間や他の物品になりたいとか思わないの?」
蓮根は薄氷に囁くように言った。蓮根は純粋に知りたかった。人間不適合を受け入れて、傘人生を送る理由を。何がそこまで彼を駆り立てるのか分からなかった。
「思わないよ。僕は傘の人生を歩みたい」
「どうして?」
薄氷は考え込んだ。思い立ったのが忘れ物センターの件であることは間違いないのだが。
「自分の機能性が良くなった後、もう一度渦雷さんに会って見返してやりたいんだ」
薄氷は、心の何処かで渦雷にまた会えるかもしれないと期待していた。
「そうなんだ。渦雷さんの所に行ったら、また貴方が傷だらけになるかもしれないよ」
「心配には及ばないよ」
「でも、今度会ったら何されるか分からないよ。渦雷さんは立派な職業の人ではあるけど、渦雷さんの機嫌を損ねたら、貴方が焼却処分されるかもしれない」
「そうなんだ。七彩が言ってたリサイクルもできないの?」
「渦雷さんがリサイクルするかどうかは、損傷のレベルではなく、好感度次第だから、分からないの」
「え?七彩は渦雷さんに好かれてるの?」
「うん。兄さんは渦雷さんの恩人なの」
薄氷は、あまりうれしそうに話さない蓮根に違和感を抱いた。話を深掘りしないほうがいいかもしれない。
「あなたに何か身の危険が及ぶようであれば、私が貴方を買うから!薬をいっぱい使って修理もする!あのリサイクル法は良くないから、あなたを巻き込みたくない」
蓮根の声は、後半から大音量のEDМにかき消されていく。すっかり自信を無くしてしまい、身を捩らせた。
「ありがとう。優しいね」
「別に優しくない。兄さんと同じ目に遭ってほしくないんだ。もう後悔したくない」
「七彩に何があったのかちゃんと知らないけど、まだ手遅れではないと思う。今から何ができるのか二人で考えよう」
薄氷は立ち上がる。何の根拠もない自信が、クラブのEDМと重なる。
「今から僕と踊りませんか」
薄氷は差し伸べる手が無いため、体を蓮根に傾ける。
「うん」
二人は夜の音に身を任せ、互いに絡まり合っていた。七彩も天井から二人を凝視する。ある事件が三人を離すまで刹那的な多幸感に包まれていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます