第14話 喧嘩

「夕月さぁ、カーテン変えねーの? 前も言ったけど、この色女が住んでるって外からすぐわかんだよ。電気点いてるかすぐわかるし。」


 ある夜、翔吾がソファでスマホを眺めながら、何気なく言った。


「今までその色で一人暮らしだったんだから、大丈夫。心配しすぎ!」

「たまたま大丈夫だっただけだろ。夕月は不用心過ぎるんだよ。」


 いつもだったらなんて事ない会話だった。「そうだね、気をつける」で済むはずだった。「今度一緒に選んでよ」とも言った筈だった。

 でもその日は、何となく疲れていたのかもしれない。

 つい言い返してしまった。


「そんな事ないよ! 鍵だってちゃんと締めてるし、私の部屋だもん。可愛い方がいいよ。」

「可愛いって何だよ。じゃあ勝手にしろよ。なんかあっても知らねーからな!」


 翔吾が苛ついた声を上げたのにまたカチンときて、いつもより低い声が出た。


「翔吾だって勝手じゃん……。いつも夜中とか明け方とか好きな時間に帰ってきて、それは不用心じゃないの? 朝だってだらだらしてるし、私のこと放ったらかしてバイクばっかり弄ってるし。」


 翔吾が心配してくれたのはわかっていたのに、つい不満を並べ立てた。

 そこからはもう、お互い泥沼だった。

 それぞれ勝手なタイミングで文句を言い合い、黙り合う。

 いつも話が絶えない夕食は、始まって終わるまで沈黙で閉ざされていた。


「……今日は、俺の部屋で寝るわ」


 黙って食器を洗っていると、不意に翔吾が言った。

 夕月がキッチンに立ったまま振り返ると、翔吾は玄関に向かう所だった。


「喧嘩したから?」

「いや、違う。……ちょっと、頭ん中がぐちゃぐちゃで、変なこと言いそうだから、整理してくる。」


 夕月は、何も言わずに頷いた後、背中を向けている翔吾には見えないと気付いた。

 翔吾は続けて言った。


「……色々言ったけど、嫌いになった訳じゃない。ちょっと好きすぎて、こんな事で壊れるのが怖い。」

「なら、明日帰ったら好きって言ってね。私も言うから。」


 翔吾は半分だけ振り返って、「楽しみにしとけ」とドアを閉めた。

 



 真っ暗な部屋に、アルミのドアが閉まる音がやけに大きく響いた。

 脱ぎ散らかしてあったブーツが足に絡んで舌打ちを溢す。


 「チッ、俺の部屋だろうが…」


 煙草の臭いが染み付いたカーテンも、山盛りのゴミ箱も、生活感があるのに何もかもを冷たく感じた。

 そもそも電気の点いていない部屋に帰ることさえ、夕月の所では殆どなかった。

 シャワーを浴びると、メントールの強いシャンプーの匂いにさえ苛立った。

 こんな時夕月なら。夕月の部屋だったら。

 そればかり思い浮かんでその度に漏らした舌打ちが、空虚な部屋に積もっていく。


「……だっせぇな、俺。」


 きっかけは些細なことだった。 夕月の事が心配だった、ただそれだけ。

 いつもは頷く彼女が「可愛い」なんて理由で反発したのに、無性に苛立った。

 黙って従えと喚きそうになった時、胸の奥で何かが騒いだ。


 ──それは本当に、俺が言いたかった事か?夕月に向けて良いものなのか?


 まるで喉を締められたように、言葉に詰まった。

 喉を締めたのは、幼い自分の手。記憶の中の甲高い声が耳の奥にザラついた。


 ──だってあの時、苦しかった。悲しかった。


 愛情を支配にすり替えてはいけない。

 夕月が何か言いたげに息を吸い込んで、そのまま飲み込んだのを見た。 自分の半分の大きさしかない白い拳が握りしめられるのを見た。

 何かを我慢している目だった。

 夕月に苛立ちをぶつけた上に、そうさせてしまった自分の不甲斐なさがたまらなくて、逃げ出した。

 かつて自分が自分にお仕着せた、「男くさい部屋」の冷たさが罰の様に胸に染み込んできて、思わず煙草に火を付けた。


 そういえば、室内で煙草を吸うのも久しぶりだった。

 夕月の部屋ではベランダで吸っていたから、吐き出した煙が目に染みて、今夜は眠れそうになかった。




 夕月が言葉を飲み込むたびに、翔吾が痛そうな目をするのに気づいていた。


 叫んで泣いてしまえば良かったのだろうか。

 自分のせいで彼の瞳が揺れるのを見たくなかった。それでも、翔吾は彼の部屋に帰ってしまった。

「嫌いな訳じゃない」って、言ってた。「好きすぎて怖い」とも。

 きっと、翔吾の中に溢れた衝動から夕月を護ろうとして。

 最初からあんなに夕月の身を案じてくれたのに。

 すぐに謝って、帰ってきて欲しかった。

 けれど。自分が先に謝ったら、出て行った翔吾の意地を傷付けると思った。


「……明日、好きって言って帰って来てね。」


 傲慢な言葉に、当然応える声は無い。

 1人で膝を抱えて夜明けを待った。

 



 ベッドに入らずに毛布に包まっていた夕月は、玄関の鍵が回る音で跳ね起きた。

 カーテンを閉め忘れた窓の外はまだ朝焼けが残っていた。


「翔吾!」

「えっ、ゆっ、なんで起きて…!?」


 その姿が見えるやいなや、夕月は翔吾の胸にに飛びついた。

 戸惑った声を上げて夕月を抱き留めた翔吾は、一瞬のち、広い胸にその身体を抱きしめた。


「夕月、ごめん。俺、お前のことすげー好き。」

「……私が先にごめんって言いたかった。」


 夕月は湿った声で答えた。


「私も、好き。帰ってきてくれて嬉しい。」

 


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