第26話 「惚れました!」

 何事もなく過ぎたある日の帰り道。


 翔吾とキャンパスの門を出ると、道端に一つの影が這いつくばっていた。

 他の学生達にじろじろと見られているその背中に見覚えがあった。白い布で片方の腕を吊っている。


 一瞬、あの日がフラッシュバックした。

 この場所で車に押し込まれた事、アルコールの臭い、身体の痛み、頬に触れた冷たいナイフ。


 警戒心を露わにした翔吾が、一歩夕月の前に出る。

 夕月はそっとその背中に手を添えた。


「……てめぇ、何しにきた。二度と近付くなって、言わなかったか。」


 そういえばあの夜、我に帰った翔吾は念入りに彼等を脅しつけていた。

 土下座したまま、少年が答える。


「夕月さんと、翔吾さんに詫びにきましたっ!」

「いらねぇから、帰れ。二度とツラ見せんな。」


 低い声で答える翔吾が、今にも飛びかかりそうに思えて、夕月は背中に添えていた手でその肘を掴んだ。


「翔吾、そんな……。謝りに来てくれたんだから。」

「お前は優しすぎるんだよ。行くぞ。」


 とりつく島もなく踵を返した翔吾の背中に向けて、少年の無駄に大きな声が響いた。


「自分! 夕月さんに惚れました……!」


 あ、駄目かもしれない。やっぱり止められないかも。

 一気に力の籠った腕を両手で必死に掴みながら、夕月は冷や汗が出るのを感じた。

 



 公衆の面前で大騒ぎを起こす訳にもいかず、夕月は2人を引きずるように人気の少ない駐輪場まで移動した。

 翔吾は少年に掴みかからんばかりに青筋を立てていたが、なんとか堪えてくれていた。

 中嶋と名乗った少年はあの日思った通り高校生だった。


「てめぇが夕月に何したかわかってんのか…?」

「はい! 蹴りました! すんません……!」

「はぁ? 蹴っただぁ……!? なんで早く言わねぇんだよ、夕月!」


 黙っていればいいものを、頭を下げながらもハキハキ答えてしまう少年に、夕月は頭を抱えたかった。


 この子は自分が殺されかけた事を忘れてしまったのだろうか。


 翔吾の利き腕に巻きつけた腕に力を込めていたが、その気になれば夕月を振り解くのが容易な事もわかっていた。


「な、中嶋くんじゃなかったかも……!? いっぱい人がいたし、忘れちゃったなぁ!」


 この状況は、おかしい。


 夕月だって本当は一言くらい彼を責めたかった。それなのに、乾いた笑い声をあげながら必死に庇っている。

 とにかく翔吾をなんとかしなければ。


「いえ、自分っす!」

「あ……!」


 とうとう、翔吾が中嶋を蹴り上げてしまった。

 一応かなり加減したのか、咽せながらも少年は立っていた。


「翔吾、ちょっと、私に話させて……!」


 多少ガス抜き出来たのか、もう一度腕を引くと、苛立った息を吐きながら翔吾が一歩下がる。

 夕月は、務めて静かな声で呼びかけた。


「中嶋くん。」

「はい!」


 改めて彼に向き直ると、あの日のコンクリートの冷たさや、唇を這った指の感触が思い起こされて、指先が冷たくなっていく気がした。


「中嶋君に蹴られた所、まだ痣が残ってる。それに、蹴っただけじゃなくて、私と翔吾に酷い事言ったよね? そんな人に急に惚れたとか言われても困る。ちっとも嬉しくない。」


 それまで元気だった中嶋が黙り込んだ。


「中嶋くんにも事情があったのかもしれないけど、私も痛かったし怖かった。」

「……はい。」

「どうして、今日来てくれたの?」

「……先輩達に脅されても、蹴られても、夕月さん全然泣かなかったし、それに、」


 中嶋は夕月の後ろに目をやった。

 眉を寄せた翔吾が腕を組んで仁王立ちしている。


「翔吾さんの事、止められんのすげぇって。かっけーって思ったっス。」

「かっこいいって……。」

「あの時、マジ死ぬって思いました。夕月さんが俺の命の恩人っス! あれから、お2人の姿が頭から離れなくて……、ちゃんと話したいって思ったんス!」


 中嶋は素直だった。

 まだあの日の恐怖は覚えていたけれど、夕月はなんとなく、この少年を恨めなくなってきていた。


「先輩達にももう会うのやめます。俺もお2人みたいに鬼つえー男になるっス!」

「……だって、翔吾。」


 振り返ると、翔吾は変わらず苦い顔をしていた。


「……くだらねぇ。夕月も殴ってやれば良いんだよ。」

「うーん…、」


 夕月は中嶋に向き直った。

 翔吾が代わりに散々怒ってくれているから、殴るのはやめて、言葉を探した。


「私、あの時本当は泣きたかったよ。でも、翔吾の事信じてたから、泣かなかった。翔吾だって確かに喧嘩は強かったけど……、別に私が従えて止めた訳じゃない。自分で考えて選んだんだよ。」

「……はい。」

「だから、強いとかかっこいいとかじゃなくて、ちゃんと自分で考えて、信じられるものを探した方が良いよ。」

「……はい!」


 中嶋はもう一度深く頭を下げた。


「感動しました! やっぱり夕月さんについていきます……!」

「え! えぇ……。」


 とりあえず、その大きな声をやめて欲しい。

 それまで黙っていた翔吾が、狼狽える夕月の肩を掴んで引き寄せた。


「夕月、免疫なさすぎ、年上ぶりすぎ。こんな奴あんまり調子乗せんな。」

「翔吾。」

「俺はコイツの顔は知らねーけど。言っとくけど、夕月が何ともなかったの奇跡だから。」


 夕月は翔吾を見上げた。

 夕月に言葉を落としながらその目は中嶋を見ていた。


「おい中嶋、あの時いたんだからわかるだろ。会わねぇったって簡単に抜けらんねぇの。」

「……翔吾、もしかして、中嶋くんの事心配してる?」

「俺は! 夕月を、心配、してんだよ!」


 翔吾は短く言葉を区切りながら圧を強めたが、その目から僅かに険が抜けていることに夕月は気付いていた。


「でも俺、まだクスリも殺しもやってないっス! それに、翔吾さんから夕月さんを奪おうとか思ってないっス!」

「そんなもん当たり前だろうが!」


 本気で夕月を心配しているのはわかっているが、中嶋に怒鳴り返す翔吾から、なんだかちょっと夕月の知らない匂いがした。

 彼が夜の街に引き戻されないように、しっかりその手を取っていようと「翔吾の女」は決意を新たにするのだった。


「俺、翔吾さんにも惚れてますから!」

「やめろ! 気色悪ぃ……!」

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