第三章 摩擦帯電

9話 一縷の望み

 七彩ななせが、薄氷うすらいをナイトクラブに連れてきてから、数週間が経った。あれから三人で日々を共にした。七彩は、薄氷の試験勉強の為に防水性能のあるテキストを買い、傘の応急処置も済ませた。家で集中力のない薄氷をナイトクラブ(仕事場)に連れていき、蓮根はすねの監視付きで冷凍室での勉強もさせていた。

 今日もまた、長い夜が始まる。七彩は、ナイトクラブの更衣室でため息をつく。現場に行くと、常連客であるシャンパン頭の男が、シャンパンを床に撒き散らしていた。パンの香りのようなものが床にこびりつく。本人は酔っていてそれに気付かず踊り続ける。周りの客のクレームを受けた上司は、彼を止めるために七彩を呼んだ。


「昨日は上で十分輝いたろ。今日は、下。床のモップ拭きを頼む」


 上司のはっきりした声。七彩は一礼すると、ミラーボールを天井から外し、手にしたモップに光を移した。静かに、しかし確実に、仕事は切り替わっていた。重低音が全身を叩きつける。踊り子の振動で、視界がぶれて見えた。


「帰りたい」


 七彩は、就業時間を全てモップの床拭きに費やした。棒からモップ替糸をとる。外の物干しに掛けるために廊下を歩く。静まり返った空間に佇んでいる扉の取っ手に手をかける。扉を開けると、ミラーボール頭に纏わりつくような湿気と大粒の雫が七彩を襲った。手に絡みつくモップ糸をはらいながら、愚痴をこぼす。

 七彩には代わりがいる。それは、ライティングレール式のミラーボール人間だった。吊り下げ式の自分とは違い、取り付けや取り外しをされるのが簡単であるため、上司や周りのスタッフから重宝されていた。機能性や見た目は自分と互角。なにより、心の安定性が素晴らしく、メンテナンスの手間がかからない。七彩は頭のヒビの入った部分を撫でる。


「早く月末が来ないかな」


 七彩は独りごちた。今の自分が嫌いだった。頭痛も肩こりもひどい。仕事中のEDМは雑音のようだ。月末が来れば渦雷のところに行って死ぬことができる。心も身体も再生を待ち望んでいた。渦雷の暴力性にも本当は気付いていた。

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