死ぬ覚悟

 盾の国に来てから四回目の朝。その日初めて、輝夜は穏やかな目覚めに迎えられてベッドから起き上がった。


「調子はどうですか?」


 一度輝夜を起こしに来た後、食事を持って再びやってきたテトラが、トレイに乗った食事をテーブルに置きながら言った。一緒に食べたいと輝夜がわがままを言ったので、彼が持ってきた食事はふたり分だ。

 暖かい朝餉あさげの匂いに目を細めて、輝夜は冷たい石の床に素足をつけた。冷たくて、一瞬つま先を跳ねさせてから着地する。


「見ての通りだよ。まだ痛い」


 服の襟首を広げて鎖骨の下の青あざをテトラに見せつけると、彼は眉間に皺を寄せてあざを凝視してから、気まずそうな目つきをテーブルに置かれたパンに向けた。


 彼は輝夜のことを“女の子”として扱おうとしてくれている。しかし、扱い方がよくわからず、辟易しているようだ。全員男の五人兄弟の中で大人になるまで過ごしていたらしいので、女の子と関わる機会がなかったのだろう。今までの雑な扱いからの急な“女の子”扱いがなんだか歯痒くて、暗夜に接するように接してほしいと輝夜は思うのだが、一度輝夜のことを女の子だと認識してしまった以上は覆らない。


 息を吐いて、輝夜はテーブルの上に目をやる。

 キッシュ、というらしい。パイ生地にしょっぱい卵と野菜をみっちり詰めて焼き上げた料理。断面がブロッコリーの緑とにんじんのオレンジで賑やかな色をしている。ミルクのスープとキッシュのどちらから先に手をつけるか迷ってテーブルの上で視線をうろうろさせている輝夜の目の前で、テトラが大きな手でパンをちぎっている。一つしかないパンの半分を輝夜に差し出して、テトラが口を開いた。


「食べたら風呂行きますか。今の時間なら空いてますよ」


 突然問いかけられて、輝夜は目を丸くしてテトラの目を見た。手に持ったフォークをふらりと揺らすと、フォークに刺さったキッシュのかけらがぽろりと皿に落ちる。


「ああ、うん。ぼく、出歩いて大丈夫?」


「おれがついてれば大丈夫です。ただ今日からしばらく、トーア様が帰ってきているので……」


 歯切れ悪く返したテトラに向けて首を傾げる輝夜。


「トーア様って? 悪い人?」


「悪い……まあ、暗夜様と相性は悪いですね」


 言い淀んで、テトラは瞳の中で虹彩を一回転させてから輝夜の目に視線を戻す。


「……その、キーナ様の弟でして。兄様を殺したお前を許さないと」


「あー。向こうにもいるよ。そういうひと」


 輝夜は遠い目をして、砂色の髪の少年を思い出していた。最近は輝夜がおとなしくしていれば突っかかってはこないけれど、いつもすごい形相で睨まれる。結構気の短いところのある暗夜と遭ってしまったら、とんでもない喧嘩になってしまうかもしれない。そんなところまで気が回らないうちに、暗夜に魔王を貸してしまった。輝夜は頭を振って、ため息をつきながらパンを齧る。

 少し前に輝夜含む次期王教育のための定例の集まりがあったはずだ。もめたりしていないといいけれど。――いや、盾の国に来てからたびたび大暴れして揉め事を起こしまくっている輝夜がそんなことを心配するのはフェアじゃない気がする。輝夜は首を振って、口の中のパンを飲み込んだ。


「おいしかった!」


「じゃあ風呂入りにいきましょう」


「あ、うん」


 輝夜の返答を待たずに彼はベッドを持ち上げて、輝夜につけられた首輪から伸びる鎖を手にとった。輝夜は彼を一瞥して、たんすの上から着替えの入った袋を取る。


 部屋を出て、首から伸びた鎖をじゃらじゃら鳴らしながら歩く。これはなんだか、とても恥ずかしいことのように思う。この城の輝夜達の部屋がある階は、王族やそれに近い重要な地位の者たちが住んでいるらしく、暗夜いわく、その殆どが勇者に対して敵対的らしい。つまり、暗夜に対するこの仕打ちを知っているということだ。なので輝夜のこの姿を見てもなんとも思わないのだろうが、他のものが見たらどう思うだろうか。


 鎖の端を持ったまま、こちらに気を使った速度で前を歩くテトラ。彼の背を追って歩く。途中すれ違う豪奢な服を着た者たちは、輝夜をまるで汚らわしいものを見るような目で見る。昨日は身体が痛すぎて風呂に入るどころではなく、濡れた布で拭いて着替えはしたけれど、輝夜が今汚いのは事実ではあるのだが。


 城の一階に降りる直前で、テトラが首輪を外してくれた。これで見た目の異常さは薄れたけれど、テトラは相変わらず片手にまとめた長い鎖を持っていてなんだか物々しい。その後ろを着替えを持った自分が歩くのもなんだか変な気がする。ありもしない視線を感じて、輝夜はそっと唇を噛む。


 テトラの後を追って城の裏手から外に出ると、早朝の乾いた空気が輝夜の頬に触れた。


「ねえ、テトラくん。ごめんね」


 小さな声でぽつりとこぼした輝夜に、テトラの無遠慮な声がかかる。


「は? 何がですか?」


「ぼくのせいで、きみが安全に暮らせなくなっちゃった」


「あー。まあ、そうですね」


 テトラは平坦な声で肯定した。うつむく輝夜。テトラは彼女を一瞥して、再び口を開く。


「おれがなんで従者に志願したかって言うと、勇者になりたかったけどなれなかったからなんですよ」


 突然脈絡のない話を始めたテトラ。輝夜は目をしばたかせた。


「えっ、ああ、そうなんだ?」


「おれは腕っぷしも弱いし、第一、もうすでに暗夜様が勇者だったんで、おれは勇者になれなかった。――おれが強かったら、魔物なんか全員ぶちのめして世界を平和にできるのにって思ってた」


 自嘲するような声で、テトラが笑う。輝夜の数歩先を歩く長身の彼が、足を止めて振り返った。


「ただ、暗夜様の従者になってから、それもなんか違うのかなって。人間にも悪いヤツ、腐るほどいるし。

 ――あんたを見てると余計に迷う」


 うつむいた彼の顔を輝夜が見上げると、テトラは目が合った途端に気まずそうに表情を崩した。足元に視線を落としたテトラの靴底が、乾いた砂をにじってさりさりと音を立てる。


「あー、その。何が言いたいかっていうと。気にしないでいいです。間違ってるのはあんたじゃない。それにおれ、何かあって死ぬかもしれないのは覚悟して来てるので」


「でも、それ、戦って死ぬ覚悟でしょ? 人間に殺される覚悟じゃないでしょ」


「どっちも一緒じゃないですか? それよりさっさと風呂入ってきてくださいよ」


 虫でも払うような仕草をされて、輝夜はぶすくれた顔をして彼に背を向けた。

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