CQD

 夕の茜に染まる、白い肌。輝夜の素肌を見るなりうろたえて後ずさった暗夜。彼のはだけた着衣の隙間からのぞく傷だらけの胸元と腹は、確かに輝夜のそれとは違った隆起の仕方をしていた。暗夜の目の端がきゅっと吊り上がって、輝夜の目をにらみつけてくる。


「見たらわかるだろ!」


「わかんないよ! だってきみ、ぼくとおんなじ顔なんだもん! きみもぼくと一緒だと思ったんだよ」


 輝夜も暗夜に声を荒らげて返す。暗夜からはまた大きな声が返ってくる。



「服着ろ、バカ」


「バカって言うな〜!」


「来んなバカ、服着ろって」


 輝夜はあまりにも控えめな胸をあらわにしたまま、両手を掴みかかるように上げて暗夜ににじりよる。暗夜はじりじりと後ずさりしたが、足元の石ころにつまずいて尻もちをついた。腹の傷口が開いて、赤い血が溢れて腹をつたう。


「ああ、傷が」


 輝夜が呟いて、ひざまずくように姿勢を低くした。暗夜の傷口に、輝夜の影が落ちる。月の影になった輝夜を見る暗夜の表情が、変わった。彼女のあられもない姿を咎めるそれから、怯えと恐怖をはらんだそれへと。


 地面に尻をつけたまま、暗夜が後ずさりをする。左手でなにか地面を探るような動きをしながら、早い呼吸を繰り返して目を泳がせる。


「暗夜……?」


 輝夜が、眉根を寄せた。地面に膝をつけた姿勢のまま、一歩暗夜へと歩み寄る。「うわっ」顔面へ向けて暗夜の蹴りが飛んできたのを寸前で避ける。


 もう一歩、輝夜が暗夜に近寄る。暗夜は動きを止めた。泳いでいた暗夜の目が、輝夜を真っ直ぐに捉えて止まる。その目はいやに据わっていた。不意に暗夜が動く。輝夜は彼の手を避けようとしたが叶わず、突き飛ばされて地面に尻もちをついた。


「暗夜」


 輝夜が鋭い声を放つ。暗夜は荒く短い息を繰り返して、何も言わずに輝夜の腹に乗った。腹を押さえられて、輝夜が低いうめき声をこぼす。暗夜が、チョーカーがつけられた輝夜の細い首に手をかけた。


「暗夜……」


 首を絞められて、輝夜は咳をしながら暗夜を見上げる。頭上から生ぬるい水滴が降ってきたことに驚いて、頭を左右に振った。


 身体の下の輝夜に向かってぼたぼたと涙をこぼしながら、暗夜がなにか、小さな声で誰かの名前を呼んだ。


「キーナ……僕じゃない、僕じゃない、僕は」


 輝夜が暗夜の頬を触る。彼女のひんやりとした手で触れられて、暗夜の黒目は弾かれたように跳ねて、現実輝夜を見た。暗夜の力が緩んで、滞っていた血流が頭に流れ込んできた輝夜はくらくらとしながら咳き込む。


「暗夜、大丈夫?」


「あぁ……ごめん、輝夜」


 のろのろとした動きで輝夜から離れた暗夜は、輝夜に背を向けて、自分の着衣を脱いで輝夜に後ろ手で差し出した。


 輝夜は身体の前面と同じく傷だらけの暗夜の背中を見て、彼に差し出された上衣に袖を通す。まだ少しだけ湿ったその服は、服に染み付いていた誰かの血の匂いがほのかにする。輝夜はゆっくりと、息を吐いた。


「暗夜、火に当たろ? 風邪ひくよ」


 暗夜は声も出さずに首肯して、緩慢な動作で立ち上がり、輝夜に促されるままに焚き火のそばに腰を下ろした。


 隣に座った輝夜は、彼の肩に自分の外套を掛ける。暗夜はそれを掻き抱くようにして羽織る。ふたりとも何も言わなかった。焚き火の中で焼けた木が爆ぜる音だけが、ふたりの沈黙を穏やかに彩った。


 輝夜が焚き火に木をくべた。暗夜がそっと、輝夜にもたれる。輝夜は無言でそれを受け入れて、再び焚き火に木をくべる。


「……輝夜」


 暗夜が控えめな声で口を開く。輝夜は暗夜に黒目を向けた。暗夜が、静かに言葉を継ぐ。


「なあ気持ち悪いこと言うけど、抱きついていい?」


 輝夜は何も言わなかったが、返事の代わりに、暗夜の身体に腕を回した。背中に回した手のひらで暗夜の背中を優しく叩くと、暗夜は輝夜を抱きしめ返して、ほのかに震える声で滔々とうとうと話し始めた。


「今日、僕、きみにひどいことをした。でも、きみだけじゃなくて、僕、テトラにも、ひどいことをした。――だってあいつ、僕の傷、触ろうとしたんだ。手当は自分でするって言ったのに。いいって言ったのに、でも触ろうとするから」


 輝夜の耳元で繰り返される暗夜の呼吸は熱く、荒い。呼吸に合わせて大きく揺れる小さな身体。


「キーナは僕が殺したんじゃない。でも、僕が殺したんだ。だって気がついたら、ぐちゃぐちゃのあいつが――

 だって、僕の傷口に触るんだ。指が。痛くて……」


 暗夜が何を言っているのか、輝夜にはわからない。しかし、輝夜は何も聞かなかった。


 ただ無言で暗夜の背を撫でる輝夜。しばらくなにかうわごとのように繰り返していた暗夜。少しだけ落ち着いたらしい。早口で喋るのをやめて、息を吐きながら身体を揺らしている。


 しばらくそうして抱き合って、暗夜の呼吸が落ち着いた頃。日はすっかりと暮れていて、いつもだったらふたりは星を見ながらひとしきり話をし終わって、お互いに帰路につく時間だ。輝夜が暗夜の身体をそっと押すと、暗夜は素直に彼女から離れた。


 まだ少しだけぼんやりとした暗夜の目が、輝夜の黒い目を見る。


「ねえ、輝夜。きみ、前に言ってたろ、人間と魔物の争いを減らしたいって」


 真綿のように柔らかい、暗夜の声が輝夜の耳朶を揺らす。


「それは、犠牲を払ってでも叶えたいと思うかい?」


 輝夜は、目を伏せた。まるで悪魔の誘いのようだった。穏やかに地獄へと誘い込むように、暗夜が目を細める。


「輝夜、盾の国は、城を落とせば簡単にきみのものになるよ。きみが統治したら争いも減らせるんじゃないかな」


 暗夜の白い手が伸びてきて、輝夜の頬に触れる。袖口から血の匂いがした。暗夜の口元が、微笑むように歪む。


「ねえ輝夜、僕と少しだけ、代わってよ。僕のふりして過ごして、城の弱みを掴んできたらいいよ。それで、魔物たちで一気に攻め落とすんだ」


 輝夜は何も言わずに、もぞりと身じろぎをした。

 暗夜は真っ直ぐに輝夜を見つめたまま、静かな声で畳みかけてくる。


「ねえ、輝夜。僕を助けてよ。少しの間でいいんだ。僕の辛さを、きみにもらってほしい。僕、勇者でいるのに疲れちゃった」


 輝夜が、暗夜と同じ墨色の目を揺らす。しばしの間、逡巡。

 暗夜はときどき様子がおかしいけれど、悪いやつではない。――と、輝夜は思っている。自分自身でさえ時々鏡を見ているように錯覚するほどに容貌の似た暗夜。なんだか他人のような気がしない。辛い気持ちを抱えているのならば救ってあげたいとも思うけれど、こんな方法でいいのだろうか。それに、自分が人間の国に行ったとして、互いの国のためになることなどあるのだろうか。入れ替わりが万が一バレてしまえば、互いの国の亀裂はさらに深まってしまうかもしれない。


 答えを出しかねた輝夜が暗夜の瞳を見ると、暗夜の瞳が涙で光る。愚直なほどにひとのいい輝夜の答えは、ひとつしかなくなってしまった。――かわいそうだと、思ってしまった。


「――暗夜。約束を守ってくれるのなら、いいよ。半月……十五日だけだよ。きみが魔王でいる間、人間も魔物も傷つけないで。それだけでいいから、それだけは絶対に守って」


 低い声を暗夜に投げると、暗夜が目を細めた。降りてきたまぶたに涙が押し出されて、暗夜の頬を光る筋が走る。


「うん。約束しよう」


「約束を破ったら、ぼくはきみを傷つけるかもしれない」


「約束は守るよ。破ったら罰も受ける」


「――じゃあ、服を交換しよう」


 そう言っておもむろに立ち上がった輝夜がズボンに手をかけたのを見て、暗夜は飛び跳ねるように立ち上がった。


「バカ、そこで脱ぐな! バカ!」


「なんで? 脱がなきゃ服変えられないでしょ」


 きょとんとした顔で首をかしげる輝夜。暗夜は眉間をぎゅっと寄せて、あきれたように息を吐く。


「おまえ、警戒心ないの?」


「警戒心? きみに?」


 そのまま輝夜はズボンを下ろし始めたので、暗夜は慌ててぼろ屋の壁の向こうへと隠れた。


「おまえさ、僕がおまえを襲うとか考えないの? ――僕とおんなじ顔なんて気持ち悪いからムリだけどさ、きみがもっとかわいい顔してたら襲ってたかもよ?」


「襲うって……?」


 輝夜はきょとんとした顔をして空を仰いで、それから、爆ぜるような勢いで赤面した。


「はぁっ!? えっち!!!」


「えっちはおまえだろ! 人前で簡単に脱ぐな!」


「あぁぁ、うん、ごめんね」


「とりあえずほら、僕の服早く着て! ――絶対に覗くなよ?」


「覗かないよ!」


 壊れた壁越しに、暗夜がズボンを投げよこしてきた。輝夜は地面に落ちたそれを拾って履いて、暗夜に自分のズボンを投げ返す。


 もともと着ていた暗夜の上衣を整えて、地面に落ちている自分の服と暗夜の外套を手に取り、服を壁の向こうに投げてから外套を羽織った。


 勇者の服は妙に装飾が多くて、輝夜にはなんだか動きづらく感じる。輝夜の服は動きやすさを重視して作ってもらっているので、それと比べると重たくてごてごてとしている。早々に暗夜の服を着終えた輝夜は、壁の向こうから聞こえる衣擦れの音を聞いていた。

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