様子のおかしいやつ


 テトラの予想通り、見回りのごつい甲冑が部屋に入ってきたのは、彼が去ってからしばらくも経たないうちのことだった。彼は大分と、様子がおかしかった。


 無遠慮に扉を開けて入ってきた彼は、昨日来た奴らよりも背が高くて圧迫感がある。その彼が、輝夜の目の前に無言で立っている。


「……あの」


 輝夜が口を開くが、返事はない。彼らはそういうルールの元に働いているのかもしれない。昨日もその前も、彼らが喋っているのを見たことがない。


 彼は無言でこちらに布が掛かったトレーを差し出してくる。輝夜がその布を外すと、そこには食事が乗っていた。いつもの小さなパンひとつよりも大分と豪華で、大きめのパンがひとつと小さな肉がふた欠片と、大きめに切られたりんごがひとつ。輝夜は思わず、自分よりも遥かに高い位置にある甲冑の顔を見た。


 兜に隠れて顔の全貌はよくわからない。兜の所々には凝った彫りや装飾が付けられていて、顔の前面を覆う面頬は盾を模した形をしている。その面頬に縦に開けられた数本の穴から、どこかで見たことがあるような、既視感のある目が覗いていた。輝夜と目が合うと、彼の黒い目はふわふわと左右にさまよう。


 トレーのふちでそっと腹を押されて、促された輝夜はそれを受け取って机に置いた。椅子に座る。ちらりと甲冑を見る。彼はこちらに顔を向けたまま微動だにせず、直立している。


「あの、食べても……?」


 輝夜が問う。彼は無言でうなずいた。彼の小さな動きにつられて、鎧が擦れて大仰な金属音を立てた。


 なんとなく、音を殺してパンを口にする。再び甲冑に視線を送ると、相変わらず彼は無言でこちらを見ている。


「……あの、見てなきゃいけないなら、座りますか……?」


 輝夜が対面に置かれた空の椅子を手で指す。面頬に隠されて輝夜にはいまいち判別できなかったけれど、わずかに目元が動いた気がした。


 がしゃがしゃと音を立てて、彼が椅子に近づいてくる。なんだか動きがおかしい。甲冑を着て過ごし慣れていないような、そんなぎこちない動きだ。




 深く椅子に掛けようとして、胴鎧の裾が椅子の背に当たったらしく、派手な音を立てて彼の動きが止まる。そっと椅子の背から身体を離して、恐る恐る座り直す。なんとか座ることに成功すると、彼はこちらに身を乗り出して、テーブルに肘をついてこちらを見てくる。顔が近い。あまりにも不気味だ。


 目の前から発せられる妙な圧迫感のせいで、味がしない。パンを食べ終え、輝夜はまた彼に視線を送る。


 輝夜が彼の目を見ると、一瞬そらされて、すぐにまっすぐに見つめ返される。二人とも無言で見つめ合って数秒。居心地が悪くなった輝夜の方から目を逸らした。


「これはなんのお肉ですか?」


 輝夜の声を受けて、面頬の奥で彼が眉根を寄せた。人間にとっては食べる肉の種類なんかどうでもいいのかもしれないけれど、魔物にとってはそうではない。ひとによっては、特定の種類の肉は食べないとか、そもそも肉は食べないとか、そういう主義を持っていたりするのだ。輝夜は出されるものならどんな生き物の肉でも食べるけれど、肉が出てきたりすることもあるので、その肉の出自は毎回確認している。


「あっ、ごめんなさい」


 おそらく喋ってはいけないであろう彼に返答を求める問いをしたことを謝る。りんごを一口。


「それは、牛肉だ」


 陶器のようになめらかで、硬質な低い声。輝夜は目を丸くして顔を上げた。彼の目はあらかじめ他所を向いていて、その目が合うことはなかった。


「ああ、牛肉……」


 皿の上の牛肉に目を落とす。視線を上げると、こちらに向けられていた彼の目が不自然に上を向いた。


 トレーに置かれたフォークを手に取って、牛肉を一欠片放り込む。味を感じないのは、味付けが薄いのか、変なやつに監視されているからか、どちらだろうか。


 輝夜はとりあえず、彼を一切気にかけないことにした。


 肉とりんごを無心で頬張って、水を飲み干してトレーに置く。肉が出た食後にいつもそうしているように胸の前で手を組み合わせ、

「次のせ――」


 祈りの言葉を口にしかけて、止めた。いつだったかに誰かが、人間は食後に祈らないのだと言っていた。


 輝夜は手を組み合わせたまま、頭を垂れた。


「おいしかったです」


 目の前で、金属音がした。顔を上げると、甲冑がゆっくりとした動きでうなずいたのが見えた。彼はトレーを手元に引いて、テーブルの端に寄せてから立ち上がる。もたもたとした動きで激しい金属音を鳴らしながら、輝夜の眼前に立つ。輝夜はそのあまりにも近い距離に辟易して、面頬に覆われてつるっとしたフォルムをしている顎先を見上げた。


 ぎぎぎぎぎ……輝夜が今までに見た甲冑騎士たちからは聞いたこともない音がして、彼はゆっくりと上体を下ろしてくる。輝夜の顔に影が落ちる。


 金属製の指先が近づいてくる。顎を掴まれた。装甲の手のひら側は金属で覆われていないようで、冷たい金属の感触と同時に、革か何かの柔らかくてしっとりした感触を頬に感じる。


 彼の顔が、近づいてくる。鉄格子のような面頬の奥からのぞく、いやに真剣な目。


 もしかしたら彼は、暗夜の恋人なのかもしれない。人間が同性の恋人を持つことはあまりないと聞いたが、暗夜は例外なのかもしれない。急なことに輝夜は目を白黒とさせて、覚悟を決めて目を閉じた。


「暗夜」


 さらさらとした、耳障りのいい声。その声を、無遠慮に開かれたドアの音が半分に割った。ドアの向こうから、テトラの声が飛び込んでくる。


「暗夜様、出かける支度を――」


 慌ただしい気配がしてテトラが部屋に入ってきた。輝夜は目を見開いてのけぞって、眼前の彼の胴鎧から顔をのぞかせた。


 テトラは困惑した顔をしてこちらを見ている。きっと輝夜も彼と同じ顔をしているだろう。テトラがそっと、腰に帯びた剣に手を掛けた。


「何してるんですか?」


 ぎぎぎぎぎ……甲冑が不気味な動作で立ち上がり、テトラに向き直る。


「まてテトラ、わたしだ」


「レーデ様……?」


「ああ」


 レーデと呼ばれた甲冑が涼しい声を返すと、テトラは険しい表情をした。


「それで、何をしているんですか?」


 テトラの声が、剣呑な色をはらんでいる。輝夜は少し椅子をずらして、二人の様子がわかるように座り直した。


「なんだっていいだろう。君には関係ない」


 レーデの声色も、テトラに共鳴するように鋭いものに変わる。甲冑の関節部分からこの世の終わりみたいな音をかき鳴らしながら彼はテトラの側へ寄る。もともとの身長も高いのだろうが、甲冑のせいでさらに背が盛られて、人間にしては背の高いテトラよりも視線の位置が高く見える。


「おれは暗夜様の従者です。関係ないこと、ありますか?」


「……」


 レーデは何も言わなかった。静かにため息をついて、顔だけで振り向いて輝夜を見た。二人のやり取りを蚊帳の外で見ていた輝夜は背筋を正して、大きく広がった目でレーデに視線を返して、それからテトラに視線を送る。


「暗夜様」


 テトラの声。彼に向かって歩き始めた輝夜に、地を這うような低い声で彼は続けた。


「今回の処罰が決まりまして……処刑と明日までの拘束で許すと」


「えっ」


 輝夜は気の抜けた声を上げた。


「君を、じゃないよ。君が執行するんだ」


 レーデがそっと輝夜に言葉を投げる。自分よりも高い位置にある面頬を見上げて、輝夜はふらりと頭を揺らした。


「これに着替えてください」


 テトラが畳まれた服をこちらに差し出してきた。白地に金色のラインがあしらわれた服。専用の礼服だろうか。


 壁の国にも罪人を処刑する制度はあって、輝夜も魔王として毎回立ち会っている。その執行と輝夜への処罰というのがいまいち結びつかないけれど、輝夜は素直にテトラからそれを受け取った。


「昼前に迎えに来るので、それまでに準備しておいてください」


 それだけいうと、テトラはレーデを鋭い目で見やってから踵を返した。そっと扉を閉める音に続いて、彼の足跡がどこか遠くへと去っていく。


 レーデと二人で部屋に残された輝夜は、ぼんやりとした顔で彼の金属質な顔を見上げた。彼の墨色の目と、目が合う。


「今はゆっくり休むといい。君なら大丈夫だとは思うが、怪我しないようにな」


 ごつい手でぽすぽすと頭頂を叩かれる。結構雑な叩き方に感じて、飼い犬のような扱いに感じた輝夜は彼の金属質な頭を半眼で見上げる。目が合うと、彼の黒い目が、降りてきたまぶたに隠れた。それから、ようやく歩き始めてまもない幼児のようにおぼつかない足取りでドアの方へ向かうと、派手な音を立てながらよちよちと部屋を後にした。


 輝夜は静かに、ため息をつく。


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