6. 輝夜の覚悟

知っているひと

「輝夜様」


 部屋に入ってくるなり自分を呼んだ、テトラの低い声。彼に目を向けると茶色い目は躊躇いがちに逸らされた。何か後ろめたいことでもあるようだ。輝夜が素直に頷くと、その細い首元で無骨な鎖が不気味な音を立てて揺れた。テトラの次の言葉を待つ。


「……魔物が四体出たそうで、討伐命令が出ました。今度は、全て始末するようにと」


 輝夜は無言で、顎を引く。


 テトラが輝夜の鎖をひいて、風呂に入りにいく時と同じように一般のものからは鎖を隠しながら移動して、馬車に乗り込む。黒い布で窓を覆った馬車が揺れ始めたところで、テトラが口を開く。


「おれ、死にたくはないです」


「……うん」


 輝夜がうつむいて応える。

 勇者輝夜おいた・・・が過ぎたために、次になにかトラブルを起こしたら、テトラを殺すと脅されている。

 輝夜は全然納得がいっていないけれど、ひとりの力でこの状況が覆せるわけでもなく、今はおとなしくするしかない。


 砂利が散らばった床の上で、テトラの靴先がもぞりと動く。


「でもおれ、おれ一人が死なないために、何匹もの魔物を殺してくれっていうのも違う気がするんです」


「……うん。でもぼくは、殺すよ。だって、ぼく、勇者なんだ。暗夜が大事に思っているきみをぼくのわがままで傷つけるなんて、もうしないよ」


 膝の上で、輝夜が小さな手をぎゅっと握りこむ。雑踏の中を馬車が駆ける激しい音と、賑やかな喧騒が外から聞こえる。


「ぼくは間違ってたんだ。なんの苦しみもなく、自分の理想が押し通せるなんて、そんなわけないのに。自分の理想を叶えるためには、自分も苦しんで、少しくらい、他の誰かも犠牲にしないといけないんだ」


 自分に言い聞かせるように言う。息を吐いて、唇を噛む。


「だからぼくは……」


 うつむく。これから自分がやろうとしていることは、自分の倫理観に反することだ。テトラを死なせないために、他の魔物の命を奪う。残酷な選択だ。けれどその結果は、輝夜が選ばなくても訪れる。今までだってきっと、輝夜が選ばなかった代わりに他の誰かが選んで、責任を負って、輝夜だけが守られて生きてきた。

 自分の理想を叶えるためには、自分で選んで、自分自身で行動して、自分自身が苦しまなければいけないのに。


 手が震える。自分の体を抱くように、外套の端を掴んで身体に巻き付ける。自分の向かいに座ったテトラの顔は見えなかった。



 輝夜とテトラは、広い草原のようなところで降ろされた。今朝、このあたりで魔物を見かけたらしい。もうそろそろ雪が降る時期だというのに草はらは青々としていて、輝夜の膝下まで伸びた草の先がズボンとブーツの境目を擦る。こんなに見晴らしのいいところに、なぜ魔物が四体もいたのだろうか。壁の外で魔物が集団でいることはほどんどないらしい。大体の場合単独で暮らしている彼らがあまり目撃されないのも、彼らが人間たちから隠れて生きているからに他ならない。――なんだか、変な感じがする。


 テトラと目を見合わせて、草に膝を撫でられながら進む。しばらく歩いても景色に変化はない。大きな魔物もいたというけれど、このろくに食料もなさそうな場所に、なんの用があるのだろうか。馬車がごま粒みたいに小さくなるほど遠くまで歩いたところで、草むらの中から、小柄な魔物が飛び出してきた。


「うわっ」


 輝夜よりももっと小柄な、ほとんど猫のような見た目をした魔物だった。鋭い爪に引っ掻かれて、輝夜の白い頬に赤い線が走る。血が垂れて、細い顎を伝って空を舞う。輝夜の眼前に着地した錆色の猫は、猫にしては随分と大きかった。喉の奥から繰り返し奇妙な音を鳴らして、どうやら輝夜を威嚇しているようだった。


 まともに開いていない片目と、こちらを射抜くように見開かれたもう片方の眼。天高く抜けるような青い瞳に見つめられて、輝夜は一歩、後ずさった。


「きみ……パン屋のナルンさんのとこの……?」


 彼女は確か、三年ほど前に大柄な人間の男と一緒に壁の中にきた魔物だ。壁の外でパン作りを趣味としていたナルンはそれを生かしてパン屋になって、彼女はいつも、彼の足元で靴紐にじゃれついたりしていた。彼女は喋れないけれど、言葉は理解しているし、人間と同じように思考もする。輝夜の言葉を聞いた彼女は眉山を下げて、軽い動きで跳ね飛んで後退した。


 彼女の声を合図にしたのかもしれない。草はらの遠く、ばらばらの位置から草を分ける音が聞こえてきて、あっという間に輝夜とテトラは囲まれた。左右にいるふたりのことはわからないけれど、後方にいる体毛の濃い人型の魔物は、何度か街で見かけたことがある。おそらく彼らは、壁の中からきている。何を理由になぜ来ているのかはわからないけれど、壁の中で、何か良くないことが起こっているような気がする。


「誰に言われてここに来たの?」


 輝夜の問いに返ってきたのは、日光を浴びて鋭く光る閃光だった。反射的に抜いた剣で、右側からの攻めを受ける。後ろから振りかぶられた拳を避けながら剣を躱して、開いた左手でテトラの腕を掴んで引いた。長身の彼を半ば引きずるようにして後退して、四にんから距離を取る。「後ろにいて」テトラに小さな声で指示を出す。彼の方は見なかったが、無言で頷いたのが気配でわかる。後ろで剣を鞘から引き抜く音がした。


 最初に動いたのは、全身を灰色の羽毛で覆われた魔物だった。鳥類に近い体を持つ魔物の中には空を飛べるものもいるけれど、彼の小さな羽は空を飛べそうには見えなかった。ゆったりと下半身を覆うズボンから露出しているのは、鋭い爪が生えた足先。その足先が、輝夜の目の前で振り上げられた。

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